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吉本隆明のオウム麻原彰晃賛美について
吉本隆明氏が、オウム真理教の麻原彰晃を高く評価していたという話を聞いたのですが、 具体的にどのような論調で讃えていたのでしょうか。ぜひ教えてください。 戦後最大の思想家と呼ばれる人物がそういった見地でいることにとても興味を惹かれます。 また、サリン事件が発覚した後も麻原個人に対してのリスペクトは変わっていなかったようですが、 その後さらに時間が経ってから何か吉本隆明氏は何か麻原に関わる発言などはされていますでしょうか?
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[amariniさんはこの問題をWebで質問するのはいけないという論調ばかりで質問にはやっぱり殆ど答えてくれませんね。]。→違います。回答そのものですし、ネット活用論などひと言も出ていません。ずらさないようにしてください。大いに質問したらいいしどんな解釈もありえますが、そのためには質問の中にある極端な思いこみと回答誘導をやめないと回答者が質問者さんの都合の良い仲間か、邪魔する側かに二分されてしまいます。それで市販書籍としていくらでも出ていますから検証してみてその行動において自分流の解釈をもつしかないと回答しているのです。読み返してください。メディアその他には誘導的なアンケートが多いものですが典型的に質問者さんの質問は間違いとそれを回答者に共有させようという誘導的な要素がありますので、そういう公私どちらでもない無責任言語はやめないと、「やはりあいつは敵だ」という質問者さんの最初から用意されている正解を強化するだけです。最初のご質問に含まれる間違いをそこまで正すまいと固執しておられるこは別の興味がわきます(質問したい動機がありそうだと)。質問者さんの誘導的な方向付けや思いこみの世界観をたださないために、私の回答に満足できないどころか「答えていない」と引き戻されてしまう。逆に質問者さんの誘導と思いこみに沿ってしまうと、裏側にもっておられるらしい質問者さんの固執した地点に回収されるようになっています。どうしても「私は麻原の批判者ー擁護者である。それを擁護した吉本隆明の批判者ー信者である」と書かれた踏み絵を踏ませた上でないと、質問者さんに適応する回答にならないしかけになっているのです。そういうメディア(個人でも公でもない)的な煽動はストップ!
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- amarini
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リスペクトというのがそもそもレッテルだと思いますが、ともかく私なら自分で読んで自分の責任をとれる範囲内で麻原なり吉本なりを批判したいならやるでしょう。そのまえに書物にあたって、吉本氏ほどの人がなんでこんな薄気味悪いやつを、どんな意味合いで評価したのかと考えるでしょう。また彼らがどうして特殊な集団を作って世界消滅という方法で世直しをしようとしたのか、探るでしょうね。だんだん社会も政治もぐらぐらしているような時期は、善悪という基準をいったん信仰からはずして、自力で実地で調べるしかないのでは? そしてこういう匿名的な手段をつかって、反感や怨恨の同盟を作ってはならないわけです。でないかぎりうわさの共同体を脅かす悪魔か、救ってくれる聖者が、裏表反転した形で周囲からよみがえってくるでしょう。吉本隆明は質問者さんが五十年ぶりにもちだしてきたように、教祖的なシンボルを求める多数の過激派世代の心情を引き寄せました。ところが吉本氏は自力で調べ考えること以外の共同行動は見かけ上正義の仮面をとっているときほど全否定ですから、突き放されたと思い込んだ若者はシンボルをへし折られてアンチ吉本になったと思います。その怨恨はまだ今もひきずって麻原のような殺人鬼を擁護して世論と敵対とした、風な思い込みの環境を作っているのでしょうね。
お礼
