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西東三鬼の「水枕ガバリと寒い海がある」について
どの語句が季語ですか? またなんで無季の俳句なんですか?
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- fumkum
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回答No.2
西東三鬼の「水枕ガバリと寒い海がある」について どの語句が季語ですか? またなんで無季の俳句なんですか? 調べてみましたが無季としたものが2つ。有季(「寒い」で冬)としたもの2つという結果でした。その中で、超季としたものがありました。超季とは有季俳句、無季俳句を形式的に季語・季節感の有無によって分ける考え方を否定し、季語・季感の有無ではなく詩感(ポエジ-)を優先され、超季語・超季感の十七音詩として認識することを言います。このような考え方の代表的俳人の一人が西東三鬼です。 この俳句については作者自身がその注に、「昭和十年の作。海に近い大森の家。肺浸潤の熱にうなされてゐた。家人や友人の憂色によって、病軽からぬことを知ると、死の影が寒々として海となって迫った。」としています。この場合、「寒い」は「死の影」(主題)に対する作者の心象風景に近く、季節感を表していないように思います。 内容理解にいくつかの考えがあり、「寒い」を季語とするのかしないのかも分かれますが、作者も注を読む限り、無季とすべきなのではないでしょうか。以上、参考まで。
- motooone
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回答No.1
寒いというのが冬の季語だと思います。 無季である理由としては、春夏秋冬いつでもある風景だからではないでしょうか。 水枕は熱があるときには季節関係なくしますし、それが寒い海であるという表現は季節によるものではなく水枕の性質によるものだからでしょう。