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ヘンリー・ミラー

安全な道を求める人は、痛みを与えることのない義手義足に取り替えるために 自分の手足を切り離す人みたいなものである。 私は、この格言に何か感じるものがありました。 自分なりにこの言葉の意味を考え、調べましたが まだもっと深い見解を持っている方がいるのではないかと思い ここに書きました。 回答お願いします。

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noname#118718
noname#118718
回答No.1

こんにちは。 うーん。こういう名言の類は幾らでも解釈できますねw 味わい深い。 ・「安全な道を求める人」=「安全な道をすすむ人」ではないこと ・「手足の感覚的痛み」と「切り離す痛み」のどちらを優先するかということ ・「手足の感覚的痛み」と「義手義足の不便さ」のどちらを優先するかということ ・「道を進む」と「義足で進む」を暗に重ねて表現していること ・「安全な」と「痛みを与えることのない」を暗に重ねて表現していること 以上から、 都合の悪い情報や不安から心理的に自分をまもる為に自己欺瞞を行い安心を感じることはできるが、不安を直視し正しい判断をして危険を避ける習慣をつけるほうがより根本的に不安感を制御することができる。 この他にもいろいろな解釈が可能だと思います。

noname#92245
質問者

お礼

なるほど、感銘を受ける解釈でした。 お力添え本当にありがとうございます。

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