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死後の世界

私たちは死後、どこへいくのでしょうか? よい行いをしたものは天国、悪い行いをしたものは地獄へ送られるのでしょうか? そもそも、天国や地獄は存在するのでしょうか? もしくは、別の生命として生まれ変わり、新たな生活が始まるのでしょうか? また、死ぬとすべてが終わってしまうのでしょうか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.15

うーーん 自我って問題がからんでくると思う。 脳がこの世を作り出しているというのは真実ですよね。 人間の知覚は精密ではなく、おおざっぱ。 しかしそのおおざっぱな知覚で十分生存できる。 しかし、その知覚を処理する脳が壊れてしまうと、別ワールドになる。 生まれながらの色盲なら、色の無い世界がその人の唯一の世界です。 色で分ける標識とかには不自由しますが、そんなに生活していけないほどな不自由さではない。 ところが、先天的なものではなく、中途で障害を持って色が識別できなくなると、いきなり別世界に投げ込まれたので苦しむわけです。 私たちだっていきなり目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったら、いつもと違う世界になるので、順応するまで辛いですよね。 なかなか新しい世界を受け入れられない。 交通事故や病気で脳の損傷を負った人の中に左半面無視という障害を持つ人がいる。 左という概念が希薄になる。 だから左に物があっても、存在しないという認識なのでぶつかる。 「左に柱あるから注意して」と意識を左にむけさせたら、突然柱が出現するようなもの。 意識を持っていけば認識することができるレベルではなく、概念そのものが崩壊するまでダメージを受ける場合もある。 例えば目の前になにか出る。 何かわからない。 「ご飯ですよ お父さん」 と言われても 「は?」なわけです。 ご飯 食べ物 という概念が消失しているので、自分では言えるがそれが何かわからない。 「それよりお前は誰だ? ひとんちに勝手に入ってないしてる」なわけです。 「お父さん 私ですよ 娘の花子です」と言ってダメ。 とにかく食べてもらわないと餓死しますが、食べるという概念を喪失しているので、言葉では無理。 箸を持たせると、体がそれに反応して行動を起こす。 それすら崩壊すると餓死です。 本人が食べないと食べさせることはできませんから。 中には箸を使うということが消失して、困って手で食べたりする。 さらに手で食べるということも想起せず、口を直接容易にすけてかみつくように食べる人もいる。 服は邪魔なので裸になり、トイレで用を足すってことも喪失するので、そこいらじゅうで垂れ流す。 自分が出したものが何なのかわからず、食べる人もいる。 どんどん世界がわからなくなり、ほとんどがわからなくなる。 世界が限りなく狭くなるわけです。 家族が認識できず、自分が小さいころから暮らしていた家だってわからず、わかるものを探そうとして歩き回る。 一体どんなひどいことをやってきたから、こうなってしまったのかと、今までの生き方との因果関係を求めても答えはでてきません。 脳が死ぬと世界が閉じる。 脳が停止する前に、どんどん認識できる世界が閉じられていく場合もある。 だんだん世界が小さくなっていく人の発言をビデオで見ましたけど、自分の認識できる世界がだんだん狭くなっていくという恐怖を涙ながらに語っていました。 そして今は時々妻だってわかるが、やがてそれもわからなくなり、妻を生きながら消失するということに耐えられないと言っていた。 妻が側で支えていることすらわからなくなる。 他人だと思って「出て行け」と叩いてしまうんじゃないか とか。 自分がそうだと認識する世界がすべて。 ズレているという自覚ももはやできず、他人に害を与えているのに、それすらわからないまでになるくらいなら、そうなる前に死にたいと。 死後の世界とは違い、別世界に転居してしまったと思える。 私はこの方が怖いです。 死ねば世界が完全に終るが、世界を認識する脳があちこちやられて、今までわかったことがわからなくなる世界に移動するほうが怖い。 しかも、生き方とか直接関係無い。 医学が発達すれば、予防や治療ができて、再度世界を取り戻せるかもしれないが、当分無理のようです。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.14