吉本氏は殺人鬼を擁護して世論と敵対とした。この構図をアンチ吉本達は怨恨により作り上げたのだという考えは、現実に一部あったにせよ、そんな単純な区分けは現在この問題に全く関係ないのでは? 私は何度も言うとおり、アンチ吉本隆明たちの吉本氏に対する感情論について分析がしたいのではないのです。 ただ、amariniさんはこの問題をWebで質問するのはいけないという論調ばかりで質問にはやっぱり殆ど答えてくれませんね。 しかし、amariniさんのご意見を通して吉本氏の思想の一端に触れることはでき、それは大変勉強になります。 それにご意見は一面ではごもっともだと思います。Webのようなコミュニケーションが安易にできる媒体では、玉石混交ある情報の取捨選択には慎重であるべきです。 しかし、ネットの活用論についてはこの問題の本義ではありません。
- amarini
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私は本に書いてあるし書いてあるところから読み取るしかないと言っている訳です。ネットで誰かに聞いて安心できるような事柄なら、それほど固執することもないでしょうが。「吉本隆明氏は自身のオウム理解について未だはっきりと答えを出していないと解釈してしまいそう」という「解釈」があるならそれで質問者さんはご自分の解答があるわけです。不可可なのは吉本、麻原の文言に当たらずにそういう「解釈」が可能だと考えたり、吉本隆明が麻原を全面的に「リスペクト」「賛美」したとか、つづけて「左翼活動家」だったかのようにいうことは、二人に迫ることが絶対に不可能な、風評ばかり信じたり、流したりしているマスコミや庶民という第三者の立場にしがみついていることにしかならないと思います。そのあやうい方向が現実社会の実態から離れて、観念の中で大きくなると、新々宗教や薬物のまん延にもっとも大きく口を開いていく切っ掛けになるでしょう。答えを避けているという誤解(答えを含んだ全体について話している筈ですが)一つだけ言うと、地下鉄サリン事件が前代未聞の事件で、なんとかの原理主義の人たちが何かの信条のもとに市民を殺すというレベルをも越えて、市民を成仏(転生)させることイコール消滅させること、という段階にまでつめて実行したあの事件は20世紀最大かもしれない程度に意味づけていたことと、それが、仏教以前の原始的な要素をもつ教義とヨガの修行の体系をもっている麻原のバカに出来ない全教義のなかの人間の生命を軽視する傾向が、結合したのが、バブル経済まっただ中の世紀末の市民社会と自民党と社会党が手を結んで政権を作ったり、元「左翼活動家」や宗教研究家がテレビに出てきて市民の正義を守るためなら警察のやりすぎくらいたいしたことではないと、リンチまがいのオウムたたきをしていたという政治経済の全状況においてだったことをさまざまに述べていました。が、なんども言いますが自分で読み取ってください。風評(やつは悪魔だ邪教だ、といった程度の)やテレビの視聴者的な場所(それらが麻原の集団性をつくりだした原因の一つかも知れない)から抜け出て自分で検証するということにつながるはずです。
お礼
私は吉本氏が「全面的に」麻原をリスペクトしていた、なんて断言していませんよ。何しろ吉本氏の麻原に関する言行でどんな物があるのでしょうか、と質問しているくらいですから・・・。 amariniさんの吉本氏が麻原を肯定する発言をしていた、ということを考える事がすなわちマスコミや庶民という第三者の立場にしがみつくことになるという考えは極端過ぎるように思えますね。 オウムの暴力行為は原始的な宗教観に通ずるものがあるという分析はとても興味深いものがあります。吉本氏はこれを悪人正機の考えにも通じているという発言もあったと思います、これはちょっとまだ理解ができていない部分ではありますが。 しかし当時の新興宗教ブームについてもっとシリアスな考察をしていった方がいいのかもしれませんね。
- amarini
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誤解されていますが「麻原」がサリン事件を指示していた(であろう)ことは疑えそうもない(だから法的に裁かれる)ことと、何を考え表現してきたかは別次元だということです。ハイデガーがナチスに加担したといったことの現実の意味と、彼が何を考え表現してきたかは別次元につめて、それから最後にまた結びつけるべきでしょうね。すべての宗教家の元や、思想家たちが被告席に列席することになります。吉本氏が麻原のメガレベルの危険性は、新左翼程度のレベルの暴力性を、極端に拡大して、町の中に浸透させる本物の毒性があることを論じてきたので、これを第三者の見物人の席から、彼をヤクザの頭目みたいにして済ませたつもりになってはならないこと、見物人的考え方が増えるほど何度でも麻原的な毒は復活することを話しています。口をつぐんだとか「左翼活動家」だったとか、誰に吹き込まれたのか? 事実を自分で確かめないことを前提に個人名をあげてネット上で放言していることになっています。
