• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:狂える人 と その制裁)

狂える人とその制裁

このQ&Aのポイント
  • 狂える人に制裁は意味がないのか?
  • gooからの排斥はどういう事態?
  • 制裁はただの清掃なのか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.14

こんばんは、RingQさん。 アゲハマ~♪  台風の(●) 地震カミナリ火事オヤジ ああ コワッ=3 (●)←コレはなんですか? (●)←コレはイシです。 ●be to不定詞 制度は狂へる人を裁くべきであるのか裁く運命にあるのか裁く予定なのか。あるいは狂へる人は裁かれるべきなのか裁かれる運命にあるのか裁かれる予定なのか。主語が制度なら制度の定義や本質が掘り下げられ、主語が狂へる人なら狂へる人の定義や本質が掘り下げられるんでしょう。 ↑↑ 意志「~するつもり」(^_-)-☆ 【未来表現における確実性】 http://www2.aasa.ac.jp/faculty/tagen/thesis/2007/pdf/04115BMU.pdf 更生と更正 【教育は諸刃の剣】 http://ksei.exblog.jp/5264241/  http://ksei.exblog.jp/3998860/ 更生と更正 掘り下げると恒星-☆ 【観測成果】 http://subarutelescope.org/Pressrelease/2009/05/21/j_index.html http://subarutelescope.org/Pressrelease/2009/05/21/fig02.jpg

RingQ
質問者

お礼

アゲハマって碁石の取ったやつでそれで空洞になったから台風の目ですか。オヤジ=やまじ説ってのもありますがマどうでもいいです。英語の小論はよくわからないですがそういうものかと思いました。前フリとオチがないと落ち着かないところを見ると落語ファンの方か何かで。 意思と更生は大事ですね。更正じゃなくてってところもよくわかります。刑務所の心理職員の方のブログは面白かったです。知りたかった内容の延長線のどこかに触れていると思いました。遠いんですけど。オカマの例は閉鎖的な管理状況下で狂った駒なんですよね。   「正直云って髪を切ってしましい、ヒゲをのばした全くのオトコの私がこれほど大スター並みに彼らのヒロインになれるとは、夢想だにしていなかった。 それだけに私は動揺した。 彼らは実にすばしっこく、やることに目が離せないのですが、それでも理屈ばかりをこね回すインテリよりも彼らの方が好きになった。」    「心ある人は、きっと私をオカマと軽蔑しているでしょう。 私はこれからもオカマと言われ、社会の落伍者として扱われ、それに満足すべきか、ああ! 私はこんな事を考えていると頭がガンガンして来て、今にも発狂しそうだ」 主観的にこんな感じということはわかりました。ありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (24)

noname#94778
noname#94778
回答No.15

僭越でありましょうが、見るに忍びず助言に参りました次第。  質問者様が今回の話題に出している人物は、自分には並外れた分析力があると信じ切っており、それが間違っているとも、人に迷惑を掛けるとも微塵も疑わないようであります。 その上、大した判断材料が揃わなくとも、妄想を直感と信じて疑わず、臆面もなく堂々と証拠としてあげてくる習性をお持ちのようであります。  これまでも、別人と別人を重ね合わせてストーカーを作り出すのが、ご趣味だったようで、常識人にはない特殊能力を お持ちのようであります。 こう謂う事を書くとその人物は、ここにもストーカーがと云うのでありましょうが、自分の周りはストーカーばかりだなどと、一般の感覚では思いも拠らぬことを大胆にも言い切るから、一般人から不審がられ、用心される結果を招くとは自分では気が付けぬようであります。 質問者様は、既に御存じで居られると推測いたして居りますが、話題の人物は「自分のまわりは加害者だらけ」だと言いたいようで、同様の発言を重ねてきたようであります。  このままだと「現実では被害者続出」であります。 一日中、自分を監視する暇人だらけだと思っている発言を止めれば良いだけなのに、そう云う発想が出来ない御様子です。 そして、またもや誰かと誰かを重ね合わせて、妄想が始まるのでありましょうな。 ここでも既に妄想炸裂状態であります。常軌を逸して居ります。 分析好きな割に冷静さを保てず、何でも自分に結びつけすぎて、疑心暗鬼なのであろう様子が窺えます。 ここは、質問者様が気が付かぬ振りをして、そっとしておいてあげたほうがよろしいかと存じ上げます。 決別と言いながらも、その実、質問者様を目の上の何とやらだと思っているのでありましょう。  話題の人物は、誰のことを指しているのか分からぬことを臆面もなく書くので、このままでは質問者様のことと取り違える会員も出てくると存じ上げます。 寧ろ、質問者様の方から離れて差し上げた方がよろしいかと、、、 このままだと、ストーカーされるのは質問者様の方では??? 既に被害を受けていると存じ上げます。

RingQ
質問者

お礼

出来れば質問への回答をいただきたかったですが、大風呂敷の哲学より卑近かつ個別に対処・対策のほうが急務なんでしょうか。 中学生以上の人間なら文章を読めば状況が一目で分かるというもんです。私もギャラリーの皆さんも寒気を通り越して抱腹絶倒もんですよ。育てた親は苦労したんじゃないですかね。というかそもそも親自身に羞恥心がなく、嘘をシャアシャアと吐きながら自分でそれを信じ込むような迷惑な人間だったんじゃないかって気がします。まあそう考えると子は被害者かもしれないですけど一番の近親者だから皺寄せが来るもんなのかもですね。ってかこういう文章をそのまま理解できないらしいから不思議になりますね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#94714
noname#94714
回答No.13

何処から何処までが繋がりがあるのか分からない話を、切り貼りして繋ぎ合わせて発表し合うとは愚の骨頂。誤解と猜疑心が広がるだけ。 事実を検証するには大量の資料と検証が必要。 しかし、規約がある以上、一般人は確証を示せるわけでもなく発言権もない。 現実対策は、トラブルにあった当事者が資料を提供して、管理者の判断を仰ぐのみ。 質問者は、判断基準が合わぬ者とでは言葉が通じないと思っているのではなかったのか? 本当に必要なのは仲介者ではないのか? 自分もまた、判断が基準とずれているとは少しも疑問に思わぬのか? 質問は吟味して出されるが良い。 道徳観念を問うのなら、猜疑心渦巻く話題に巻き込まれる者のその後も少しは考えられよ。

RingQ
質問者

お礼

事実を検証する場ではありません。道徳観念を問うてもいません。権力批判でけっこうなのです。ネットにおける権力/制度と狂気を論じてください。なぜそういう質問だとおわかりにならないんでしょうか。 「質問は吟味して出されるが良い」そうですね一理も二理もあります。参考にさせていただきます。具体例や経験は省いた方がすんなりと抽象論を呼べそうです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#94703
noname#94703
回答No.12

他者の素行を発表し合うような真似は止めて、トラブルがあれば、管理者に仲裁して貰えば良いだけのこと。 ネットの相手は目に見えないし、名もあって無いようなものだから、自分の頭の中で起きていることと現実には大きなズレがある。 自分で納得のいくようにパズルを組み立てたと思っていても、事実とは誰も証明できない。 寧ろ、更なる誤解や被害が広がるだけ。 この質問自体が不毛であろう。

RingQ
質問者

お礼

トラブルなど無いと私は思います。或るネットサービスにおける規則違反者が狂っている(病には限定しません)場合ネットの制度における裁きとは何ぞや、それだけの質問です。 発表だか何だか知りませんが、質問内容は明確で一般的な考察や抽象的な考察を引出しうるものです。現に三名の方は印象や一般的考察を述べられました。私は質問に対する考察以外の回答は望んでいません。 ご指摘の最後は「狂へる人をインターネット上で制度側が裁くのはどういう事態かという質問自体が不毛」とのご指摘と受け止めます。このあたりをもう少し伺いたいのですが即退会されてしまわれ残念です。なお他回答へのご意見はお控えください。

RingQ
質問者

補足

トラブルなど無い→トラブルなど存在していない、という意味です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.11

