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【新約聖書にお詳しい方】エチオピアの宦官について

使徒言行録8章 27節~30節 「エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て<中略> 預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので<後略>」 という箇所について質問させてください。 お聞きしたいのは次の2点です。 1)何故エチオピア人の、しかも宦官がエルサレムに礼拝に来たのでしょうか?ユダヤ人が、あるいは、キリスト教が世界宗教になった後に聖地となったエルサレムなら分かりますが。。。選民意識バリバリのイスラエルの首都に何でエチオピア人が? 2)『朗読していた』とありますが、何語で朗読していたのでしょう? ラテン語?ギリシャ語?ヘブル語? 分かる点又はご存知の部分のみの回答でも結構ですので、お時間のある方で新約聖書にお詳しい方の回答をお願いします。

みんなの回答

回答No.8

お答えします。聖書に詳しいつもりです。 まず1)について、 なぜエチオピア人がエルサレムに来ていたのか、そしてイザヤ書を朗読していたのか? 僕はこう思うんですね。ソロモン時代にさかのぼってみましょう。列王記下5章1-5節にはソロモンが広大な領土に影響を及ぼしていて事が書いてあります。それとあの有名なシェバの女王の話。シェバは今でいうイエメンだと思いますが、ソロモンは有名だったんですね。エジプトはもちろんのこと。それならばエジプトの南にあるエチオピア(アラビアとも海で接する)がソロモンの事を知っててもおかしくない。それでバビロン捕囚ののち、旧約聖書が完成して、アレクサンドロス時代にアレキサンドリアで七十人訳聖書が完成して、それがプトレマイオス朝時代にエチオピアにわたっても考えられるわけですよ。 だからエチオピアの宦官がエルサレムに来たと思います。 2)でですが、これは難しい。もちろんヘブライ語か古典ギリシャ語でしかないんですが、どちらか?無難にいえばギリシャ語でしょう。セプトゥアギンタ(七十人訳)ですね。ヘレニズム世界(エジプトも含めて)ではギリシャ語が共通語でしたから。

noname#149752
noname#149752
回答No.7

イザヤ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4 イザヤ書 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%A4%E6%9B%B8 45章15節  まことにあなたは御自分を隠される神 いい機会だからイザヤ書を読んでみます。 哀歌は読んでいました

  • zatousan
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回答No.6

こんにちは、No2です。 他の方々のご回答を拝見して、「あ、すっかり、ディアスポラの事だとか、イスラエル以外の地域にユダヤ人が住んでいることを説明し忘れていたな~!」と思いました。 その点に関しては全く同感です。 そして、気が付いたのですが質問者さんからしてみると、ユダヤ人だったとして、ユダヤ教徒だったとして、「何故来たの?」という事が疑問かも知れません。 その当時は、巡礼みたいな物が義務づけられていました。 申命記14章22~26節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 22)あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。 23)そしてあなたの神、主の前、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、穀物と、ぶどう酒と、油との十分の一と、牛、羊のういごを食べ、こうして常にあなたの神、主を恐れることを学ばなければならない。 24)ただし、その道があまりに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれるとき、それを携えて行くことができないならば、 25)あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、 26)その金をすべてあなたの好む物に換えなければならない。すなわち牛、羊、ぶどう酒、濃い酒など、すべてあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 神殿に毎年行き、そこで祭司によって捧げられた動物を食べる。これが義務付けられていたのです。 遠くにすんでいる人はお金を持っていけば、神殿で動物に替えてもらえたので、それを食べれました。 ところで、イエスは、何故かモーセが決めたこの掟を嫌って、神殿の両替所で暴れましたが、、、。(マタイ21章12節) キリスト教では巡礼を義務づけられていないので、「何故そんなに遠くから?」と思えるかもしれませんが、その当時では当たり前の事をしに来ただけです。

回答No.5

 No.4を補います。  フェデリコ・バルバロによる見解です。  ▲ (バルバロ訳聖書・訳注) ~~~~~~~~~~~~~~~~  ○ エチオピアは現在のエジプトのスーダン(ヌビア)である。(* エジプト領も入るという意味でしょうか?)  ○ ヘブライ人はここに多数住んでいた。この人(* 宦官)はヘブライ人かあるいはユダヤ教改宗者である。  ○ カンダケはメロエの国の女王のたちの共通名称である。  ○ 《宦官》は 身体上の去勢者であると同時に 一つの地位の名でもあった。  ○ 読んでいた聖書について そのあとにある箇所(8:32以下)は イザヤ書(53:7-8)の七十人訳による引用である。  ○ しかし 七十人訳ギリシャ語聖書は 意味不明瞭なヘブライ語テキストからの訳である。(* この点 つまびらかにせず)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