お礼
麻原の犯罪(とされる)行為は麻原(オウム)の思想のもと行われたものです。 私は麻原の思想活動の結果行われた犯罪についての見解を、司法的な立場から理解したいのではありません。 その犯罪に至る麻原の思想と、吉本隆明の思想のうちどの部分が共鳴しているのか、 また吉本氏は自身の麻原への解釈を、サリン事件後にどのように分析し、そうして公の場でどのようにそれを表現しているのかを知りたいのです。 麻原的な毒というと、吉本氏は麻原の思想のどこかは毒であると解釈しているのでしょうか? (amariniさんは個人の思想と犯罪は分けられるべきとのお考えのようですので、この引用も思想の方に毒があるという解釈で引用されたのだと思います) また、amariniさんはかなり吉本氏に理解のある方のようですが、私の質問をなぜか放言と一方的に断ずる一方で、 ご意見の中に肝心の質問内容への回答となる部分が殆ど無い所をみると、やはり吉本隆明氏は自身のオウム理解について未だはっきりと答えを出していないと解釈してしまいそうです。 しかしamariniさんのご意見はとても勉強になります。私も麻原を単なるヤクザの頭目と認識して切り捨てるのではなく、彼とその教団、それに従う信者を産み出した思想と、その背景となる社会の方に着目すべきだと思います。 そういう意味で、戦後日本社会で知の巨人と言われた吉本氏が、当時麻原を賞賛していたという事実はかなり大きいものだと思わざるを得ません。
- amarini
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否定的な断言をする時には、最低限まず自分で吉本隆明の書物を読み込んで(多数市販されています、図書館にもあります)、吉本氏が数十年追求してきた宗教や思想についての問題意識と、そこから出てきた麻原やサリン事件についての考えをごじぶんで徹底して追求することが先です。本質的に麻原やかの宗教団体を「越える」(糾弾する前に)にはどうすべきかだけが吉本隆明の問題意識で、口をつぐんだというのはとんでもない虚言です。麻原評価については、マスコミでもてはやされていた時期にもっともはじめに麻原のアジア的、スターリン的な駄目さ加減について論じています。サリン事件当時、世情マスコミが麻原イコール「犯罪者」と、法の審判の前に、その言論や考えをとりあげること自体を封殺するファシズム状況になってしまったことに異論を提示し、サリン事件を論じること、麻原の「論じたこと」を取り上げ宗教思想の中で位置づけること、それと近代法のもとで裁かれること、もうひとつ被害者の当事者の問題、これらをすべて分離した上で論じてきました。もっともだめなのは、野次馬が「被害者加害者の二者構造」にいつのまにか第三者の位置に入り込んで、公的な正義を振りかざすことで、あたかも被害者の近くにいるようでいて、典型的に公権力の代弁者の場所にすべりこんでいることです。かつて新左翼活動家だった知的人種がみな、リンチと内ゲバで社会から追い出された経験を持ちながら、オウムたたきの時期に、いつのまにか世論の代弁者になって、その論壇の場所から、じぶんの故郷である新左翼を引き継いだ新新宗教を秩序破壊者として公権力と同じ位置から糾弾しているのをみて、「鬼畜米英」的な貧困な発想が変わらないものだと思いました。
お礼
否定的な断言をする前に吉本隆明をもっと調べるべきというお言葉、ごもっともだと思います。 ただ私は否定的な断言をしたいのではなく、吉本隆明の麻原評価についてもっと知りたいのであって、そして自身のナマの感想を書いた上で皆さんのご教授を募集しているのです。 麻原をマスコミがもてはやしていたというのは初耳ですが、(バラエティなどで取り上げて面白がっていたのは知っていますが・・・) そのもっとも早い時期に吉本隆明がオウムを批判していたというのは興味深いですね! オウムの犯罪と麻原の思想は別として論じてきたというのは、ネットで言説を探してきた中でもありましたね、オウムの犯罪は許せないが、麻原は類稀な宗教人であることに変わりはないと。 