こんばんは、RingQさん。 ●人間は何をやるかでしょう。 ↑ 『情熱 A Go-Go』作詞・作曲トータス松本 http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND50861/index.html ●思えば、狂へる人には制裁は何の意味もなさないのではないか。 うーん、 be+to~ 不定詞? 不貞をはたらいたかどにより死罪 人が人に死を与える 死を乞う人 近松か? 【近松の世話物24作品一覧(年代順)】 http://www.k.zaq.jp/nanjo/nk5-2.html 【色と欲との─】 http://www.yui-garden.com/essay/1992.02.19.html 【女敵討ちを考える】 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=5303135 【『鑓の権三重帷子』論】 http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00012693/Body/016000460002.pdf 身から出た錆とばかりにわが身にかけられた疑いをはらすことなく死を乞う To make an excuse is useless. ならば、死することで得るものに望みをかけた? なんだかな。。。 ●権力・運営組織による制裁に意味はありますか? ↑ 諸刃の剣 「大陸棚」の基礎知識

RingQ
質問者

お礼

littlekissさんになかなかお似合いの唄です。littlekissさんは子供相手の先生か何かされてるのでしょうか。「うんうんところでサ」という生命力のある方みたいですが相当変わり者のような気がします。 ●be to不定詞 制度は狂へる人を裁くべきであるのか裁く運命にあるのか裁く予定なのか。あるいは狂へる人は裁かれるべきなのか裁かれる運命にあるのか裁かれる予定なのか。主語が制度なら制度の定義や本質が掘り下げられ、主語が狂へる人なら狂へる人の定義や本質が掘り下げられるんでしょう。 ●近松 読み応えのある論文なんで又休日にでもゆっくり読ませて戴きます。錯誤をのっぴきならないまでに引き上げるのが近松って感じですが、観客は錯誤してるわけじゃなく高みの見物だから錯誤が面白いんですよね。 ちょうど、喚けば傍観者が乗ってくれるとでも思っている人が、誰もその手に乗らないのは常識なんだけど当人はわからないもんだから、来なきゃいいところにノコノコフラフラさまよい出て必死に喚くという寸法と同じ。舞台と客席に温度差があるから面白いんでしょう。心中は御免です。 ●諸刃の剣 有効なこともあれば有害なこともあるんですね。 裁判などで、訳のわからない人間を裁かないのは更生目的にそぐわないからだと思うんですが、腐った部分を切り落として新しい芽が出るのを期待するのが裁きなんだとすれば、諸刃の剣は切り落とすと一層腐るというイメージでしょうか。 ●「大陸棚」 海の用途もあれば陸の用途もあります。使いようですか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.10

「本サイト上のあらゆる情報について、会員は、これを編集、複製、転載することはできません。」 ですから、すでに何度も申し上げたように(これで三度目です)そもそも、質問者さんは なぜ、その「問題のブログ」中で、ご自身の質問が載っている、と判断されたのでしょうか。くだんのブログは、たしか、引用先を明記しておらなかった、ということを問題視されているのですよね? しかし、そのブログ、ご自身の質問のなかで、引用先の明記を問題視なされる前までは、どこから持ってきた誰の発言であるかということが曖昧で非常に断片的な、もちろん、個別のネームなども全く明記されておらず、これといって特定や確定は しにくい やりかたで述べられていたようですが。 質問者さんが、実は、そのブロガーが、『教えてgoo』会員の誰である、ということを わかっていたからこそ、そのブログを閲覧しに行ったのだということ、そして 内心まさに、そのブログを念頭に置いてこその当質問なのであること、 これらを はぐらかして 「正当な引用」「目的上正当な範囲内」 >上記の意味をありのままに理解する能力を持たない人を制度はどう裁くのか 「正当」の範囲内である、という判断とは、また「ありのまま」とは、どういうままか、ということを、まずは質問者さん自身が明確に示されると よろしいのですけど、もちろん「悪口目的」はケシカランから、などという前提では、堂々巡りに終始するのが目に見えてますものねえ(笑) でなければ、規約は守るべき、ということに対して「そうですね」の たった一言で済むことですので、このような質問するまでもないことになりますでしょう。 いずれにせよ、くだんのブログが閲覧できない状態ですし、管理者サイドからの、なんら警告すらも なかったということで あれば、率直に印象を申し上げますと、質問者さんの「遠吠え」そのものにしか聞こえませんねえ(笑) スルーなされば よいのですよ。もともと、他人に対しては、大いに、それを推薦する お考えでは ありませんでしたでしょうか。

RingQ
質問者

お礼

09/09/21 07:19 No.6 >> くだんのブログは、たしか、引用先を明記しておらなかった、ということを問題視されているのですよね? >引用先を明記うんぬんなどの話を誰がしたのでしょうか? 著作権ですけど。 09/09/21 18:07 No.11 >> 「出所が明示されていること。」という箇所が、著作権に関する規約に記されておりますので。 >> 繰り返しになりますが、なにしろ、「どこから持ってきた誰の発言であるかということが曖昧で非常に断片的な、もちろん、個別のネームなども全く明記されておらず、これといって特定や確定は しにくい やりかたで述べられていたようですが。 > ~「教えて!gooサービス」利用規約 第12条(情報の無断使用の禁止) > 1.当社は、会員が本サイト上の画像などを含めた情報を無断使用することを禁止します。従って、本サイト上のあらゆる情報について、会員は、これを編集、複製、転載することはできません。 > 出典などが問題なのではないのに。 09/09/23 03:36 No.14 >> くだんのブログは、たしか、引用先を明記しておらなかった、ということを問題視されているのですよね? たしかもアシカもそんなことを申したことは「ない」ですよ。当質問は別の問題提起だってことですね ブロガーは、私の投稿に目を付け私の質問や回答を違法転載しましたよね。他の方々の投稿文も数か月にわたって抜粋しちゃ転載を繰り返してましたよね。2ちゃんねるでブログを宣伝しましたよね。私がこの質問をするなり目を付けてやってきましたよね。つまりこのブロガーはストーカーなんですよ。 gooブログのユーザー群=教えて!gooのユーザー群ではないし、ブログのアドレスIDから教えて!gooで同一ユーザーを見つけるなんてまずあり得ないのに、自分からわざわざこちらの教えて!gooの質問に名乗り出て、初対面の人間を初対面とも思わない(そりゃブロガーさんはストーキングしてたわけだから一方的に馴染み深いわけですか)。 こちらがブロガーさんを誰だか分かるわけないじゃないですか。ご自分が有名人だとでも思っているんでしょうかぁ。

RingQ
質問者

補足

私は質問の答えの一面を見た気がします。制度の裁きに委ねるのではなく近親者が付ききりで言動を監視するしかないのかもしれないことをです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.9

こんばんは、RingQさん。 なりすましは別として、人が名を変えるには多事情があることでしょう。 こと、中国に限った話ではないのだけれど 歴史をひもとけば名を変えざるを得ない状況がある。 一族皆殺しを常とする権力支配の世の中 その中にあっては、生き残る道はただひとつ 名を棄て、野に下り、身を窶し、どこのだれか気付かれぬように ひっそりと暮らすこと 司馬遷の孫にあたる楊惲のちに要斬の刑に処せられる 楊の一族はおちのび楊の姓を棄て楊惲の惲の字をとり姓にあてた 【楊ウン】 http://www.weblio.jp/content/%E6%A5%8A%E3%82%A6%E3%83%B3 【霍禹】 http://www.weblio.jp/content/%E9%9C%8D%E7%A6%B9 これとは別に、風習として別名を使用する場合があったり 相手の本当の名前を呼ぶことを避ける風習 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327557268

RingQ
質問者

お礼

博学なんですね。この嫌な空気を楽しんでいるようにも見えませんが、ほんっと質問と関係のない話を面白そうに見せるところが才能だと思います。小都会ばかりになった日本からするとちょっと日本人離れした開放的な感じがします。人間は何をやるかでしょう。名前を変えても仕事や技術は変わりません。なりすましというのは他人の仕事や技術をくすねる赤の他人の行為じゃないですか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.8

