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「よくって」、「どうかしやしなくって」

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の表現について教えてください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html  『障子の中(うち)で二絃琴の音(ね)がぱったりやむと、御師匠さんの声で「三毛や三毛や御飯だよ」と呼ぶ。三毛子は嬉しそうに「あら御師匠さんが呼んでいらっしゃるから、私(あた)し帰るわ、よくって?」わるいと云ったって仕方がない。「それじゃまた遊びにいらっしゃい」と鈴をちゃらちゃら鳴らして庭先までかけて行ったが急に戻って来て「あなた大変色が悪くってよ。どうかしやしなくって」と心配そうに問いかける。』 1.「よくって」はどういう意味でしょうか。 2.「どうかしやしなくって」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • ベストアンサー
  • Yusura
  • ベストアンサー率50% (607/1207)
回答No.2

こんにちは、1mizuumiさん。 並の日本人よりよほどきれいな日本語をお遣いになると感心しきりです。 さて、ご質問への回答ですが、だいたいは#1さんのご回答どおりです。 1 「よくって」は、「よろしいですか」の意、 2 「どうかしやしなくって」は、「どうかなさったのですか」の意です。 蛇足ですが多少、述べさせていただきます。 1も2も、迷っていらっしゃる部分は標準語ではない、一種の訛り表現です。 どちらも山の手言葉と呼ばれる東京の言葉だと思います。 東京において「山の手」とは「山側にある地域」を指し、明治維新以降 上流階級の住まう高級住宅街でした。 ですから「山の手言葉」というと「上流階級、少なくとも中流以上のいいところの奥さまやお嬢さん」がつかう言葉です。 今でもJRの「山手線」などに言葉が残っています。 ただ、明治維新というのは為政階級が大きく入れ代わったできごとでした。 明治維新の立役者のほとんどは東京出身ではない、はるか九州出身の人、 地位のあまり高くない田舎者たちがたくさんいました、誤解をおそれず言えば。 彼らの少なくない数は東京でつきあいの深かった花柳界の芸者と結婚し、そのまま山の手に屋敷を構えました。 そして花柳界の言葉づかいである「~てよ」「~だわ」といった言葉が「山の手言葉(上流の言葉)」とみなされることになります。 三毛子が「私」を「あたし」と発音しているのも、もともとは下町のはすっぱな言葉です。 明治の初期には、田舎政治家たちが掻爬した旧来の上流階級、公家や武家の人々の記憶がありますから、 「てよ・だわ」言葉は上流階級の子女にふさわしくない言葉として、批判も浴びました。 が、時代の趨勢には勝てず、この「よくってよ」といった言葉遣いは、 「花柳界の言葉遣い(あまり褒められない言葉遣い)」から 「山の手の奥さまの言葉遣い(上流階級の奥さまの言葉づかい)」、 さらには「女学生の言葉づかい(流行の最先端を担う若い子女の言葉づかい)」 へと次第に変遷します。 当時の女学生は、花嫁修行の域を出ないとはいえ、ほんの一握りしかいないので 時代の花形、良いところのお嬢さまが多くいたようです。 「吾輩は猫である」は、「てよ・だわ」言葉が「女学生の言葉づかい」「わりといいところのお嬢さま」の言葉として定着した時期に書かれています。 同時に、飼い主である「二絃琴のお師匠さん」というのは、花柳界の人であったかのようにも思われます。 三毛子がどの立場にあるのか、興味深いところですね。 私個人としては、「ちょっといいお家の女学生」のように感じます。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。言葉の変遷を詳しく説明していただき、助かりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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その他の回答 (2)

  • LN-TF
  • ベストアンサー率53% (320/596)
回答No.3

既に詳細の回答があがっていますが、少し疑問に思う箇所もありますので。 1.「よくって」とは切り口上ともいわれる云い方で、教養のある品のある女性のはなすべき話し方ではありませんでした。さらにおちると「よござんすか」となりますが…。 意味は、「よろしいですね」の意味で付加疑問になります。 2.「どうかしやしなくて」これは「どうかなさったのではありませんか」の意味です。これもあまり良いところの女性が使うべきものではありません。「しやしなくて」は訛りです。 ここでも、三毛に鈴をちゃらつかせているように作者は、三毛を気立てはいいけれども決して「良家の」娘とはえがいていません。むしろ色街の匂いがどこかにするような感じにつくっています。三毛子は「ちょっといい女学生」と云う感じよりも、色街の娘と云う感じがしますね。作者は、当時の教養階級に通有の感情ですが、このようの職業のひとたちにあまり良い感情をもっていなかったのでしょう。 この作品は、かなり宛字や当時の東京特有の言い回しが多いので、その点は注意された方が良いでしょう。特に宛字は現代の若い世代に通じませんので使わない方が良いです。又話し方も今では使わないとか止めた方が良いと云うものもあります。 御参考になれば幸甚です。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。補足説明は大変参考になりました。助言を拝見しました。心がけてこの作品を読みます。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

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  • hua-nai
  • ベストアンサー率32% (24/75)
回答No.1

大体の意味ですが、 1.「よいですか?」という確認(念押し)  …ちなみに、その後に出てくる「悪くってよ」は、「悪いですよ」となります。 2.「どうかしましたか?」「どうかしたの?」 とてもきれいな日本語だと思います。 私は、中国語を勉強中の日本人です。他国語を学ぶのは大変なことだと思いますが、お互いがんばりましょう。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。中国語のお勉強を応援していますv(^-^*)v。

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