しかしその部分でも疑問点はあります、オウムを否定したら日本の仏教は浄土系以外全て許されなくなるといった発言や、または麻原崇拝と天皇崇拝を同列として論じている部分についてです。なんとなく苦しい言い訳、というように感じたものですから。 また、amariniさんはそういった第三者の正義の暴力について語っておりますが、かつての左翼活動家が新左翼を引き継いだ新新宗教を糾弾するというのは面白いですね。私はなんとなく、かつての学生運動には暴走族と似たような不健康な群集心理の精神性を感じてしまいます。 吉本隆明氏も、オウムのサリン事件は左翼の反体制活動を超えるものだとある種賛嘆するような発言があったと思います。 吉本隆明の左翼活動家としての考えとオウムの宗教的犯罪行為に発展する思想にはどのような接点があるのかも興味深いです。 また、オウムの宗教性やamariniさんが言われたようなイデオロギー的な思想性についても それらを分析するには麻原の教えとオウムの犯罪行為とは分断して考えることは出来ません。 そして吉本隆明氏はそれらについての答えをまだ公には出してないと思います。(すみません、もしかしたらどこかで発表しているのかもしれませんが、勉強不足で・・・) 当時のマスコミの狂乱振りは凄かったですが、それで口をつぐまざるを得なくなったのでしょうか?
- 来生 自然(@k_jinen)
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ご質問をみて、私自身興味が生じたので、少し調べてみました。 といっても、20分程度ネット上ですので、hatena1984様も既にお調べ済みかと思われますが、前半部分に関するURLをリストアップしておきます。 http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/733.html http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/734.html http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/734.html http://www.asyura.com/sora/bd5/msg/736.html http://reela39.hp.infoseek.co.jp/shops/81seisi.htm http://homepage1.nifty.com/yumiyama/essay/aum01.htm
お礼
回答ありがとうございます。 提示いただいたアドレスの4段目は正に私が探していた内容でした、貴重な情報ありがとうございます。 中沢新一氏もそうですが、やはりこういう文章を見ると、当時オウムを賞賛していた知識人たちが 現在オウムに対しての言及や自身の言論に対する責任を放棄している事に非常な違和感を覚えてしまいますね。
補足
間違えました、4段目じゃなくて5段目ですね。 http://reela39.hp.infoseek.co.jp/shops/81seisi.htm でした。 麻原のヨガ修行者としての著作に素直に感心しているあたり、吉本氏の懐の深さを感じます。
お礼
何度も回答頂いていますが、amariniさんは自説の開陳や思い込みからの観念論ばかりで、私の質問に答えられていない事実には変わりはありませんよ。回答そのもの、というのも意味が分からないです。 メディア論をテーマにした議論は、よそでやるべきでは? amariniさんの危機感はひしひしと伝わってきますが、「私は麻原の批判者ー擁護者である。それを擁護した吉本隆明の批判者ー信者である」と書かれた踏み絵という二元論に置き換えてしまう所からして、むしろamariniさんがこの思考回路に陥っているように私には思えます。 そういった次元での議論は10年以上前に済んでいるのではありませんか?
補足
何度も回答していただき、ありがとうございました。 amariniさんのご意見は十分に納得がいくものであり、私の質問自体に偏見があるものであるというのも理解が出来ます。 議論のようになってしまい、また発展的な展開にもならなかったのも残念ではありましたが。 amariniさんの最後の回答をベストアンサーにさせていただきます。