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「冤罪があるから死刑は廃止」という意見の方は、何故他の刑罰の冤罪は許せるのでしょうか?

死刑廃止者の意見に興味があり、いろいろと調べてみました。 様々な死刑廃止理由があり、大体は私でも理解出来き、 中にはすばらしい理念があるなと感じました。 しかし、一点だけ私の頭だけでは、理解できない理由がありました。 それは、「冤罪があるから死刑は廃止」という意見です。 理解しにくい点は、1点です。 死刑の冤罪は許せないのに、ほか刑罰の冤罪が許せると言う点です。 これが仮に、冤罪があるため、「刑罰という制度」そのものを無くすべきだ。 という主張なら理解できます。 この点に関して、何故死刑以外の冤罪は許せるのか、分かる方がいましたら教えてください。

みんなの回答

noname#91916
noname#91916
回答No.9

No.4の者です、No.1の方への「補足」を読ませていただきました。 結局、ご質問の趣旨は、死刑廃止論者が死刑以外の冤罪を「黙認」しているかのような態度をとるのはなぜなのか?というようにお見受けいたしました。 恐らくですが、「冤罪」は必要悪であるということに誰しもが気づいているからではないでしょうか。 専門家であればあるほどそのことには気づいています。だから、「絶対に『冤罪』をなくせ」とは本音では言いません。 ただ、警察や、検察の権力があまりに強大であるために、そういった声高な主張を繰り返すという傾向は見られます。でも、「冤罪」を撲滅することは、マンパワー上からも財政上からも絶対不可能です。 だから弁護士制度があり、そこに接見交通制度などがあり、また三審制度があったりするのではないでしょうか。 ただ、それが機能しているかというと、疑問符が付きます。だからそれらを機能させるためにまた、多くの方が努力をされています。また、先の回答にも書きましたが、社会の中にあらゆる人を受け入れる体制を整えることで、(冤罪が必然的に生じうるということの)弊害を最小限にとどめる事は可能になります。しかし、刑事問題を取り扱っている人の全員がその問題にかまけているわけにはいかないでしょう。 つまり、分業ということです。たとえば、差別に関して、性差別だとか人種差別だとかいっても本質的に意味はないわけで、そこに「差別」というものがあれば「差別」でいいじゃん。とも思えます。 しかし、分けられた差別ごとに運動を起こしていかないと、力が余り集約せず、大きいうねりにはなりません。したがって利害関係や理念ごとに分業して運動を起こす必要があります。それは厳密に正しい事ではないですが、現実論としてそうせざるを得ません。 結局、刑事問題に関しても「冤罪撲滅」を謳うグループと、「死刑反対」を謳うグループとにある程度分けられているのだと思います。そして、自分のポジションに有意義なファクターを取り集め主張しているので若干の(厳密に言えば)言葉のうえの(あたかも黙認と言っているかのごとき)齟齬が生じるのでしょう。 ですから、中には、「死刑反対」を謳いつつも、「冤罪」に大甘な人もいるでしょうが、一般的に書籍などを著す方は「冤罪」についても厳しい意見を持っているものです。 また、lon32165さんは「冤罪」にとても嫌悪感を持っているようにお見受けしますが、一般的には他人事のようにしか考えていない方の方が未だに多いです。ですから、そういった人を対象に発言や運動が行われているところに、lon32165さんが違和感をもたれる原因があるのではないかと思います。 個人的にはそういった言葉の齟齬は「行間」レベルだと思っています。出来る限り、その著者の表した他(死刑以外)の書物を読むことである程度理解が深まるように認識しています。もしできましたら、「冤罪があるから死刑は廃止」ということを言われている方の名前(団籐重光とか菊田幸一とか)と書籍名などが判ればもう少しくわしい回答が出来るかもしれません。したがってここでは「補足要求」として回答しておきます。もし、補足される場合には少しお時間をください。よろしくお願いします。

  • pojipoji
  • ベストアンサー率32% (53/161)
回答No.8

質問者の方のご指摘は、疑わしきは被告人の利益にという無罪推定が働いていないというご指摘でしょうか。 事実というものは客観的なものと思われており、実体的真実を裁判の場で証明するものと思われていますが、実は雑多な断片を主観的に積み上げてストーリーを作り上げ、そのストーリーが説得力を持つものを真実と断定しているに過ぎないと考えます。 裁判員裁判については、この断片さえも事前に整理されてしまい、幅を持った一定の結論に誘導されてしまう危惧もあります。多数決で有罪無罪を決めるということには大きな違和感を覚えます。裁判員の名誉ある辞任を認めるべきであると考えます。 よって冤罪を黙認しているのではなく、実体的真実は分からないということを単に表明しているだけではないかと考えます。 刑罰があるから冤罪があるので、刑罰を廃止するべきであるというのは、自動車の運行には自動車事故があるからをやめるべきだというのに近いでしょうか。 自動車を運行させることには社会的に大きな利益があり、どんなに工夫しても自動車事故を完全になくすことは出来ないが、自動車事故というリスクを考えても存続する価値があると信じられており、自動車の運行そのものを廃止する必要はないと考えられます。将来は分かりませんが。 しかし、キャタピラの車が日常的に路上を走れば路面は壊れ、自動車の運行は利益が大きくリスクは小さいというとは言い切れなくなります。どんな自動車でもよいのではなく、道路を走るのはこんな自動車はダメとか決めるのはそんなに不可思議でしょうか。 過去には刑罰の種類はもっと多様であり、時代時代に不適当と考えられる刑罰はなくなっていったと考えられます。改めた当時の人にとって許せない刑罰があったのではないでしょうか。それが死刑反対派と呼ばれる人たちにとって現行の死刑なのではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E7%BD%B0%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

