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自殺問題
http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009072701000750.html http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20090727-567-OYT1T00063.html 大人も子供も老若男女、自殺者が多いです。自殺者数は先進国ではダントツトップです。一見、平和に見えて、かなり問題のある国だと思いませんか?日本という国。
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3万人越えはここ10年くらいのもので、それ以前は2万人さえ切っているようです。この激増ですから、精神的な問題と言うよりも、経済的な問題の方が大きいのかもしれません。絶対数は都市の方が断然多いですが、割合でなら経済の疲弊している地方の方が多く、高齢化社会でもあるからか、お年寄りの自殺も比較的多いようです。失われた10年以降ですから、政治の影響も大きいと思いますよ。無駄遣いは徹底的に省かないとなりませんね。
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- dai-ym
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日本に問題があるのは間違いないです。 しかし、この世に問題のない国がないので、そんなことを言ってもどうしようもない。って話しですよね。 それこそ人間に問題があるんだから、問題があるのが当たり前ですし。 他の人も言っていることを書きます。 日本は平和すぎて、生きることを真剣に考えないで良い環境になっています。 戦争で死ぬこともなければ飢餓で死ぬこともない。 普通にしていれば生きていけるから、生きることを考えるので無く死ぬことを考えてしまう。 どうやったらこの大変な状況から脱出できて生きていけるかでなく、この大変な状況から逃げ出すために死ねば良い。と考えてしまう。 さらに日本は責任の取り方としての死という価値観があります。 借金をして死ぬ人がいますよね。 これは闇金に威されてという人もいますが、そうでなく借りた金を返せないのは申し訳ないから死んで詫びるという、責任の取り方をしようという考えです。 宗教も新興宗教が幅を利かせすぎて、そういう新興宗教を信じない人たちが、自分たちが仏教や神道をベースにしていることを考えないようになってしまい、宗教などの持つ自殺の抑止力がなくなってしまっている。 また、本当は失敗しても問題ないことが沢山あるし、間違っても良いことなのに親やマスコミや色んなところが失敗をしちゃいけないかのようなことを言う。 そのためちょっとした失敗で挫折して死んでしまう人も増えている。 あまりにも日本を否定しすぎるマスコミが多いため、日本人としてのアイデンティティを上手く築けず、精神的な柱が弱くなってしまっている。 まさにこの質問のように、すぐに日本は外国に比べるとこういうところが悪いという話しになりますよね。 そういう考え方が、どんどんネガティブにさせ死を選ばさすところがあります。 確かにいろんな問題があります。 しかしこれらは長い歴史による民族的な問題だったり、簡単に解決できない問題も多くあります。 しかしそんな問題あるのが当たり前。 徐々に問題を解決させれば良いだけです。
お礼
回答ありがとうございます。 >徐々に問題を解決させれば良いだけです。 解決策ってあるんでしょうか?
1.日本は小さな島国であるのに、お隣には相容れない共産主義の大国中国や北朝鮮があって、日本人の外への活動がある意味制限されています。北朝鮮だって自殺は多いのではないかと思いますよ。内政が悪くても、他へは行けず、人の心も内へ向くしかなくなるのでは。悪い国であれば捨てれるくらい出来れば、各国が競争して住みやすくなり自殺もへるかもしれません。アメリカは、広い、カナダにも自由に行けるし、大西洋あれどヨーロッパへ行くのにも抵抗は少ないですよね。日本人には、何か逃げ場が無いのではないかな。自殺も、考えようによっては、ある種の他人による間接的な殺人なのかもしれませんけど。
お礼
回答ありがとうございます。 >自殺も、考えようによっては、ある種の他人による間接的な殺人なのかもしれませんけど。 私も同感ですね。
- makocyan