わかりません。 死んで生き返る人はお話の中にしか居ないからです。 よって我々は死後の情報を持ち得ないのです。 答えで無いように見えるかもしれませんが、 わからないことこそが、少なくとも我々の行動を決定付けます。 現在の行動が死後に影響があるか、これも絶対に解らないのです。 繰り返しになりますが、死んで生き返る人は居ないのです。 これだけは今解っている事実です。 よって、高いお布施を払っても、あるいは神を罵倒しても 死後に影響があるかを見てきた人は過去に一人も居ないのです。 ですから結論として。 死後の世界を信じて死後の世界グッズを購入すれば、もれなく 天国にいけるよ!と言われても、お金を払わないほうがいいと思います。 意外に思われるかもしれませんが、死後の世界グッズを売っている人、 すなわち宗教家は、実は死んだ経験の無い人間なのです。 現代風に言ってみれば振り込め詐欺のようなもので、 心配だから振り込んでみたけれども、 実は払う必要は無かった、なんてこともありえますよ。 まず、確認してからでも遅くないです。 つまり死後のことは、死んでからでも遅くないです。 我々は生きているのですから、今の生活のことを考えたほうがいいですよ。

回答No.13

 意識を継続して死と生を経験し、ここの貴方の意識世界の意識と言語表現で語ることのできる方がおられれば、そのとおりでしょう。  でもその内容を貴方が理解できるか、どう理解するか、承認するかは、貴方次第ですからね。  死、そして世界。生、そして世界。  これについて、私がなにか言って、それを理解してもらうためには、貴方次第です。  貴方のことを考えずに、こういう疑問をお持ちのわかる方を対象に虚空を相手に、一般的にいうことも可能ですが、そういう必要はないのですね。  要するに貴方はそれを聞いても、そうかとは思わないでしょう。  だから、そんなものは無いよ、宇宙のどこにもないよ、という認識と回答でしかありません。  判るためには、意識とは、世界とは、そして死と生って何か。  ということの理解が必要ですが、物質の科学に関することではないので、皆さんには荒唐無稽と為ります。  実は荒唐無稽ではないが、判らないのです。

noname#84966
noname#84966
回答No.12

私は色々な本を読んで、明確に納得できていることを書かせて頂きます。 死後は、肉体から離脱して、霊魂としての状態で存在することになるそうです。 基本的には霊界へ帰るのが正しいあり方なのですが、霊界認識が著しく無かったり、地上に執着し過ぎたりする場合は、地上に滞在するケースもあったりするそうです。 霊界では、基本的には、理系的に表現すると、波長・比重等に応じて分かれて存在することになり、文系的に表現すると、心境・趣向等に応じて分かれて存在することになるそうです。 すなわち、粗雑で重く・例えば暴力的だったり我欲の塊だったりすると、同様の人達と一緒になり、精妙で軽快・例えば親切な人は同様な人と一緒になる、ということになるそうです。 なお、地上に滞在する場合は、通常、肉体人間との交信はできませんので、苦しかったりするようです。(霊界への案内もあったりするようでもありますので、本人の認識・意向等が変われば、霊界へ帰ることはありえるようです。) 更に、霊界では天国でも、周囲は自分と似た人達ばかりなので、居心地はいい反面、長く居ると停滞・退屈することもあったりするようで、そうすると、ちょうど比重の違う気体を缶詰に入れるような感じで、物質である肉体の中に宿ることによって、霊界では交流困難だった人達と交流可能となり、様々な新鮮な体験をし、人格も一層拡大・成熟させたりすることもでき、充実感・幸福感を味わって行ける、ということのようです。 すなわち、天国からは何度でも転生輪廻を繰り返すことは可能だそうです。 なお、地獄的な霊魂状態では、母体に宿って生まれることはできないそうです。 地獄霊は、基本的には、過去・現在の心の過ちを反省することで罪を洗い流し、心境を善なるものにすることで、相応の天国に移行することはできるそうですが、ただし、プラスよりもマイナスの方が未だ多かったりするような状態(例えば多くの人々を苦しめたまま等)だったりすると、まだ天国に行くことができない、というケースもあったりするようです。 なお、天国も(地獄も)心境程度に応じて段階があるそうで、神仏の境地に近付くほど、幸福感が一層強く深く確実不動のものになって行くそうです。 ちなみに、霊魂の存在自体につきましては、幽体離脱して眠っている自分の肉体を見下ろし、周囲の人々の会話まで聞いていたり、他の部屋へ移動してその部屋の様子を見聞していたり、という体験談は多くありますし、北欧の有名な科学者が、数々の一流の科学的業績を挙げ、社会的信用を確立した後に、幽体離脱して見聞した霊界の様相を著述していますし、真空管製作者として有名な科学者が、エクトプラズム抽出現象化により死者霊を物質化させ、写真を撮り話をし頭髪を切り顕微鏡調査まで実施していて、それをとりあげた文献も多数あります。 また、転生輪廻につきましては、退行催眠下で、前世での出来事を語らせたら、今世では本人が知りもしない昔の外国での出来事を語り、調べるとそれは事実であった、という事例は多数記録されています。