noname#111050
noname#111050
回答No.7

仮想の話をします。ある無実の人が、たまたま、とある時間、とある場所に居たばかりに、レイプ殺人の犯人として逮捕されてしまったとします。会社は首になり、友人からは白い目を向けられ、子供は、学校で性犯罪者の息子だとしていじめられ、家族は夜逃げ。テレビには顔写真が出され完全に犯人扱い。取調べでは、お前が犯人に違いないと、毎日、白状しろと厳しい尋問がなされます。オレはやっていないと、無実を訴えますが、誰一人信じてくれません。1人も味方がおらず、だんだんと生きていく気力も消えうせ、今の苦しみから逃れたいために、やがて、警察の言うとおりに、やってもいない犯罪に対して、自分がやったと白状してしまいます。起訴され、裁判にて死刑宣告。刑務所の中でやがて落ち着きを取り戻し、無実を訴えて再審請求をします。20年間、無実を訴えますが、再審請求中に、無実であることが明らかにされることなく、死刑が執行されます。 この例のように、無実で投獄され、苦しみぬいた上で死刑にされるって、本人の立場に立てば、無念すぎますよね。気が狂ってもおかしくない。拷問して抹殺するようなもの。人生のすべてを失い、挙句の果てに殺されるなんてあんまりでしょ。

lon32165
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 要約するとNo.2様と同じ理由と思いますが、それでよろしいでしょうか。 もしそうでしたら、No.2様の回答文と同じ内容の返答をここに書くことになります・・・。

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.6

 他の回答にもありますが、「 生きていれば取り返しがつく 」と 思い込んでいるからです。  そう主張する人たちは、刑期を終えて出所してきた人に対しては 「 刑を満了し、更正した 」と判断して、一切の予断を排するべきです。 就職の採用はもちろん、自分の子どもが元犯罪者と結婚するときも、 前科を理由に反対すべきではありません。家の隣に懲役15年を終えて 出所してきた幼児殺人者がいても、自分のこどもがその人と遊ぶのを 止めてはいけません。  しかしもちろん、現実にはそんなことはありません。理由は簡単で、 有期刑でも取り返しがつかないことに代わりはないからです。そういった 現実に目をつぶり、理想論だけを口にできる人が、冤罪を根拠に死刑に 反対しているわけです。

lon32165
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「 生きていれば取り返しがつく 」と 思い込んでいるからです。 中には、そういう軽い方もいるかもしれません。 いや、きっといるでしょう・・・。 しかし、そういう人だけではありません。 確りとした理念を待った方がいるはずです。恐らくもっと深い理由があるのだと思います。 その理由が知りたいです。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.5

苦し紛れの言い訳だから。 自分も何人かに聞いたことがあります。 答えは、 「死んでしまえば取り返しがつかない。生きていればそこから釈放も名誉回復も出来る。」 という答え。 で、でも長い間刑務所に入っていた時間は帰ってこないよ。というと、黙り込むか理論のすり替えを始めます。 冤罪は重大な問題で、出来る限り起きにくいようなシステムにする必要はあります。 しかし、これは死刑の問題と別の問題。 この違う問題を同じ問題かのように語ることで、周りを混乱させ死刑廃止は正当であるかのように誤解させるための言い訳以外の何物でもないです。

lon32165
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この回答文は、「冤罪があるからと言う理由で、死刑廃止論を言う者」を否定的に述べた文章に見えたのですが、それで正しかったでしょうか・・・。 私は疑問を晴らしたいだけで、特別それらの方たちを否定するつもりはありません。