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年間三万人も自殺するのは確かに問題のある国でしょう。ただし外国と一概に比較するのは難しいのでは? 日本では自殺という呼び方以外に、自裁、自決という言い方もあります。いずれも自らけじめをつけるということで、必ずしも悪いイメージばかりではありません。かえって「潔い」と考えられていた時代もありました。対してキリスト教では自殺は明らかな害悪、固く禁じられ、場合によっては葬儀もできないとか。 また聞くところによると、宗教が一定に制限されていた旧共産主義国家では自殺率は一様に低いといいます。 こうしたことを考えると、自殺率の高さは社会状況だけではなく、宗教や民族の歴史にも大きく左右される可能性があると考えられます。であるならば諸外国との比較はあまり意味がないのではないでしょうか。 問題は絶対数の多さだと思いますよ。死ぬ以外の選択肢が見つけられない国というのは確かに問題です。
お礼
回答ありがとうございます。 >問題は絶対数の多さだと思いますよ。死ぬ以外の選択肢が見つけられない国というのは確かに問題です。 私もそれが問題だと思うんですよね。
- emeny
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なぜ、自殺する人が多いか。その人の精神や心理状態はどうなっているか。その問題を解くときに、私は太宰治「人間失格」について思い出す。太宰は自殺未遂を繰り返し、「人間失格」後まもなく自殺をした。その「人間失格」は彼の遺書であるともいえる。 自殺者の心理は、過剰な自意識にあるのではなかろうか。手記で人間の可笑しさを表しているともいえる。彼の心理には私たちのような人には分からない心の奥があるのである。 私たちは死や殺すという言葉に敏感に反応しすぎかもしれない。殺人事件やタレントの自殺をメディアを通じ過剰に意識しすぎているかもしれない。私たちにとって第三者の死は記憶にはあっても実感としてない。むしろ、父の死や母の死や夫の死や妻の死や子供の死という事が、現実的には受け入れにくいのである。49日経っても死を受け入れられない人さえいる。我が子の死こそが、私たちに大人にとって無念である。つまり、病弱や障害のある子どもたちは死に怯えて毎日必死に生きているのではなかろうか。このような人の死こそが意味があったといえるのである。 高校中退や大学中退は私たちはすぐにいう。しかし、それよりも人生中退の方が問題である。若者のリストカットや七輪や有毒ガスでの自殺は、彼らの生き方に人間としてあるべき姿、つまりは人を思える心がないのかもしれない。自殺というのは親族にとって迷惑な話で、葬式費用や役所への申告も死んだ本人にしてほしい。いや、むしろ自殺者を死と認めない国家を形成してほしいとさえ思う。 「私、高校卒業まで死にません」は、自殺や精神薬で精神が麻痺した少女の話である。結婚を控え自殺、それも年の差が10歳以上ある男と。そのように、高校生が30歳のおじさんと恋しただけでも可笑しく、彼女は人生を理解していないとさえ思える。女子高生の結婚観や子づくり感も可笑しくはないか。つまり、児童売春の女子高生は金で肉体を買われて、取り返しのつかない事態までなる事がある。そのため買春する方に問題があるかといえばそうではない。そのような、異常な女子高生が増えることもまた自殺と同様に問題である。 人生観や死生観がないとの意見に反対を述べる。社会で生きる楽しさは悲しみやつらい時よりも多いという。正しくは、死を理解していないだけである。例えば、祖父母の死という現場で死を恐れている様子を見たりする機会がなくなったといえる。つまり、死という言葉の重みを知らない子供たちが自殺するのである。私たちは、歳を取ると死を恐れるが、若者は死を恐れず何事のなく今を生きるという実感はなく無意識に生きている。つまり、生きている事が当たり前という現実を見ている。老人は残りわずかな時間を死という身近な恐怖を持っている。川端康成の自殺も老いへの恐怖という説もある。つまり、生きる希望を持っていない希望格差というのが今の社会にはあるのではないか。 人間は希望や夢がないと生きれないのか。最近の経済社会情勢は不況でありリストラや派遣契約の解除など雇用の問題もそこにはある。ここ数年の大卒者の求人率が低くなっていることからも言える。そのため、夢を持てない若者を大量に生産しているのではないか。また、失業し家庭での地位がなくなるのを恐れ自殺する中年男性もいる。自殺には生命保険は下りないのではないか。つまり、何もなくある人が消えた過程なのである。