  • NoRuku
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.11

回答としては、終わりですね しかし、生きている間は想像することは自由だし、恐怖から逃げたいならなにかに(神とか・・)すがっても良いんじゃないでしょうか それで、安心できるならば・・・ 神がいるのか?と聞かれたらそれもNOです けど、いると思える人は宗教で人の命が無くなようなこと(戦争)は止めてもらいたい 人間は何か特別な物だと考えすぎているのでしょうね ただの生き物です、ごきぶりやはえと同じです 人間がそれを嫌っていても所詮生きるものすべては同じです 

回答No.10

まずは心という側面で。 人は死んだ後にどこへいくのか。 何を見て何を思うのか。 そしてその際に生きていた頃の記憶があるのか。 答えはNOでしょうね。 なぜなら人は、生まれる前にどこから来たのか。 生まれる前に何を見て何を思っていたのか。を 生まれた後である今わからないのですから。 人は無から生まれ、無へと帰ってく。 それは悲しいですがほぼ間違いない事だと思います。 そして肉体の面では。 死んだ後の人の肉体は、慣習によって違いますが 燃やされたり土に埋められたり海に帰されたり エアーズロックの上からふりまかれたりします。 いずれにしてもその肉体は、腐って土に帰ったり、 水に溶け、蒸発し空気中に漂ったりと 原子レベルになり世界をただよう事となります。 その原子はあらゆる形で動植物やわれわれ人間の中に 取り込まれていき。 その動植物は自らの細胞からつくられた子供を産み出します。 死んだ後の肉体は原子レベルになり、 やがて他の原子と結びつき新たな命として形を成すのです。 それはすなわち「生まれ変わる」という事じゃないでしょうか。 結論として、人は無から生まれ無に帰り、 そしてやがて他の命として生まれ変わる。 これが私なりに考えた命の始まりと終わりの姿です。

ackana
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 分かりやすく、一番納得した回答だと思います。

  • sheep67
  • ベストアンサー率28% (36/128)
回答No.9

僕の想像でもいいでしょうか? 死後の世界は本音の世界だ、と思ってます。 もし死後があるなら、と言う前提です。 死ぬ直前には、走馬燈とか言いますが、自分の人生全部を俯瞰できる心理状態にあると思います。 言い換えると、本音のところで自分の生きたことを評価できる心理状態です。 それは後悔にしても、満足にしても、そのまま死後に続くと思ってます。 生きてる間は、特にハイになったり、浮かれ気分だったり、何かに依存しすぎて視野が狭くなり、自分自身の生き方に満足なのか不満足なのかなかなか分かりずらいです。 そういうハイやローは、人の脳が作り出してる、物質特有の性質だと思ってます。 なので死後は、もしあるなら、脳による、ある種のフィルター物の見方のゆがみがとれて、肩の力も抜けて、自分の心の底の本音と向かい合うと思います。 その本音がどんな物であるか、生きてる間に知っておきたいですが、 でも死後に気付く人も多いと思います。 死後気付いた本音が、人生に対する後悔であったなら、死後は地獄だと思います。 決して取り戻せない、決して許してももらえない、決して悔い改めることもできない、嫌な気分を解消するための行動も取れない、ただただ永遠に、その深い深い後悔と直面し続ける、というのは地獄以外のなにものでもないと思います。脳がない以上、麻薬のような物でごまかすわけにもいきません。 これと正反対に、充実した人生を送れた、と思った人は、死後はその思いが固定する永遠に変わることがないので、それはパラダイスじゃないかな、と思います。 よく生き地獄という言葉があります。生き天国、という言葉も、ないですが、あるとします。 あの世に行っても、それは全く同じで、ただ、もう取り返しが付かないのが、いいにつけ悪いにつけ、あの世の特徴だと思います。 輪廻転生はわかりません。ごめんなさい。 死ぬとすべてが終わるかどうかは、視点による、と思います。 それは、すべて終わった、とももちろん言えますし、なにも終わってない、とも全く同時に言うことができます。 死ぬことによる境界線は、この世の物ではありませんし、なのでこの世の概念や言葉でダイレクトに正確な表現はできない、と思います。 つまり、「終わる」「続く」、というのは、この世における僕等の深い直観から来る物です。でも、その最深のその直観が、生前と死後では変わってきます。終わる、や続く、という言葉を生み出す元になった状況の変化や、それを捉える人の脳の認識、そういう前提が崩れて無くなるのが、死ぬことです。死後の世界があるとすれば、その時人格を支えるのは物質ではありません。なので別の感覚がある、と考えるのが妥当じゃないでしょうか? なので、これらの言葉は正確には使うことはできません。 終わるのか?続くのか?という発想自体が、この世ー物にとらわれた発想ですし、話しの前提自体が変なのではないかなーと思います。 憶測ですが。

