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誤って人を殺す例:プロ・アマドライバー、医者、裁判官(世間で言われている冤罪)の判決

til-rooの回答

  • til-roo
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回答No.10

puranaria13さんの回答の詳細さに恐れ入ります。 十分かと思います。 屋上屋を連ねる観はありますが、念のために1点だけ補足させていただきます。 もしかすると質問者様の理解が不十分でないかと思われる点です。 杞憂でしたら大変申し訳なく存じます。 まず、具体的事例ごとの正義を追い求める以外に、手続的正義にも考慮せねばならないことにご注意ください。 どういうことか。 我々の社会は、良くも悪くも法律に基づいて物事が動いています。 これは、裁判などでしばしば硬直的な判断がなされることにも結びつきます。 しかし他方で、これによって我々は、統治機関の恣意的な権力行使から守られてもいるのです。 何が言いたいかというと、 >>1人の無辜(無実の者)を罰さないために9人の極悪な犯罪者を世に受け入れることは仕方がないかもしれません。では99人ではどうでしょうか。999人では。結局はこの人が無実ではない=犯罪を犯したといえる可能性(確率ともいえるでしょうか)がどこまで高いものになったときにその人を犯罪者として罰することを「仕方がない」と思うか。という「価値観」の問題に収束せざるを得ません。 これは非常に重要な点です。 まさにその通り。 それで、ではこの価値判断を裁判ごとに繰り返しているかというと、そうではありません。 判例の積み重ねにより、どの程度の確信があれば有罪とされるのかというのは、ほぼ決まっております。 では、その「相場感」がそれ自体正義に適っているかというと、そんなものは分かりません。 しかし、その決まった相場感に従うこと自体に、また別の正義があるのです。 裁判官の判断が頑固で保守的に映ることもあるかと存じますが、必ずしも >>私の判断・決断は絶対に正しい という発送から来ているものでない点についてはご理解ください。

yochn
質問者

お礼

当時、犯行に及ぶまでのストーリーがあって、そして、DNA鑑定が決定打となり、犯人にされた。 今、犯行に及ぶまでのストーリーがあって、そして、DNA鑑定が決定打となり、冤罪で釈放となった。 もしも、DNA鑑定がなかったら冤罪は晴れたのかな? こう考えると捜査段階でのストーリーってけっこういい加減ものだな。 つじつま合わせでストーリーって作っていくのか。今回はつくづく思いました。 だから、世間ででっちあげという言われる所以なのか、知っている人は知っているのでしょうね。 物は言いようという言葉がありますが、例えば、子供をかわいがるというのは、ロリコンという言葉に化けてしまう。もっと視野を広く物事を多面的にみる努力をしないと。 質問時、三者を比較したことによってなるほどと少しは理解できた次第です。 死刑制度については、国民の考えもあることだし何とも言えませんが、裁判官もこの制度があるおかげで人によっては精神的にきついかも。今後は裁判員自らが係わるのであるから、心ある血も涙もある人はつらいかもしれません。今までは他人事であると思っていた死刑制度、死刑判決もしないし、死刑執行ボタン(?)も押すこともない。情報源は忘却しましたが死刑執行員の方からはイヤだとの声を聞いたことがあります。人を殺す ことですから当然ですね。戦争中は人を殺すことに慣れてくるようですし、英雄でもあります。死刑といえども、人を殺すことに見慣れてほしくはないです。 最近、死刑アンケートをみると、危険・やや危険で合わせると半分近くに。危険というのは冤罪の発生からきているのでしょう。死刑廃止国の例をみているとは思えない。足利事件などからでしょう。 実際、冤罪であると最悪な状況です! 過去はもちろん、現在・未来、死刑囚の中で冤罪の人はこの調子でいくとあると思っています。 再審23日に決定の見通し: これまでの捜査や公判のありようを検証しない。 捜査に携わった警察官らの証人尋問など実質審理を行わないらしいですが、 検証をしないとまた第2、第3・・第10・・の冤罪事件が発生すると思います。 検証が必要と思います。 責任の所在という言葉があるけれど・・ 複雑な気持ちです。 2日後に締め切らせていただきたいと思います。 おかげ様で勉強をさせていただきました。 感謝しております。