回答No.4

 カンダケを検索すると メロエという王国に行き当たります。  その後 たとえば 次の記事を見つけました。  ▲ (ヰキぺ:エジプト第25王朝) ~~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%AC%AC25%E7%8E%8B%E6%9C%9D  ○ (紀元前747年 - 紀元前656年)・・・複数の王朝が並立していたエジプトに侵入してこれを統一したヌビア人達の王朝を指し、クシュ朝と呼ばれることもある。  ○ マネトの記録によれば第25王朝は3人のエチオピア王から成っていたとされている。ただし、古代の著作で用いられるエチオピアと言う地名が指す地理的範囲は、エジプト人がクシュと呼んだヌビア南部(上ヌビア)とほぼ同じか、或いはその地域を含む南方の漠然とした領域であった。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ▲ (ヰキぺ:メロエ語) ~~~~~~~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%82%A8%E8%AA%9E  メロエ語とは、およそ紀元前1000年から紀元前750年の間にヌビア(現在のスーダン)で成立したクシュ人の王国で話されていた言語。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 言語じたいについて 詳しく分かっていないようですが 文字の解読には成功していて その語例が 示されています。その中に  ○ kndk : カンダケ(女王の名)  ☆ があると記しています。時代がどうかは 定かではありません。  少しでも参考になればと思います。

  • kigurumi
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回答No.3

そんな貴重な石版(?石板?石盤?)が自国にあるなら、わざわざ遠くまで行く必要無いんじゃありません?この時代の神殿はソロモンの建てた物じゃないし。 そうですよね。イスラエル人じゃない人が絶てた神殿ですよね。 考えてみればそう。 で、さらに考えてみれば、キリスト教の十字って、多神教の建物をそのまま使ったから、キリスト教の建物は、異教徒の多神教の建物のシンボルの十字がとっぺんについているわけです。 多神教のシンボルを首に下げる一神教の信者。 どうしてなのかはキリスト教徒さんに聞いてください。 異教徒の多神を信仰しているのか、一神を信仰しているのか どっちなんだ はっきりしろって。 まあ梵我一如ってことだとは思いますが。 で、エチオピア人の子孫の中にソロモンの血をひくものもいるってわけです。 エチオピアの王朝がソロモンの血をひくとされた。 んで、カトリックの聖職者の独身制に影響を与えたのかもしれませんが、宦官って男性器を切除されたので、性欲が無いわけですよね。 神の祝福のしるしは、子供を授かることなので、宦官は神の祝福が無いことになるが、それならカトリックの聖職者も神からの祝福が来ないことになり、どうして信仰しながら神からの祝福を自らの意志で退け続けるのかも、カトリックの聖職者に聞いてください。 この謎は私にも解けません。 で、アークがエチオピアに運ばれるとき、一人じゃ背負っていける重さではなかったので、担いで同伴する聖職者や12支族がいたわけです。 その人達はエチオピアに住居を移したらしいです。 世襲制ですので、その子孫が故郷のエルサレムの神殿に巡礼しても、おかしくないと思います。 >ではその当時コプト語の聖書があったとお考えなのですね? 今のように聖書が手軽に本屋で買える時代ではなかった。 発見された死海文書。 ヘブル語がほとんどですが、アラム語バージョン、ギリシャ語バージョン、コプト語バージョンもある。 なぜかと言うと、古くからディアスポラしてユデア以外に住むユダヤ人の数は相当なものだったから。 ギリシャ方面だけでも、本国の8倍ものユダヤ人が住んでいて、彼らはもうヘブル語がわからない。 そのディアスピラした異文化で育ち異文化バリバリの異邦人のようなユダヤ人向けに宣教するために、別の言語のバージョンで翻訳されスクロールに書かれたと考えられます。 コプト語ってエジプトの母語。 モーセも恐らくエジプト人でしょうから、コプト語話してたんじゃないかと。