>引用先を明記うんぬんなどの話を誰がしたのでしょうか? 著作権ですけど。 ですから、 「出所が明示されていること。」という箇所が、著作権に関する規約に記されておりますので。 繰り返しになりますが、なにしろ、 「どこから持ってきた誰の発言であるかということが曖昧で非常に断片的な、もちろん、個別のネームなども全く明記されておらず、これといって特定や確定は しにくい やりかたで述べられていたようですが。 質問者さんは、なぜ、その「問題のブログ」中で、ご自身の質問が載っている、と判断されたのでしょうか。」 ということ、それにも かかわらず、どうやらハッキリと思い当たられるものがあったらしいと、あらためて引用先の明記を心がけたところ、それが かえって、あだになったのでは、ということです。 質問者さんが、管理者サイドに、いつ連絡されたか存じませんが、ここで、いかに著作権が云々と訴えられましても、現行、権利者・管理者側が警告一つも発することすら ないのであれば、それは、認められているのだ、と解するしか ございませんでしょう。肝腎のブログのほうは閲覧不能になっておりますことですし。 ちなみに、「なりすまし」等の話題に関して私は疎いですが、別アカウントを夥しく取得しているような会員のことについては、運営局スタッフとの あいだで話を したことが ありました。 質問者さんに どのように軽んじられようと、私なりに誠実を尽くして真摯に回答した つもりです。それに対する ご反応が このようであるということが、質問した側の とるべき態度として、いかがなものであるかは、閲覧者の皆様それぞれの、質問者さんに対する ご判断に加味してくださることでしょう。 かねてから心中 秘かに期するところも、ようやっと ここまで来て、私としては、ひとまず果たし終えたという区切りの気持ちで おります。 この投稿は、今度こそ、忌まわしい ご縁の消滅を記念する、あいさつ代わりのようなものですので、当然、無視してくださって けっこうです。

RingQ
質問者

お礼

gooの「引用について」および著作権法の「引用」の項目が大事です。出典などが問題なのではないのに。 ご回答ありがとうございます。

RingQ
質問者

補足

~「教えて!gooサービス」利用規約 第12条(情報の無断使用の禁止) 1.当社は、会員が本サイト上の画像などを含めた情報を無断使用することを禁止します。従って、本サイト上のあらゆる情報について、会員は、これを編集、複製、転載することはできません。 ~ OKWaveFAQよくある質問 No.299581 「OKWaveに投稿されている内容を利用したいのですが」 回答「OKWave上に投稿されているQ&Aの投稿内容については、株式会社オウケイウェイヴに著作権が帰属します。 投稿内容について、「ブログやメールマガジンに掲載したい」「印刷して資料として配布したい」など、私的利用の範囲に収まらない一般に公開される形での複製・利用については、日本国著作権法第32条に規定されている「正当な引用」にて、自由にご利用いただくことができます。」 ~ 著作権法 第2章 著作者の権利 第3節 権利の内容 第5款 著作権の制限 (引用) 第32条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。 私の質問は、上記の意味をありのままに理解する能力を持たない人を制度はどう裁くのか という質問です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.7

こんにちは、RingQさん。 ●――――裏木戸が開放になっていた理由は簡単だと思います。 そですか? いやー、まいった。さっぱりわからん。 裏木戸がなぜ開放になっていたんだろう?というなぞが… 裏木戸とはなんぞや? き‐ど【木戸/▽城戸】 「きど」を大辞林でも検索する 1 (木戸)庭などの出入り口に設けた簡単な開き戸。「裏―」 2 (木戸)興行場などの客の出入り口。 3 「木戸銭(せん)」の略。「―御免」 4 城や柵(さく)などの門。 5 江戸時代、市中の要所、町々の境界に設けられた警衛のための門。 [ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ] ちょっとみてくださいよ→〔5〕を 江戸時代、市中の要所、町々の境界に設けられた警衛のための門。 境界―――門、一種の仕切り… 内と外 主観と客観…つらつらつら とも、考えたくなるところ 【深川の歴史からみる下町の概念】 第3章 庶民の住まい長屋の暮らし~ http://www.edogawa-u.ac.jp/~takata/sotsuron/a96122rt/ 第4章 江戸庶民の食文化より一部抜粋 (6)消えゆく「江戸前」の味  明治以降、「江戸前」と呼ばれた東京湾近郊は、工業廃水や埋立などにより、かなり汚染されてしまう。このままゆけば、「江戸前」の味は完全に我々の食卓から姿を消すであろうともいわれているのである。それとは対象的に、グルメブームという言葉が生まれたバブル時代から日本人は多くの国の食文化を取り入れるようになるが、皮肉にもその庶民のグルメ思考の先駆けは江戸から始まったものであると私は思う。江戸以前にもあることにはあるのだろうが、それは庶民ではなく、武士や貴族が中心だった。  江戸の庶民のグルメ思考は、「江戸前」という豊富な漁場、江戸周縁部の豊富な農作物、名目だけであったとはいえ士農工商という身分制度が周辺農民に力を与えたということにあったに違いない。時に来る大飢饉があったにせよ、何よりも江戸へ来て働けば何とか食べれるということが、人々に余裕を与えて、そこから食文化が生まれていったのである。  大きな意味で食文化というものを捉えるならば、米であり、漬け物であり、梅干しであり、というように我々日本人固有の食文化なのであるが、地方の名産品などは、その土地独特な風土から生まれた食文化なのであろう。そんな中で江戸独自の食文化がこの時代に生まれたということは、現在の環境が汚染されている東京から考えると非常に信じられない事なのではないだろうか。東京固有の名産品を考えるとあまり浮かんでこない。深川めしも名産品であるはずの「江戸前」のあさりが使われることがなくなったから、炊き込みの深川めしができたりと進化してしまったかもしれない。ただ、佃の名が付く佃煮や小松川の名が付く小松菜など深川めしも含めて、少しでもその名前が現在でも残っているということは、嬉しいことではある。  

RingQ
質問者

お礼

長屋でも江戸市中でも木戸は治安維持のため必要です。そして開閉もできなくては塀になります。問題は長屋であれ江戸市中であれ其処でサービスを受けている身の人間の態度です。たらふく深川めしをくって井戸の水をジャンジャン汲んで大家や火消しの世話になりながら、規則を守らず長屋や市中のみんなの言葉を大切にしない人間、しかも「それをわからずにやっている」場合の人間をどう考えるかです。わからないなら放っておくのが人情とはいえ、もし長屋や江戸なら同じサービスは受けられないはずです。やっぱり心の裏木戸から外に出されているんです。しかしこのデジタル社会では規則や他者の心を理解できない者でも等しいサービスを受けられるのですね。そして道理が分からないからサービスを受けているという理解がないのですよ。もはやこの後100年では江戸のように守られたものは残らない気がします。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#94566
noname#94566
回答No.6