自殺をなくすのは、経済社会保障の充実が必要である。 自殺は個人の問題である。正しくは精神的に自分を追い込んでいる人なのではないか。職場での環境や家庭での環境や消費者金融からの借金で違法な取立てで、自殺している人が多いのである。職場環境や消費者金融は自己責任ではないか。借金をしなければ取り立てられない。お金がないから借金し、返せないから自殺する。ただ、そういう自己責任な面も多々ある。しかし、消費者金融から借りるときは所得の3分の1までにしても、自殺者は減るだろうか。むしろ、消費者金融の責任を回避する効果があるだけに思う。グレーゾーン金利の廃止以降に、消費者金融は少なくなった。つまり、目的ある資産運用や計画を家庭もしなくてはいけない時代になったかもしれない。 死を安易に考える事が自殺の原因にあるのか。アフガンやイラクで紛争が起きている地域は自殺者が少ないは間違いである。テロも他の人を巻き込んだ迷惑な自殺である。テロはイスラム教への殉職でもないのだ。つまり、ただの自殺である。つまり、死後の世界で栄典があると思いこんでいるだけで、実際はただの死である。死を安易に考えること自体は、死という思考を考えたことのないだけである。釈迦の八苦にも老いや病気の苦しみもある。昔から生死はよく哲学で考えられた。健康な人は生きている歓びを理解できない。病気や中絶などの経験が、死という感性を強めているのだ。つまり、死について私たちは深い意味を持たないといけない。
お礼
回答ありがとうございます。深い言葉をありがとうございます。
死生観の違いによるものです。一概に他国と比較できません。 国民性の特徴とみるべきです。
- rikukoro2
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自殺者者が多いのは日本が平和である証拠です。 イラクやアフガン、紛争の絶えない地域では自殺なんて人はまずいません。 人口の比率でいえば、平均寿命の短い国家ほど、自殺の死者は少ないんです。 毎日、死の恐怖にある国ではみな生きるのに必死です。ですので死のうとは考えません。 老人に対する福祉で有名な北欧でも老人の自殺の比率は高いんです。 平和だから死という現実が『非現実』に見えてしまうのです。 言いかえれは平和だからこその自殺が多いといえるのです
お礼
回答ありがとうございます。そうゆうもんですかね。
- nidonen
- ベストアンサー率55% (3658/6607)
自殺率は高いかもしれないけど、殺人の発生率は先進国中で もっとも低いのも事実です。衝動が内面に向かうのが自殺、外 側に向かうのが殺人だとしたら、日本だけを異端視するのは不 自然じゃないでしょうか。それとも殺人が多い他の先進国には 問題がないとでも?
お礼
回答ありがとうございます。うーん。
- shubal
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日本人の生死観の問題なのでしょうか?だから、死んだらラクになると安易に考えてしまう。でもキリスト教などでも神のもとへ行く的な死後の幸せを信じている外国の人も多いですよね。あるいは強い宗教的な背景が希薄であるために、生きることを放棄しやすいのかもしれません。どうなんでしょう?私も子供の頃からそういう願望を持って生き延びてきた一人ですが、私をこの世に引きとめたものは、親や妻ではなく、子供でした。子供の心に傷を残してしまうことがつらかったです。私がもし結婚する機会もなく、子供を持つこともなかったら、もうとっくにこの世にはいないと思います。で、なぜ自分は自殺したいのだろうというと、ここで生きているとずっと高熱でうなされているような感覚があります。つねにちゃんと喋っているのに意識は朦朧としていて、目の前の人にも事にも本質的に興味を持つことができないのです。社会に価値を見いだせないのです。しかし自殺者や自殺願望を持つ人もさまざまなのでしょう。最近では小学生まで自殺しますが、あれは大人のマネでしょうか?そういう選択肢もあると子供に教えてしまっているからでしょうか?やはり日本人にははっきりとした生死観というか、生と死の垣根が低い気がします。歴史的にもそうですし。犯罪を犯しても、つらい病にかかっても、孤独でも、死にさえすればプラスマイナス0になる、リセットできるみたいな気軽さがあるように思います。不明瞭で良い回答ではないですね。申し訳ないです。
お礼
回答ありがとうございます。参考になりました。
お礼
回答ありがとうございます。ホント、景気が良くなって欲しいものです。