  • zatousan
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回答No.2

こんにちは、 >1)何故エチオピア人の、 エチオピアって創世記でも登場するし、聖書ではちょくちょく登場する国ですよ。  創世記10章1、6~7節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 1)ノアの子セム、ハム、ヤペテの系図は次のとおりである。洪水の後、彼らに子が生れた。 6)ハムの子孫はクシ、ミツライム、プテ、カナンであった。 7)クシの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラアマ、サブテカであり、ラアマの子孫はシバとデダンであった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ このクシが、(ヨセフスによれば)エチオピア。 http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/seisho4.htm デダンが(ヨセフスによれば)西エチオピアです。 http://bible.ort.org/books/pentd2.asp?ACTION=displaypage&BOOK=1&CHAPTER=10#C131 (こっちは、英語ですいません) 戦争もしていますし、 歴代志下14章12節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 12)そこで主はアサの前とユダの前でエチオピヤびとを撃ち敗られたので、エチオピヤびとは逃げ去った。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、エチオピア人が預言者を救った(?)事も、 エレミヤ記38章10節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 10)王はエチオピヤびとエベデメレクに命じて言った、「ここから三人のひとを連れて行って、預言者エレミヤを、死なないうちに穴から引き上げなさい」。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~、 というわけで、交流が元々あった国なんです。 <ユダヤ人が、あるいは、キリスト教が世界宗教になった後に聖地となったエルサレムなら分かりますが。。。選民意識バリバリのイスラエルの首都に何でエチオピア人が?> えっと、あんまり大規模ではなかったにせよ、ユダヤ教も伝道していたようです。 ソロモンが言った言葉。 列王記上8章43節。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 43)あなたは、あなたのすみかである天で聞き、すべて異邦人があなたに呼び求めることをかなえさせてください。そうすれば、地のすべての民は、あなたの民イスラエルのように、あなたの名を知り、あなたを恐れ、またわたしが建てたこの宮があなたの名によって呼ばれることを知るにいたるでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ また、権力者にユダヤ人がなるとその国でユダヤ教に改宗する数が増えたり、、、 エステル記8章17節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 17)いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 他にも、外国に伝道に行った話がたまに出てきます。 >しかも宦官がエルサレムに礼拝に来たのでしょうか? えっと、ユダヤ教は身体障害者を差別しているように感じますが、、 イザヤ書56章3~5節 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 3)主に連なっている異邦人は言ってはならない、「主は必ずわたしをその民から分かたれる」と。宦官もまた言ってはならない、「見よ、わたしは枯れ木だ」と。 4)主はこう言われる、「わが安息日を守り、わが喜ぶことを選んで、わが契約を堅く守る宦官には、 5)わが家のうちで、わが垣のうちで、むすこにも娘にもまさる記念のしるしと名を与え、絶えることのない、とこしえの名を与える。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ こんな風に宦官に希望を与えてくれるのは、イザヤ書のみ! これが読んでいた理由かも? 何語かまでは知りませんが、、、。

  • kigurumi
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回答No.1

信者でもないし、新約聖書にも詳しくないのですが、、、 エチオピア関連といえば、思うつくのがアーク。 モーセは神から10の戒律が書かれた石盤を授かり、移動民族でしたから、日本の神輿のように柩に入れて運んでいた。 これが、いつのまにか消えてしまって、行方不明。 実はエチオピアにあるという説がある。 どうしてエチオピアにあるとなったのかというと、カンタゲ(シバの女王)はソロモンとエッチして妊娠して、国に戻ってソロモンの子供を産んだ。 ソロモンはその息子にアークをあげた。 従って今でもエチオピアはアーク信仰がある。 しかも盲目の神官がそのアークを守っているとされる。 ハンコックさんが実際その守り手に会ってインタビューしているらしいです。 目が見えないので、どういうものかは説明できないが、とにかくアークはエチオピアにあるって主張。 おや? 伊勢神宮にあるって伝説は? 移動するアークですから、あっちこっちに神出鬼没するってわけですね。 (んなわけないですね、人間が運ばない限り移動しない) ってことで、エチオピア人は外典にも出てきて、アダムとイブとは違う系列の民族で、もしかしたら、最初に神が作った人間がエチオピア人系列で、洪水を免れた無原罪の人類なのかもしれないですね。 後に神が作ったのがアダムで、こっち系がイスラエル人系。 というわけで、同じ神を信仰しており、戦乱で奪い合いされた石版は、ソロモンの時代にエチオピアの息子に渡り、それ以降から現在まで、エチオピアにあるって話らしいです。 何語? 何語でしょうね、コプト語あたりじゃないでしょうか。 17世紀頃までは一部のキリスト教共同体内の日常語だったらしいです。

lioneater
質問者

お礼

kiguruiさま、早速の書き込みありがとうございます。 別に信者の方でなくとも結構です。 折角の説ですが、疑問点がございます。 >>石版は、ソロモンの時代にエチオピアの息子に渡り、それ以降から現在まで、エチオピアにあるって話 だとすると、何のためにエルサレムに行く必要があったのでしょうか? そんな貴重な石版(?石板?石盤?)が自国にあるなら、わざわざ遠くまで行く必要無いんじゃありません?この時代の神殿はソロモンの建てた物じゃないし。 もう一つ素朴な疑問があります >>コプト語あたりじゃないでしょうか。 ではその当時コプト語の聖書があったとお考えなのですね? もし、他にも参考になるような情報をお持ちでしたらお寄せください。

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