No.4です。何故か私のところだけ、補足が沢山あるのですね…。 以前、 1)http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5205593.html  で、回答者さんが参加しておられるのを見ました。 そこには、あるブロガーのリンク先が参考に貼ってありました。 そこで、問題にしていらっしゃったのも、質問が違法転載されているのではないかという話題でした。 そこでは、質問者さんご自身は同様の質問を、 2)http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5086288.html​  でもしていたと言うことを明かしていらっしゃいました。  そこで、今回のご質問の内容を見て、 これは質問者さんの「1」での回答を含め、少なくとも同一人物を話題にした三部作になっているのだと推測しました。 どちらにも、同じブロガーのことを言っているのは「1」「2」にあったブログへの参考リンクからわかりました。 今はリンクは繋がらなくなっていますが、「1」を見た当初は「1」「2」どちらもブログに繋がり、ブローガーご本人には失礼ではありますが、私は内容も読ませていただいております。 ですから、「1」「2」のブロガーがここの会員であることも分かっています。 また、現在、リンクはブログへは繋がらなくとも、リンク名には、会員の名前が残っています。ここからも会員のことであることは容易に推察できます。 また、「1」で質問者さんは、“このブロガー(=●●●者・自覚なし)”と書いておられました。 以上のことから、補足について、回答をさせていただきます。 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  * (1)(2)No.4では、主題は特定会員の話題だと推測して回答いたしました。 そのことはあまり関係なかったのですね。失礼致しました。     また、質問者さんご自身が、No.2さんのお礼欄に「2」と同じリンクを貼っていらっしゃったのには驚きました。  No.2さんと私は同じ話題を念頭に入れているのだと思います。    著作権違反については、gooの管理者の判断にお任せしたいと思います。   (3)***より上の内容を読んでいただければ、私がその様に“勘違い”致しましたこともご理解いただけると思います。 まだ、記憶に新しかったものですから、結びつけてしまったんですね。 ご無礼申し訳ございません。  (4)(5) 違反への取り締まりということを制裁という意味で取るのならば、管理者側が違反と判断すれば申し渡しが来るでしょう。ブロガーの方も申し渡しが来たら順うのではないでしょうか。   (6)ご質問の内容が違反への取り締まりについてということは分かります。 しかし、取り締まる側は管理者なので、管理者に直に連絡するのがスムーズ、かつ迅速でよろしいのではないでしょうか。 (7)>即ち「引用目的が容認されえない範囲の」「著作権違反」が「溢れている」です。   これが、本来のテーマなのですね。 私自身はブログは開いておりませんので、引用が何処まで許されるかは分かりかねますが、管理者と質問者さんの判断基準が合致すれば、今回の件は、質問者さんが正しいと言うことになりますね。 (8)(9)(10)感じ方は違うながらも理解に努めようとしてくださるのですね。 ありがとうございます。 (11) そのブログへは現在繋がらないので、引用が大量であったか、呪詛目的であったかは、かなり読みこなした立場の者でなければ検証のしようがありません。質問者さんは読みこなされたようですが、現時点では一般人には検証しかねますので、それこそ、管理者の判断にお任せするより他ないと思います。 (12)通報そのものは問題ないと思います。 ただ、***より上の内容を読んでいただければ、ブロガーにとっては、「過ぎた迷惑行為」になり、質問者さんとブロガーの関係が拗れるのではないかと思いました。 (13)引用が大量なのがいけないというのは、分かります。 悪口が駄目だと言いたいのも分かります。でも、ここで話題に出すとこれもまた相手側から見れば悪口になり、きりがないので、やはり管理者にお任せしましょうと提案しているのです。 (14)自分と他人では判断基準に開きがあります。それをネットで伝えるのは難しいと言いたかったのです。 (15)(16) (17) (18)***より上の内容を読んでいただければ、何故その様な見解に至ったのかご理解いただけると思います。 ブロガーはここの会員だから、誰の話題だか特定できるような行為を繰り返すと、相手(ブロガー)にとっては示威行為になり、規約の問題も引っ掛かってくるので、疑問があれば、管理者に直接連絡するのがよろしいと言っているのです。 会員であるブロガーから、質問者さんのことも通報されかねませんよということです。 ブロガーにとっての示威行為を質問者さん個人の制裁と私は取っていました。 また、「ブログが悪口目的の引用に溢れた著作権違反であるよしgoo管理サイドへ制裁処分を促した」のことを制裁と言っているのですね。 今回が初めての管理者への通報だったのですね。 過去に質問に出されていらっしゃったので、既に連絡済みで、何もお咎め無しだと言うことだと思っていました。 その点、誤解を招く表現であったことを深くお詫び致します。m(_ _)m 現段階として、質問者さんとしては、管理者からの連絡を待つしかないということですね。    *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *   《今回の投稿を“自信あり”と致しましたのは、特にここからの文章です。》 No.5 さんへのお礼ですがあれは、後半は雑談ですね。 質問者さん、ご自身のご発言、 「(10) 要らぬ詮索は誰もしませんので安心していただきたいと思います」 「(9) 回答者様の感じ方は理解しようと努めています」 の姿勢を貫いていただければ、質問者さんが真摯で真面目な方だとこの場に居合わせた方々から信頼を勝ち取ることが出来ると私は信じております。 また、私自身も「(14)自分と他人では判断基準に開きがあります。それをネットで伝えるのは難しいと言いたかったのです」を経験しております。 故に、質問者さんのことを心配致しました。 >No.4さんの回答履歴を読んだら、なりすましとか偽者とかをとても気にされている方のようでした 自分にとって、都合の悪い回答を投稿する者に向かって「なりすまし(享楽的目的で他者を演じる者)」という、歪んだ自分の固定観念で、再登録者を非難し、あげつらう人物のその後を心配しております。 私は、一貫したID、人格で投稿しております。 ニックネームは変わっても、ID停止処分になったことなど一度もありません。 しかし、そういうことにしておきたい人物が、約一名決めゼリフを使っています(笑)。 その方のお仲間になりたいのですか? 私は、“歪んだ”回答は投稿しておりません。 心配しているのは、“偽物のプロファイリングをする人”です。 

RingQ
質問者

お礼

そーですねー何ていうか私は人事部で長くやってきた人間で少し古いタイプだから思うのかもしれないですけど、きちんと考えを申し述べる文章にはその人の全てが詰まっていると思います。他人のなりすましなら底は知れるし、享楽目的で他者を演じると仰るような真似など所詮は薄い皮だと思います。心配なのかどうかわかりませんけど心配しなくても大多数の人が見分けてます。ご自分が被害者だと思われるなら部外者の多くの人間の存在をもっと信じたらいいです。ご自分の殻に閉じ籠っている印象を受けます。それから「制裁」て言葉は「制度による裁き」って意味でブレは無いですよ。それについて考えたいという質問です。裁判では精神病の方が無罪になりますがネットの世界でどうあるべきかというのが念頭にあります。 > ニックネームは変わっても、ID停止処分になったことなど一度もありません。 > しかし、そういうことにしておきたい人物が、約一名決めゼリフを使っています(笑)。 > その方のお仲間になりたいのですか? 私が何でお仲間になるんですか?

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.5

>「セッ●スゲームの標的にされ酷い目に遭いました。詳細をつづっています」というブログ紹介からのリンクで~標題の書き込みがあったので、スケベな私は内心ウキウキしリンクを辿りました。するとエロのかけらもない それは そうでしょうね、その標題は、それこそ内実に そぐわない、詐欺のようなものだったのでは ないでしょうか。くだんのブロガーにしてみれば、「エロ」などと、そのような「公序良俗」に反するような期待は、たいへん心外だったと思われます(笑) >有効利用が目的とみなされうる少々の引用は容認されるため、「悪口目的の引用に溢れた著作権違反」と明記しました。条件付けであり場合分けと考えてください。 有効利用であるか否かの条件付けや場合分けも、さて、むずかしいところです。何が「有効」なのか否か。「少々」とは、どのくらいか。 まず、「著作権違反」の問題と「悪口目的の引用」に「溢れ」ているか どうかは、切り離すべきでは ないでしょうか。 >しばらく眺めていたら、なんと私の「教えて!goo」での質問が載っていて >「教えて!goo」の投稿を転載したりリンクしたりして不快な感じのことを書いている >勝手に抜粋してブログに掲載するのは ここ、『教えて!goo』でのスレを引用し、それを もとに、いわば「ネタ」にした記事を作成することは、べつだん違反行為でも ないようでして、実際そういう内容のブログを閲覧したことが、私は あります。質問者さんも そうでは ありませんでしたか?(笑) それよりも、質問者さんは、なぜ、その「問題のブログ」中で、ご自身の質問が載っている、と判断されたのでしょうか。くだんのブログは、たしか、引用先を明記しておらなかった、ということを問題視されているのですよね? しかし、そのブログ、ご自身の質問のなかで、引用先の明記を問題視なされる前までは、どこから持ってきた誰の発言であるかということが曖昧で非常に断片的な、もちろん、個別のネームなども全く明記されておらず、これといって特定や確定は しにくい やりかたで述べられていたようですが。 むしろ、ご自身の ご質問で、引用先の明記如何に関する批判を とりあげられたことを きっかけに、くだんのブロガーが、引用先の明記を心がけるようになった、と同時に、その ご質問を通しての閲覧者数が爆発的に増加してしまったらしい、ということで、良いか悪いかは ともかく、二重の相乗効果を上げるという結果を もたらしたようです。 はたして、それによって、一番そして ますます怒りを感じることになったのは、他ならぬ質問者さん自身だったという皮肉な結果になったのでしょうか(笑) >「それこそ、、、」ではさっぱりわかりませんのできちんと書いていただけないでしょうか? >「どちらもお咎めなしのまま」のどちらもとはどちらのことでしょうか? >「何度も繰り返し」とは? 後出し条件のような補足に、しかたなく おこたえしますと、 ここの削除基準に触れてしまう懸念も生じることですので、「それこそ、、、」の あとは、今回ご質問の本文を ふり返られたうえで推測されてください。本来、そういうことは、ご自身お好みでは ございませんでしょうか? 「どちらも」、とは、ご自身の、かつての ご質問、そう、今回も引用されておられるもの、それと、おっしゃるところの「狂へる人」のブログのことです。 あとは、ご自身の質問・回答ともに履歴を ふり返られたら、「何度も繰り返し」、も思い当たるはずと思いますが。 >個人の特定とおっしゃられましてもブログという公開されたものについての質問ですから、教えて!goo内の特定ではありません。何か規則を勘違いなさっておいでですね。 『教えて!goo』内の特定ではない。そうですか。でしたら、質問者さんは、まさに、ここ、『教えて!goo』じたいは、公開されたものではないとでも おっしゃるのでしょうか? >著作権違反の通報は受理されました。たぶんそのブロガーは利用停止勧告を受けても「閉じたいから閉じる」と書くことでしょう。 そうでしょうか?そちらの通報が受理されたか どうかは知らず、「利用停止勧告」なるもの、あるいは、それに類するものも、いっさい なかったようですよ。ブロガー本人も、それなら、ということで待機しているつもりですら あったそうなのですが。マッタク、どうなっているのでしょうか?(笑) それに、すでに何日も前から、ブロガー自身「もうストップするつもり」と明言しておりましたようです。 >「いらぬ手伝い」とはどういう意味か分かりかねます。 これについては、すでに述べたとおりです。 ところで、まず驚かされたのが、質問者さんが お使いになった「制裁」というコトバです。 どういう つもりで、ご自身が権力者に なり代わったかのようなコトバを用いて、意味が あるとか ないとか云々されているのか すでに、ご自身で、それは「狂へる」人、常軌を逸している人なのである、という大前提を据えたうえで訊ねて おられるのですから、このうえ、「尋常な人」であるという大前提ならば有効に働くところの権力による制裁の意味と有効性云々なんどを問うことに、何か意義は あるのでしょうか。分かり切った質問はいたしません、と おっしゃっているにも かかわらず、ご自身の質問が、空回りしていることは、お気づきになりませんか? 失礼ながら、これまでのところの質疑応答で質問者さんが述べておられる全体に わたって、矛盾と空回りが目に つく感が しました。なんだか、非常に焦っておられるのだろうか?という印象すら持ちました。

