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人生は人に何を求めるのか

人は人生の中で何かを求めながら生きていきますが、 逆に人生は人に対して何を求めているでしょう。

みんなの回答

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.16

 そうですね、合格点...  例えば、「いつも微笑みを」と言って、それにこだわっている人がいるとすれば、フツーの顔でいて構わない、自然体でよい と言う事に気付けるかどうか、ですね。  自分が最もこだわっていること、それこそが克服すべき課題(自分が望むなら) と言えると思います。  私がこだわっていることですか?聞かないでください。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 自分では気づかないこだわりというのは確かにあります。 目的と手段が入れ替わってしまう事がよくありますからね。

回答No.15

こんばんは、shift-2007さん。 ●人生が求めているものが分かれば、ずっと生き易いと思いますよ。 ↑ 人生が求めているもの? たぶん これじゃないかなぁ。 “笑い” 笑え。笑え。笑う門には福来る。 笑いは、一服の静養剤。 皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げてはるコレちゃうか? (じんせい こうろ・いくえ さちこ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E7%94%9F%E5%B9%B8%E6%9C%97%E3%83%BB%E7%94%9F%E6%81%B5%E5%B9%B8%E5%AD%90 http://www.gazotube.com/u-0SELjgwo8.html

shift-2007
質問者

お礼

いよっ、いいこというねぇ スマイル、スマイル、大事だねぇ

  • owlsjp
  • ベストアンサー率18% (23/127)
回答No.14

 逆に人生は人に対して何を求めているでしょう。  これを「どうしても逃れられない宿命、運命と思えるような事柄が繰り返し提示されるなら、それは何を示しているのか。」  と置き換えるなら、  答えは「人によって違う」という事になります。  私の場合ですか?聞かないでください。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かに人によって違うでしょうが、宿命、運命をカリキュラムと考えると目的は合格点をもらう事となるように思います。

noname#94476
noname#94476
回答No.13

他の方々のを読まず、影響受けぬ為。個人的見解。 人生は… 悔い無き歩みを、見せな。 一度しか通れない、道だ。 後戻りが、出来ない一本の道だからな。 だが、自分(ここでは、人生を生き物に例えて)は、厳しさだけを持っているとは、限らない。 君が、岐路(えだみち、と読む)を見つけるか、見つけないかは、君の歩み次第なんだ。 と、求めている、よりは、問いかけている…そう思う。 詩のように成ってしまいました。回答に、成っているかな。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人生は常に人に問いかけていますね。 どうする?どうする?どうする? 最後の決め台詞は「おまえ次第だ」ですかね。

  • gs8mk76a
  • ベストアンサー率35% (12/34)
回答No.12

 簡単明快です。  自力の諦観!

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いい答えですね。

回答No.11

shiftさん。こんばんわ。 >人生は人に対して何を求めているでしょう。 :人が人生に関心を持つこと、  を求めているのだと思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人生とは音楽のようなもの、 歌われることを、演奏されることを望むのでしょう。 人が己の人生と手を組んだとき、この世界は案外悪くないと思えるかもしれません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.10

「>人は人生の中で何かを求めながら生きて」いるつもりだろうが、実際は全く的外れのことばかりやっておる。 自らを虚しくして、天の求めるところを深く思考せよ・・・。 っつうような禅問答的趣のある質問ですね。 禅問答的に(あるいは短めに)答えるとすれば 人生に対して求めるものしか人生からは求められない。 ということになりますか。  

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 求めるものが手に入るようにできているのは確かなようです。 しかし、それが意味するものはなんでしょうね。

回答No.9

「(諸個人は)彼ら自身の歴史を作る。しかし、彼らは自分たちが望むように歴史を作るわけではない。彼らは彼ら自身が選択した環境の下で歴史を作るのではない。直接的に与えられ、過去から伝えられてきた環境の中で歴史を作るのである。」マルクス 忘れてしまってはいけない、マルクスの遺産の一つでしょうか。 この言葉の、「歴史」を「人生」に置き換えてみると、ご質問に関する一つの考え方が見つかりますね。 ところで、ご質問分には、言葉のマジックが隠されていますね。 ご質問者様が、意図的に回答者に投げ掛けたものかどうかは別として・・・ ご質問に対する答えとしては、 過去と現在と未来の関係でしょうか、 人とその人の人生の関係でしょうか、 人一般と人生一般の関係でしょうか、 この辺りに、三回転半のジャンプが決まるかどうかが、答えの分かれ目ですね。 おっとっと、久々のジャンプで、見事に転倒、減点20(笑。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 マジックをかけたつもりはないのですが、そう感じたのならそこに回答者さんの人生におけるヒント或いはトリガがあるのかもしれませんね。

noname#100496
noname#100496
回答No.8

人の神からの使命は、不調和を調和に、変換する事です。人は神の子です。神の世界から、仮の世界の地球にきました。理由は不調和を調和に変換して、調和世界である、神の世界を大きくするためです。地球は不調和世界の脳の自我と、調和世界の自然の心である神が、出会うための、仮の場所として、つくられました。そこへ神の世界から、神の子が来て、不調和世界の代表である、脳の自我と合体して、人が誕生しました。人の心の、神の無我と脳の自我との割合は、最初はアトランチス古代文明の頃までは、神の無我が大きく、人は神人と呼ばれて、超能力がありました。現代は脳の自我が大きく、神の無我が弱いので、人は神の子である事も、神からの使命も忘れて、ミイラ捕りがミイラになった状態です。つまり脳の自我の世界へ、深く入りすぎて、迷い苦しんでいます。脳を休めて、無我を復活する事が大事です。幸い日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを、目的にしています。そして人の人生は、自然の情緒、心の癒しなどから、調和について理解する事です。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 調和ですか、分からないこともないですね。 すべての答えは調和へと導かれるのでしょうか。

回答No.7

こんにちは、shift-2007さん。 ●人生は人に対して何を求めているでしょう。 うーん、なんだろう? たとえば… 『くうねるところにすむところ』とか? 向こう三軒両隣り http://www.mediawars.ne.jp/~tairyudo/tukan03/tukan3777.htm 人生って 不思議なものですね 『愛燦燦』作詞・作曲 小椋桂 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND83193/index.html

shift-2007
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 人生が求めているものが分かれば、ずっと生き易いと思いますよ。

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