noname#91916
noname#91916
回答No.4

とあるフェミニストは「日本のフェミニズムは一人一派だ」と自戒的に述べておりましたが、死刑賛成・反対論者も人それぞれで、学者の方は当然に人それぞれ、各人権NPOや実務家もそれぞれ異なった主張をされています。 ただ、最大公約数的なことは申し上げられると思うのですが、一般的に「冤罪があるから死刑が廃止」という理由は、冤罪を晴らすためには、生きていなければならないからです。 無期懲役でもいいから、生きてさえいれば、再審などを求め、無罪を晴らすべく活動をすることが出来ます(今の日本において、何パーセントの可能性で無罪となるかをここで論ずることは無意味です)。 懲役、禁固刑は、人生においてかけがえのない時間を失わせますし、その時間をかけて稼いだお金を拠出させる罰金刑ももちろん一種の不可逆性を持ちます。 しかし、命のある限り、それを出来るだけ取り戻し、新たな人生を切り開くことも可能になります。 加えてですが、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、判決というものは、相当に暫定的です。否認事件の公判などを傍聴すれば解ると思いますが、どっちとも取れるものを裁判官がとりあえず「こっち」と決定するに過ぎない場合も多いです。ある裁判官は、司法修習時代にちょっと骨っぽい議論などを語っていたそうですが、教官裁判官に、(仮に修習生はSくんとします)「Sくん、裁判官はカミソリのように鋭くてはダメなんだ、少しなまったナタくらいでちょうどいいんだよ」と教えられたそうです。つまり適当なところを見計らってブツッと切る、くらいが丁度良いということです。 そもそも、判決というものがそういうものだという風に解っていれば、自ずと上記のことも納得されるのではないかと思います。「いや、警察や検察がビシッとやっているからそれでいいんだ!」と言う意見をお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、そのことが本末転倒ということが自明の事ということはお判りの事ではないかと思っております。 また、刑罰をなくすことは出来ませんが、前科のある者や、無罪を主張する者にあらゆる機会を与えることも社会に与えられた使命の一つです。私たちの社会が「やりなしのきく社会」でさえあれば、(死刑以外の)冤罪を受けた者も、受刑することによる損失を最小限にとどめることが出来るでしょう。ただ、それは、「(真の)受刑者を甘やかす」事との相克となり得ます。 その相克に正面から向き合おうとせず、自分のイデオロギーを声高に押し通そうとする行為はどちらに偏っても「思考停止」と呼ばれることになります。ただ、いずれにせよ、それが「相克」である以上、極刑的なことはなるべく避けた方が良いということは言えるとも思います。いかにしてその相克を融和に持ち込む事が出来るかが実はカギなのです。 これ以上の詳述はここではできませんが、とりあえずこのあたりにしておきます。さようなら。

lon32165
質問者

お礼

>とりあえずこのあたりにしておきます。さようなら。 はい、さようなら。

  • jamiru
  • ベストアンサー率5% (170/3044)
回答No.3

流れ者が変な主張を始めたお陰で地元民が言われ無きことを言われるようになったことかな。 怪しい町にされてしまい地元民もナカーマだと思われる始末。 これこそ冤罪なのに話そうとすればひでぶ。

lon32165
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • sharl
  • ベストアンサー率22% (169/760)
回答No.2

私の主張はまさにこれですね。 冤罪だった場合取り返しがつかないから、死刑は廃止すべき(終身刑を採用すべき)。 といっても、別に他の刑罰で起きる冤罪がOKというわけではありませんよ? ただ、懲役刑なら、冤罪と判った時に釈放すれば刑罰を撤回できる。 (それで全て丸く収まるとは言いませんが) 死刑にした後で冤罪と判っても、生き返らせることはできない。 それだけのことです。

lon32165
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 言いたいことは分かりますし、その辺は他で調べてきました。 命があれば1%でも人生を取り戻せる、というのは理解できます。 ただ、だからと言って何故、死刑以外の冤罪は、黙認できるのでしょうか・・・。 という疑問は未だに晴れません。

noname#95139
noname#95139
回答No.1

なぜ「冤罪があるから死刑は廃止」から他の刑罰の冤罪が許せるとなるのでしょうか。 冤罪は誰だって許せるものではありません。 ただ、単純に冤罪なのに懲役刑だと取り返しがつきますが、 死刑だったら取り返しがきかないってだけでしょ? 死刑と懲役刑の違いは大きいですよ。

lon32165
質問者

お礼

ご指摘ありがとうございました。 言葉のチョイスは大切だと思います。 とても参考になりました。

lon32165
質問者

補足

>なぜ「冤罪があるから死刑は廃止」から他の刑罰の冤罪が許せるとなるのでしょうか。 そうですね。分かっていましたが少々乱暴な言い方かと思います。 「許せる」という言葉は、間違っているかもしれません。 「黙認できる」と言う言葉に代えれば、伝わるでしょうか。 >懲役刑だと取り返しがつきますが、 その死刑以外の刑罰なら「取り返しがつく」と思っているところが理解に苦しみます。 これは、通常の冤罪を「許せる」とは言わなくても、「黙認している」と言っても過言ではありません。 その私が「理解に苦しむ」という点に関して、もっと分かりやすく説明していただきたいと言うのが、質問の趣旨です。

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