RingQ
質問者

お礼

> くだんのブログは、たしか、引用先を明記しておらなかった、ということを問題視されているのですよね? 引用先を明記うんぬんなどの話を誰がしたのでしょうか? 著作権ですけど。 長いご投稿をありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 貞操観念という言葉について

    私はいろんな辞書を見る限り、 貞操観念=配偶者以外の男性以外と性的関係を持たないという考え=未婚処女の女性 と解釈していますがこのサイトでコメントをいただいた方や私の知人女性も 貞操観念=未婚女性の場合は、恋人以外の男性と性的関係を持たないという考え というような方が多いように思いました。 みなさんはどのように思われますか? 以下のように普段使っているが間違っていることが多い日本語のように思えました。 ソース【http://www.pluto-dm.com/book/mistake.html】 ・姑息な この言葉は、漢字から想像して卑怯だという意味にとらわれやすいのですが、間違っています。この言葉の正しい意味は、「一時しのぎの、その場のがれの」です。 ・確信犯 この言葉は、わかっていながらやるというような意味で使われていますが、本来は全く違う意味を表しています。「道徳的、宗教的または政治的義務の確信を動機として行われる犯罪」などが正しい意味です。 ・情けは人の為ならず この言葉は、情けは人のためにならないという意味ではありません。「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る」というのが正しい意味です。 ・陳腐 この言葉は、つまらないものという意味ではありません。「ありふれていて平凡なこと」というのが正しい意味です。おもむろにこの言葉は、あせって、急いでなどという意味ではありません。「ゆっくり、落ち着いた」というのが正しい意味です。 ・節操がない この言葉は、落ち着きがないという意味ではありません。節操が「信念をかたく守ること」という意味なので、節操がないは「信念がない」という意味です。

  • 今の日本では、貧困層ほど戦後の人権思想に反発する?!

    最近、私は周囲を見て不思議に思うことがあります。 貧しい家庭の出身者や、本当の意味で困った人ほど、 戦後の人権思想に反発を抱いているように感じるのです。 果たして皆さんの周りではどうでしょうか? 教えてください。          **** 現代の日本では、戦前の日本や他国と比べ、 正当防衛が非常に認められにくくなっているようです。 凶暴な万引きを死なせた店員が逮捕される事件も起きました。 また、凶悪少年犯罪の加害者の人権が過剰に保護され、 被害者の遺族には犯行場所すら教えてもらえないそうです。 もちろん犯罪者にも人権はありますが、 日本の人権思想はどこか間違った方向に行っていると、 昨今あちこちで指摘する人が増えてきました。 本来、戦後になって浸透した左翼的人権思想は、 「弱者を権力者から守る」ための思想だったはずです。 しかし現在、平和主義だの人権主義だのと唱えているのは、 教師や医者などのインテリ層や富裕層ばかりに見えます。 そういう意味で、戦後の人権思想というのは現代に至って、 ある種の「逆転現象」が起きてしまったように思えます。 私の印象としては、平和主義、人権主義はいつの間にやら、 「上流階級のファッション」と成り下がったようにも感じます。 苦労して育った人に限って、このような左翼的人権思想に対し、 ある種の恨みを持っているように見えて仕方がありません。 皆さんはこれに関してどう思いますか?

  • お墓を建てるときに地鎮祭?

    こんばんは。変な質問で申し訳ないのですが、 新しくお墓を建てるときに、家を建てるときにするような 地鎮祭とかするのでしょうか? 友人の母が先日亡くなられたのですが、四十九日前までに お墓を建立するらしく、菩提寺の住職がそれなら、基礎工事に 入る前に地鎮祭をするので、誰か身内の人は立ち会ってください。 と言われたそうです。 彼は地鎮祭というと神社がするものという固定観念があったので、 お寺がするのかなあ、と思ったそうです。 その場合、住職にはお布施などを包まないといけないのかなあ? とも言ってました。私自身もこんなことは初耳で、何も答えられませんでした。 どなたかご存知の方いませんか?