noname#88701
noname#88701
回答No.8

私は一度この件に関して答えを削除されてしまった事がありましたので ごく一般的な、無宗教の方にも受け入れていただけるお話しをしたいと思います。 ちょうど今日ですが 仕事関係でお世話になった年配の方の告別式に行ってきたところです。 沢山の人達に見守られて、安らかな感じのする故人を拝見させていただきました 私も花を手向けてきました 告別式の会場で私が感じたことは もういない、会えない、話せない、という寂しさと 立ち会った知り合いの人達との何気ない会話の中に 今ここで会う事のできる人達とのふれあいを大切にしたい という思いでした。 その中の人には、つい最近奥さんを亡くされた方もいらっしゃいました でも気丈夫というか、落ち着いていつもと変わらぬ様子でした 役職を担っておられる方で関係する周囲の人達への心配りが感じられたものです。 今ここにいる人達との繋がりやふれあいを大切にしたいという思いは 居合わせた人の皆があったように思います。 生きてお付き合いのできる事がなにより貴重だと思います。 大切にすべきだと思います。 また、皆に見守られて旅立てるならば幸せだとも思います。 どこへ行くのか、という心配より 確かな今の時間を大切にすべきと思います。 宗教を学べば理屈の上では、一定の答えを得ることができるでしょう しかし、本当のところは誰も分からないのです 分からないからこそ 今、会うことのできる人達とのお付き合いやふれあいが大切だと思うのです。

  • rurubonpp
  • ベストアンサー率26% (128/488)
回答No.7

 死後の世界というか、霊の世界ですね。  ほとんどの人は100年もすれば自らわかると思うのですが、今現在の私自身の考えを言いますと、天国地獄があってそこに送られると言うより、霊の世界は心の働きがすべてというか、最優先ですから、その人の心の状態によって、地獄でも天国でも創造することが出来ると考えます。  したがって、死後のその人の心の状態で地獄へ行くか、天国へ行くかが決まってしまい、それは自らの心が創ってしまう世界であろうと思います。  しかし、もし地球を支配しているような神様がいるのであれば、そういう神様の御意志に従わざる得ないでしょう。そういう場合はちゃんと地獄と天国の区分があるのかも知れません。ちょうどこの世界に監獄があるのと同じですね。  良い行いや悪い行いとかと言うのも曖昧ですね。霊的成長にとって良い行いか悪い行いかと考えるべきでしょう。天国というのは天使の世界、仏教なら四天王などの天の世界ですから、少なくともそういう状態に霊的に成長していないと入れない世界でしょう。  良い行いや悪い行いによって生じる、脳や脊髄ホルモン系の働きによって、その人の霊魂が成長したり、汚れたりするわけです。だから、行いというのは大切ですね。  以上、現在推測できるところまで述べました。

noname#155689
noname#155689
回答No.6

ご質問者さまにとって 死後とはいつからを言うのでしょう? つまり、どの時点を「死」とするのでしょう? 心停止? 脳死? 医者が「ご臨終です」と判断した時点? 脳死しても、身体の多くの部分は外部刺激に反応して動きます。 心停止しても、組織はまだしばらく動きます。 肉は腐敗しても、骨はあんがいしぶとく残ります。 なにかが残っていれば、その中にDNAが残ってます。 どこからが「死後」でしょう? 解剖学者の養老孟司さんによれば 生と死の境目というのは、実は現代においても曖昧なのだそうです。 http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20070401/1175432984 死をきちんと理解できないのに 死後の世界を論じても説得力がないと思う私です。

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