yochn
質問者

補足

再度のご回答をありがとうございます。 ・具体的事例ごとの正義を追い求める以外に、手続的正義にも考慮せねばならないこと →再鑑定・再審のことですか?考慮したのかなー?足利事件では再鑑定は行われなかった。結果的に、正義(私なりには、真実の追求)に反していたのではなかったのか と思います。 ・1人の無辜(無実の者)を罰さないために9人の極悪な犯罪者を世に受け入れることは仕方がないかもしれません。では99人ではどうでしょうか。999人では。結局はこの人が無実ではない=犯罪を犯したといえる可能性(確率ともいえるでしょうか)がどこまで高いものになったときにその人を犯罪者として罰することを「仕方がない」と思うか。という「価値観」の問題に収束せざるを得ません。 →価値観:だから、(一般国民による)裁判員制度の導入なのかもしれませんね。しかし、素人にできるのかな?せいぜい、検察官・裁判官に誘導される(?)、例えば、難しいことはどうせわからないだろうから裁判員に対して、感情的ゆさぶり。こんな悪いことをしたのですよ、と。私が検察官ならばそこから検察官側に裁判員の心をもっていきます。 ・価値判断を裁判ごとに繰り返しているかというと、そうではありません。 判例の積み重ねにより、どの程度の確信があれば有罪とされるのかというのは、ほぼ決まっております。 では、その「相場感」がそれ自体正義に適っているかというと、そんなものは分かりません。 しかし、その決まった相場感に従うこと自体に、また別の正義があるのです。 裁判官の判断が頑固で保守的に映ることもあるかと存じます。 →私が裁判官であったならば、(最初の判例が実際のところ、どの程度正しいのか、わかりませんが)やはり無難に過去の判例をもってくるかもしれません。でも、昨今、これについては異論を唱える方々もいます。時代は発展・進歩しています。いろいろあります。犯罪の凶悪化、そして、冤罪の可能性(実際、足利事件では冤罪。例が良くないですけど、ごきぶりの発生ではないが、氷山の一角で他にも冤罪が沢山あっても不思議ではない)。難しいですね。 ・ (最後の行)・・・ているものでない点についてはご理解ください。 ・ →そうかもしれませんね。 本来の質問の部分を超えて、きたような感がありますが、 でも裁判員制度が始まる前に、今回の足利事件は菅家さんにはまことにまこと・・に申し訳ありませんが、勉強になってしまいました。 人間は学習する生き物ですが、人を裁くということ、 難しいと思います。 ですが、冤罪は限りなくなくすよう努力すべきと思います。 特に重大な殺人事件などでは、 絶対に冤罪 はあってはならない。 まして、死刑がからんでくるような事件ではなおさらです。 この冤罪をなくすということ、努力しているのかな?と思ってしまいます。これからはわかりませんが、少なくとも過去はしていなかったような気がします。 Phiさんのおっしゃっている、 今後このような問題が起きないようにするためには、システムとして冤罪のおきにくい裁判制度を構築することです。 同感です。 今、(全面・一部)可視化の論議がされていますが、いろいろと意見があると思います。 思うに、殺人事件のような重大な事件では全面可視化は必要な気がします。これとて、運用者もいることだろうし、今回の足利事件を見るに、某テレビ番組で国民の怒りNO1に選ばれるくらいで、国民は信用できなくなってきていることでしょう。もっといえば、重大な殺人事件のような場合、弁護士同席も必要な気がします。現実に暴力などが行われていて強引な自白の強要がなされる、足利事件の菅家さんが言っている刑事が怖い、これが現実である以上必要なことと感じました。この事件は死刑囚でなかったから良いようなもので、死刑囚であったならばどうなっていたのだろう、と思うとゾッとします。悲劇などと一言では言い表せないくらいでした。 プロ(例えば、警察・法律のプロの検察)にかかったら、法律も何も知らない普通の国民は、 無実の罪で捕らわれる可能性も否定できない。それでは、困ってしまいます。 犯罪の撲滅、そして、冤罪の撲滅 ともに私たちが安心していく世の中を実現していくために、難しいでしょうが、必要なこと。努力すべきことと思いました。 理想論かもしれませんが、時代も、そして、いろいろな分野で発展・進歩しているのだし、法の世界も、その理想に向かって、前進していくべきと思いました。 さらにいえば、日本国が世界からおいてきぼりをされない為にも、日本国の真の平和の実現の為にも今後の法の世界に期待したいと思っています。 再度のご回答をありがとうございました。 繰り返し、お礼を申し上げます。

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