  • 人間と社会とについての用語の確認

     §1  《スサノヲ(S)-アマテラス(A)》連関  (1)  人間は 《スサノヲーアマテラス》連関主体であると思います。  《スサノヲ(S)》とは 《市民》を言い 《わたくし》の領域です。  《アマテラス(A)》は 《公民》《おほやけ》の領域です。  (2)  強いて分ければ S者(S領域)は 《精神》なるA者(A領域)に対して 《身体》です。身と心とは一体であると見ますが S者なるわたくしの運動は 一般に社会的な生活の中で自己のA者なる精神によって 記憶され知解(認識・意識)される。また 記憶にもとづき知解されたものごとを 人は身体のウゴキとともに意志する。  (3)  《S-A》連関は 《身体‐精神》および《市民‐公民》のそれぞれ連関構造となります。  (4)  わたしたち一人ひとりが 市民であることにおいて公民の領域をも担い その共同自治のための――選挙等をつうじての――役割を普通に果たすのですが 社会のなかで 外形的に・職務として 公民の役割を担う者も 制度として存在します。政治家・官僚等いわゆる公務員として《もっぱらのA者》でありこれは 《アマテラス社会科学主体》のことです。  (5)  これに対する概念は 《スサノヲ社会主体》です。一般の市民としてのスサノヲ社会主体は むろんそのままでA者・公民の役割を自己のもとに留保します。ここで 差し支えない限り 一般の市民を単にスサノヲと言ったり 従ってもっぱらの公民のことを アマテラスと簡略に呼ぶこともあろうかと思います。   (6)  次に初めに帰って S者が 身体の運動をその基礎とし A者が特にはS者に対するかたちで 精神を表わすとすると このA者は S者〔のさまざまな運動過程つまり一般に社会生活〕の中から抽象されて ある種の普遍的な概念をかたちづくるものと見られます。これを わたしたちは アマテラス概念 A概念・A語・A語客観などと呼ぶことができ これに対する意味ではS者は 主観であり 人間語です。  あやまちうるスサノヲ人間語と あやまつべからざる〔と一応考えられている〕アマテラス科学語および人格語なる普遍語です。    §2 主観としての《S‐A連関》から出発する  (7)  主観というとき わたくしなる存在が 身体(S)を基体とし 一般にその身体と連動する精神(A)を伴なっていると思われます。十全な意味での主観ないし主体とは やはり《S者ーA者連関》なる一個の存在です。  (8)  すでにここで 客観は 主観に対立すべきものではなく 主観の中にあって主観により把握されたものであり 主観から表現(=外化=疎外)されたときにも それを主観・主体が 用いるべき概念だということに注目しておくことができます。  (9)  このA語客観が 自己からまさに疎外されたかたちの概念は ことに《観念》であると見ます。もしくは それが初めに一応 客観であったことより 《共同の観念》であると見ます。 現実性あるいは特に知覚という事実性から離れた概念のことです。  (10)  主体的な生きたA語客観は おのおのの主観として殊に《共同主観(common sense=常識)》であると考えます。より正確には この常識=共同主観は 生活ないし行為そのものを言うほうがふさわしく これをA語客観でとらえたものは その何らかの思想的な形態または理論というほどの意味です。  (11)  主観が 社会的に共同化されて共同主観となるばあいには このようにS者がA者(A語・A概念)をとおして生活の共同性を見ている・築いているということであり この共同性が協働性を含むことは 言うまでもありません。    §3 共同主観と共同観念  (12)  さらに このA者(A語・A概念・A語客観)は それだけを取り出すときには 精神をちょうど言葉によってのみ捉えたというように単なる観念であり あるいはそこから観念的な現実というまでのものになりえます。想像の領域です。  (13)  たとえば 《和(やわらか)》とは まず肉眼でとらえうる・そして感性で理解しうるモノ(質料)や身体(質料より成る)のそのような一つの属性である。しかるに 《和を以って貴しと為す》というときの《和》は すでに 観念であり共同観念であります。それは S者・身体の運動から切り離しても 語ったり論じたりするからです。つまり 抽象的でもあります。  (14)  したがって 初めに 素朴にあたかもムラ(村)イスムなる共同の生活において この《和》が 主体的に・つまり《S者ーA者連関存在》おのおのの行為をとおして 過程的・現実的に見られるとき それは すでに言った共同主観であります。  (15)  これが ある種の仕方でこれらの現実から切り離されて 掟・道徳・律法などとして論じられ 規範的にも訴えられるとき それは 共同の観念 観念の共同性 つまり共同観念をつくりあげることが 可能です。  (16)  この別種の《常識》は あたかも第二次的な・仮象的な共同主観であり たとえば《ムライスム》と名づけられる以前に存在する常識が 感性的で・かつ主体的な共同主観であったとするなら このムライスムと名づけられた語・概念・客観じたいが 共同観念ということになるでしょう。  (17)  共同主観は より一層S者市民的であり これに対して共同観念は A語客観的であることによって ムライスム(《和》)あるいは ナシオナリスム(《大和=やまと》)といった次元で 社会的です。  (18)  しかも共同観念は 必ずしも感性的でないことによって観念的であり 時に幻想的となりえます。観念的・幻想的な共同性が 感性的でないと言っても あたかも慣性の法則によってのように 情緒的・情念的となりえないとは言えません。もともとは S者・スサノヲ語に発しているのですから。  (19)  もっとも 第一次的な・生活日常的なスサノヲ者の寄り集まるムラ〔イスム〕の次元での 感性的なつながりと そして 第二次的でより多く非日常性の機会に接するナシオン(ナシオナリスム)の次元でのそれとは 基本的に異なる。  (20)  つまり 後者での感性的なつながり(たとえば愛国心)は むしろ スサノヲ者の感性とは 一たん基本的に切れているから そのナシオナリスムといった共同の観念が すでに外から・または上から一人ひとりのスサノヲ者に おおいかぶさって来るというようなしろものです。  (21)  また 第一次の共同主観を その第二次的なものである共同の観念の中で 理念的に――つまり A語客観精神においてということですが――保ち これを表現したものが 憲法をはじめとする法律であるかとも思います。これは 共同観念である限り やはりおおいかぶさって来るものにちがいないのですが 理性的に――経験合理的に――スサノヲ者の内面において ほぼそのまま見出されるそれであるということになるでしょうか。    §4  記憶・知解・意志(愛)  (22)  身体の運動なるS者に対する A者=精神のうちの《記憶〔行為〕》は 言わばわれわれの精神の秩序であり 存在の内なる組織であります。  (23)  同じく《知解行為》は 記憶の倉庫から概念をみちびき出すかのようにして ものごとを知解する。すなわちそれはそのまま 労働・生産行為へとつながってゆくものと思います。社会的な生活のなかで これらが働くとまず初めに見たのですから。  (24)  何を・どのように生産するかそして生活するかは 同じく第三の行為能力である《意志》に基づくでしょう。  (25)  精神の秩序たる記憶行為に基づいて 意志はまず 自己の愛(つまり愛とは 自治のこと)であり 労働・協働の場においては それぞれの《自己の愛》の意志共同というほどに 経営行為につながるでしょう。また《記憶》の共同性は この生産・経営の態勢(会社)における組織行為にかかわります。  (26)  記憶し知解し意志するワタシたる《S-A連関主体》は――もし経済活動が 現実の生活の土台であるという限りでは―― このように《組織-生産-経営》の共同(協働)性の場で 先の共同主観を形成しつつ生きることになります。  (27)  また 第二次的に〔あたかも この初発の共同主観の古くなったものの残像であるとか それらの社会なる鏡に映ったA語概念としての古い掟であるとかといったように つまりはいわゆる前例・先例としてのように〕観念の共同を ある種不可避的に持ちつつ やはり生活を送ります。  (28)  従って言いかえると 一般に新しい共同主観と旧い共同観念との葛藤関係のなかで人は 生きることになります。  (29)  新しい共同主観は 一般に S者・市民の中から生起します。共同観念を保守しようとするのは 一般に公民たるA者です。それぞれそのように生活しています。  (30)  そこでこの区別のかぎりでは 社会形態(国家のことです)は S者の共同体である市民社会と A者の共存圏である狭義の社会形態とから成り立つと考えられます。それぞれを S圏(スサノヲシャフト)とA圏(アマテラストゥーム)というふうに呼ぶことにしたいと思います。象徴はアマテラシテです。  全体としてちょうど二階建ての家を形成しています。  (31)  以上のように人間と社会とをめぐって自己了解した図柄をえがきました。つまりこのような用語をつかって人間と社会とをあつかって行きたいと思いますが いかがでしょうか。

  • 人間と社会についての用語を新しいものへ

     §1  《スサノヲ(S)-アマテラス(A)》連関  (1)  人間は 《スサノヲーアマテラス》連関主体であると思います。  《スサノヲ(S)》とは 《市民》を言い 《わたくし》の領域です。  《アマテラス(A)》は 《公民》《おほやけ》の領域です。  (2)  強いて分ければ S者(S領域)は 《精神》なるA者(A領域)に対して 《身体》です。身と心とは一体であると見ますが S者なるわたくしの運動は 一般に社会的な生活の中で自己のA者なる精神によって 記憶され知解(認識・意識)される。また 記憶にもとづき知解されたものごとを 人は身体のウゴキとともに意志する。  (3)  《S-A》連関は 《身体‐精神》および《市民‐公民》のそれぞれ連関構造となります。  (4)  わたしたち一人ひとりが 市民であることにおいて公民の領域をも担い その共同自治のための――選挙等をつうじての――役割を普通に果たすのですが 社会のなかで 外形的に・職務として 公民の役割を担う者も 制度として存在します。政治家・官僚等いわゆる公務員として《もっぱらのA者》でありこれは 《アマテラス社会科学主体》のことです。  (5)  これに対する概念は 《スサノヲ社会主体》です。一般の市民としてのスサノヲ社会主体は むろんそのままでA者・公民の役割を自己のもとに留保します。ここで 差し支えない限り 一般の市民を単にスサノヲと言ったり 従ってもっぱらの公民のことを アマテラスと簡略に呼ぶこともあろうかと思います。   (6)  次に初めに帰って S者が 身体の運動をその基礎とし A者が特にはS者に対するかたちで 精神を表わすとすると このA者は S者〔のさまざまな運動過程つまり一般に社会生活〕の中から抽象されて ある種の普遍的な概念をかたちづくるものと見られます。これを わたしたちは アマテラス概念 A概念・A語・A語客観などと呼ぶことができ これに対する意味ではS者は 主観であり 人間語です。  あやまちうるスサノヲ人間語と あやまつべからざる〔と一応考えられている〕アマテラス科学語および人格語なる普遍語です。    §2 主観としての《S‐A連関》から出発する  (7)  主観というとき わたくしなる存在が 身体(S)を基体とし 一般にその身体と連動する精神(A)を伴なっていると思われます。十全な意味での主観ないし主体とは やはり《S者ーA者連関》なる一個の存在です。  (8)  すでにここで 客観は 主観に対立すべきものではなく 主観の中にあって主観により把握されたものであり 主観から表現(=外化=疎外)されたときにも それを主観・主体が 用いるべき概念だということに注目しておくことができます。  (9)  このA語客観が 自己からまさに疎外されたかたちの概念は ことに《観念》であると見ます。もしくは それが初めに一応 客観であったことより 《共同の観念》であると見ます。 現実性あるいは特に知覚という事実性から離れた概念のことです。  (10)  主体的な生きたA語客観は おのおのの主観として殊に《共同主観(common sense=常識)》であると考えます。より正確には この常識=共同主観は 生活ないし行為そのものを言うほうがふさわしく これをA語客観でとらえたものは その何らかの思想的な形態または理論というほどの意味です。  (11)  主観が 社会的に共同化されて共同主観となるばあいには このようにS者がA者(A語・A概念)をとおして生活の共同性を見ている・築いているということであり この共同性が協働性を含むことは 言うまでもありません。    §3 共同主観と共同観念  (12)  さらに このA者(A語・A概念・A語客観)は それだけを取り出すときには 精神をちょうど言葉によってのみ捉えたというように単なる観念であり あるいはそこから観念的な現実というまでのものになりえます。想像の領域です。  (13)  たとえば 《和(やわらか)》とは まず肉眼でとらえうる・そして感性で理解しうるモノ(質料)や身体(質料より成る)のそのような一つの属性である。しかるに 《和を以って貴しと為す》というときの《和》は すでに 観念であり共同観念であります。それは S者・身体の運動から切り離しても 語ったり論じたりするからです。つまり 抽象的でもあります。  (14)  したがって 初めに 素朴にあたかもムラ(村)イスムなる共同の生活において この《和》が 主体的に・つまり《S者ーA者連関存在》おのおのの行為をとおして 過程的・現実的に見られるとき それは すでに言った共同主観であります。  (15)  これが ある種の仕方でこれらの現実から切り離されて 掟・道徳・律法などとして論じられ 規範的にも訴えられるとき それは 共同の観念 観念の共同性 つまり共同観念をつくりあげることが 可能です。  (16)  この別種の《常識》は あたかも第二次的な・仮象的な共同主観であり たとえば《ムライスム》と名づけられる以前に存在する常識が 感性的で・かつ主体的な共同主観であったとするなら このムライスムと名づけられた語・概念・客観じたいが 共同観念ということになるでしょう。  (17)  共同主観は より一層S者市民的であり これに対して共同観念は A語客観的であることによって ムライスム(《和》)あるいは ナシオナリスム(《大和=やまと》)といった次元で 社会的です。  (18)  しかも共同観念は 必ずしも感性的でないことによって観念的であり 時に幻想的となりえます。観念的・幻想的な共同性が 感性的でないと言っても あたかも慣性の法則によってのように 情緒的・情念的となりえないとは言えません。もともとは S者・スサノヲ語に発しているのですから。  (19)  もっとも 第一次的な・生活日常的なスサノヲ者の寄り集まるムラ〔イスム〕の次元での 感性的なつながりと そして 第二次的でより多く非日常性の機会に接するナシオン(ナシオナリスム)の次元でのそれとは 基本的に異なる。  (20)  つまり 後者での感性的なつながり(たとえば愛国心)は むしろ スサノヲ者の感性とは 一たん基本的に切れているから そのナシオナリスムといった共同の観念が すでに外から・または上から一人ひとりのスサノヲ者に おおいかぶさって来るというようなしろものです。  (21)  また 第一次の共同主観を その第二次的なものである共同の観念の中で 理念的に――つまり A語客観精神においてということですが――保ち これを表現したものが 憲法をはじめとする法律であるかとも思います。これは 共同観念である限り やはりおおいかぶさって来るものにちがいないのですが 理性的に――経験合理的に――スサノヲ者の内面において ほぼそのまま見出されるそれであるということになるでしょうか。    §4  記憶・知解・意志(愛)  (22)  身体の運動なるS者に対する A者=精神のうちの《記憶〔行為〕》は 言わばわれわれの精神の秩序であり 存在の内なる組織であります。  (23)  同じく《知解行為》は 記憶の倉庫から概念をみちびき出すかのようにして ものごとを知解する。すなわちそれはそのまま 労働・生産行為へとつながってゆくものと思います。社会的な生活のなかで これらが働くとまず初めに見たのですから。  (24)  何を・どのように生産するかそして生活するかは 同じく第三の行為能力である《意志》に基づくでしょう。  (25)  精神の秩序たる記憶行為に基づいて 意志はまず 自己の愛(つまり愛とは 自治のこと)であり 労働・協働の場においては それぞれの《自己の愛》の意志共同というほどに 経営行為につながるでしょう。また《記憶》の共同性は この生産・経営の態勢(会社)における組織行為にかかわります。  (26)  記憶し知解し意志するワタシたる《S-A連関主体》は――もし経済活動が 現実の生活の土台であるという限りでは―― このように《組織-生産-経営》の共同(協働)性の場で 先の共同主観を形成しつつ生きることになります。  (27)  また 第二次的に〔あたかも この初発の共同主観の古くなったものの残像であるとか それらの社会なる鏡に映ったA語概念としての古い掟であるとかといったように つまりはいわゆる前例・先例としてのように〕観念の共同を ある種不可避的に持ちつつ やはり生活を送ります。  (28)  従って言いかえると 一般に新しい共同主観と旧い共同観念との葛藤関係のなかで人は 生きることになります。  (29)  新しい共同主観は 一般に S者・市民の中から生起します。共同観念を保守しようとするのは 一般に公民たるA者です。それぞれそのように生活しています。  (30)  そこでこの区別のかぎりでは 社会形態(国家のことです)は S者の共同体である市民社会と A者の共存圏である狭義の社会形態とから成り立つと考えられます。それぞれを S圏(スサノヲシャフト)とA圏(アマテラストゥーム)というふうに呼ぶことにしたいと思います。象徴はアマテラシテです。  全体としてちょうど二階建ての家を形成しています。  (31)  以上のように人間と社会とをめぐって自己了解した図柄をえがきました。つまりこのような用語をつかって人間と社会とをあつかって行きたいと思いますが いかがでしょうか。

  • 表現の自由が人権侵害することはないか?

    表現の自由が人権侵害することはないか? 哲学上の問題ではないのですが、ここは、モノゴトを徹底的に考える方が集まっていると思うので、質問させて頂きます。 先週日曜日のテレビ番組、サンデーモーニングで江川さんと張本氏が衝突し、張本氏がTBSに圧力をかけて江川氏を番組から降板させたというので、ブログ管理人が張本氏とTBSを批判しています。批判理由の1つに管理人は、(江川氏の)表現の自由ということを上げています。 リンク→http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2010-06-19#comments 表現・言論の自由がなく抑圧された歴史が日本にはありますから、「表現の自由」などと言われたら、それに異を唱える気力が失せてしまいます。 しかし、私はちょっと違う気がするんですね。文学作品とか政治的発言は自由な発想で表現しても問題ないと思いますが、表現の自由が個人に向かうとき、それが「人権侵害」になる時があるのではないかと思っています。 例えば、職場で上司が部下を怒鳴るというのは「パワハラ」であり、「重大なる人権侵害」であると法務省が言っております。パワハラの定義は、権力や地位を利用した・・・などとどこかで読んだことがあります。じゃあ、道端で赤の他人に怒鳴った場合、怒鳴られた人がひどく傷ついた場合、これは人権侵害ではないのか?精神的ダメージを受けたのですから、職場とか上司に関係なく、これも「人権侵害」だと私は思います。 今回の場合だけでなく、江川氏は以前からこういう張本氏に対する「絡み」はよくやっていました。野球に対して哲学と信念を持っている張本氏は、彼女のそういう行為を、非常に不愉快な「嫌がらせ」「いちゃもん」のように感じていたのでしょう。スタジオで議論するのは、彼の仕事ではないし、彼の性分ではないので、番組外でTBSにお願いしたのだと思います。それを、管理人は「圧力」だと批判していました。 張本氏が彼女のいつもの「絡み」に非常に不愉快なものを感じていたのは事実だと思います。これは「人権侵害」には当たらないのか?娯楽番組なんだから、張本は「大人気ない」と彼を批判する人が多いように思います。しかし「人権」というのは時代や体制に関わりのない、一番上位にある価値観だと私は思っています。娯楽番組だからという価値観を人権の上位においていいのでしょうか?娯楽番組の中で、マジメに信念を通す権利はないのでしょうか?そうしたらマズイのでしょうか? 実話ですが、ある日本在住のスペイン人が日本で働いていて職場で、しばしば日本の慣習やり方に合わないので周囲の日本人に非難される。「ここは日本なんだから、日本のやり方に従え」と。すると彼女は必ず言い返しました。「でも、私はスペイン人よ」と。ここは娯楽番組なんだから、番組のやり方に従えという声が多いようにみえます。 私自身、まだ頭の中で色んな価値観がこんがらがっていて、スッキリした結論が出せずにいます。皆さん方、論理的に明快な考え方がありましたらどうか教えて頂きたく思います。

  • 「は虫類」と「キツネ」の目つきをした人の動物的波長

    【1】 「目は人格や人となりを表す」とよく言われますが、 皆様はこれを信じますか? 【2】 「は虫類」と「キツネ」の目つきを 足して2で割ったような独特な目つきの人といえば、 どのような人格の人をあなたは想像しますか? ***** 私は【2】ような人と何度か出会ったことがあります。 あくまで当方の主観的・経験上の話ですが、 たとえば、こういう実業家とか(以下質問文参照)に、 http://okwave.jp/qa/q6831522.html このような「異様な目つき」の人が多く、 この人達からは不思議と独特な動物的波長を感じます。 ちなみに上の野郎は、学生時代は左翼運動をしていて、 「人権だ平等だ」などと偽善ばっかり言っていて、 社会に出て自分が権力を手にした途端に 思想を180度コロリと変えた典型的な【仮面左翼】です。 ※オイラとは動物的にどうしても合わない。 この独特の「波長」の正体は一体何なのでしょうか? 生物学者に聞いても、 現段階では科学的に説明することは不可能である、 とのことでした。 (であれば、ここで聞いても仕方ないのだけれども、  皆さんの経験について質問をしたいと思います。) また、こういう法律家(以下質問文参照)もいましたが、 http://okwave.jp/qa/q7544129.html 上記とは全く別な独特の「傲慢な目つき」をしています。 (しかし、上の野郎とは違い、このクソジジイからは、  独特の動物的波長や生理的嫌悪感は感じなかった。)

  • 総じて人間の女性の肌のほうが白いのは

    根拠はありません。でもどうも日本人(あるいは他国でも)主観的に子供や若い女性の肌は、同年代の男性に比べて肌が白い人が多いと思います。それは毛深さや日に焼かれるという影響以外の、オリジナルな白さがあると思うのです。 この主観が間違っていたら意味ないのですが、もしそういう傾向がいえるとしたら、何でなのでしょう。

  • 人を殴ったことに対する制裁について

     先日、下階のアパート住人と口論となり、その人を殴ってしまいました。口論から被害を及ぼすまでの原因・流れは不明ですが、加害者は自宅にて友人と酒を飲み騒ぐ機会が数回あり、その都度、下の住人(被害者)ともめていたようです。加害者は警察にも注意を受けています。  被害を与えた後、謝罪をしましたが、被害者の怒りはおさまらず、慰謝料として100万円用意しろと言われました。(被害者、加害者共に大学生です。)加害者は、つい先日就職の内定も決まり、親に足を運んでもらい被害者に数回謝罪をしましたが、被害者は一向に要求を変えず、慰謝料を支払わなければ訴訟を起こすと言いました。  そこで、下記を教えてください。 1.訴訟を起こされた場合、どのくらいの制裁が加害者に与えられるでしょうか。いくらくらいの慰謝料でしょうか。(なお、被害程度の詳細はわかりませんが、成人男性が同年代の男性をグーで顔を殴ったことと考えてください。なお、数週間経った今は被害の形跡はまったくありません。) 2.就職の内定取り消しの可能性は高いのでしょうか。(半公務員程度の就職先と考えてください。) 3.被害者から加害者の内定先へ密告等された場合、逆に訴えることはできるのでしょうか。 4.被害直後でない今、訴訟は成立するのでしょうか。(なお、被害者は診断書を持っているみたいです。) 5.加害者の立場を考えた場合の最良の終結は何でしょうか。また、その方法はどうすればいいのでしょうか。

  • 好きだけどセックスしたくない

    こんにちは。わたしは20歳の女子大生で、付き合って3ヶ月になる彼氏がいます。 いまどき古臭い考えかと思いますが、わたしは結婚するまでセックスしたくありません。 小さい頃から親に貞操観念についてしっかり話されていて、「あなたを無傷(というと語弊がありますね。すみません)で旦那さんのところに送り出すのが、お父さんとお母さんの務め」だと言われてきました。わたし自身、彼氏が出来てもセックスとは別だと思ってきました。 今彼氏とは手を繋いで歩く程度までしか進展していませんが、 彼氏が出来てあんまりすぐに“セックスする・しない”を話すと意識過剰な気がするし、あんまり土壇場で言っても「遅いよ!」って成ってしまいそうだったので困っていました。 先日「次のデートのときにはもう少し進んだこと(=キス)したい」みたいなことを言われたので、結婚するまでセックスをしたくないんだ、と話しました。 当然彼氏はびっくりして、「少し考えさせてほしい」と言いました。「俺はお前のことをもっと知りたいし、そのためにセックスもしたい」みたいなことを言われましたが、わたしは、彼氏を好きとか知りたいとか以前に、「結婚するまでセックスしない」と言う信念があるのです・・・。 実際キスまでしてセックスはしない、という選択肢もあるかもしれませんが、だらだらとA→B→Cと進んでしまいそうで怖いのです。そしてキスやセックスをしてしまうと親を裏切ることになりそうで、無理なのです。 男の人には女にはわからない欲望が有って、それはわたしを愛してくれてるからこそだというのは解っています。まだ彼氏から連絡はありませんが、このせいでふられる事になってしまうのかなぁと思っています。仕方ないとも思います。 でも、好きな人と付き合っていてもセックスなし、というのは本当に無理なのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • Bluetoothキーボードの故障原因と対処法を解説します。LEDが点灯後、すぐに落ちてしまうという現象の原因はバッテリーではない可能性があります。対処法として、スイッチの異常や接続の問題をチェックしてみましょう。
  • Bluetoothキーボードの故障原因と対処法について解説します。LEDが点灯するがすぐに消えるという現象が起きた場合、バッテリーの交換だけでは解決しない可能性があります。スイッチや接続状態などを確認して原因を特定しましょう。
  • Bluetoothキーボードの故障原因と対処法を紹介します。LEDが点灯後、すぐに消えるという問題が発生した場合、単純なバッテリー交換では解決しないことがあります。スイッチや接続状態を確認して問題の原因を見つけましょう。
回答を見る