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ある言葉の意味や目的が変化すること。または、ある言葉が複数の意味や目的を持つこと。
お世話になります。 同じ人が同じ人に言う同じような内容の言葉であっても、 その言葉の意味や目的が、必ずしも毎回同じとは限りません。 言葉の目的が変化する場合もあれば、 複数の目的を持つ言葉もあります。 たとえば、小学生のA君が同級生のB君に 「校長先生の新車のガラスを割って来い」と言ったとします。 この言葉は元々『嫌いなB君を遠ざけることを目的とした、ムリな命令』だったとします。 しかし、同じ会話を繰り返すうちに、その言葉が別の意味や目的を持つようになることがあります。 (たとえば、その会話自体が面白くなる等) そのように会話が別の意味や目的を持つようになると、会話の表面的な内容も、 当初の意味や目的とは矛盾した内容に変わることがあります。 たとえば「じゃあ、タイヤの空気を抜いて来いよ」等と言った、けっして無理とは言えない内容、 つまり当初の目的である『無理な命令』とは矛盾した内容に変わる場合等が、それに該当します。 そこで質問ですが、上記のような状況を上手く説明する用語や理論等は無いでしょうか? ご存知の方が居ましたら、ご回答の程、宜しくお願い致します。
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- noname002
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御返事、拝見しました。 敢えて一応またウィトゲンシュタインからということで、、、以下は『哲学探究』第一部に出てくるそうです。 「アウグスティヌスの与えた記述が当てはまる言語を一つ考えてみよう。それは建築家Aと助手Bとの間で意思疎通のために用いられる言語である。Aは石材によって建築を行う。石材には台石、柱石、石版、梁石がある。BはAが必要とする順序にしたがって次々に石材をAに渡さなければならない。その目的のために二人は台石、柱石、石版、梁石という語からなる一つの言語を使用する。Aはこれらの語を叫ぶ。―Bは教えられた通りに石材を持って行く。これを完全な原始的言語と考えよ。」 ウィトゲンシュタインの『哲学探究』/『青色本』によれば 「記号(文)は、その意義を、記号の体系すなわちそれが属する言語から得ている。簡単に言えば、文を理解することは言語を理解することにほかならない。」 「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国は国語だ。それ以外の何物でもない。」~シオラン 言語を理解するということは、とりもなおさず文化を理解することでもあるのでしょう。 私個人としては、多様な膨大な選択肢群のなかから、あるコトバを選び出すということ自体、行為と見做していますし発話者の言語、その発話行為を理解することは思考回路を理解することと密接していると思っています。そして文化や言語体系というものは、一個人のなかにも備わっているものだと思います。 グレーリング『ウィトゲンシュタイン』によれば (『探求』) 「言語は言語ゲームの集合だというときにウィトゲンシュタインが力説しているポイントは、言語は単一の本質をもつものではないということ、一元的な理論によって記述され解き明かされるような本質などないということである。したがって、言語の働きを理解するためには、まず、その多様性を認識するところから始めなければならない。 ウィトゲンシュタインに言わせると、ひとたびこれを明確にしたなら『論考』で考えたように「意味」をとらえるのが、なぜ間違っているのか理解できるはずなのである。『論考』では語の意味を構成する数多くの様々な言語ゲームのそれぞれにおいて、その表現に与えられる使用だとされるのである。 「語の意味とは、言語のなかでのその使用である。」」 ミルクをおくれと言われたのでミルクを渡したら、違う!と言われた。そのときに、ミルクとは、これであるという約束をあらかじめ知っている者であれば、なぜ相手は「違う」と言うのか不審に思うでしょう。相手が一人だけでなく、その他の人々にも、ミルクを差し出すと「それは違う!」と否定されたら、どう考えるでしょうか。自分が思い違いをしていたかと思うのか、まわりが自分を愚弄していると思うのか。いずれにせよ「ミルクをおくれ」という要求に応えなければならない立場にあるなら、では、どれが相手の言うミルクなのかを探ろうとするでしょう。 もしも傘を渡して初めて相手が納得したらば次回から「ミルク」と要求されたら傘を渡します。それ以降、問題が起きなければ、ミルクとは傘のことであると定着します。 ところで、そのうちに、ただ傘を渡していたら相手が「その傘じゃなくてー」と言い出します。「赤い傘」と言うから赤いのを差し出したら「違う!」と言う。結局、黄色い傘を渡したところで納得した。ミルクと言えば黄色い傘のことである。ここまで辿り着くのに長い旅をしなければならない。しかも、いつ何時、そこが目的地ではなかった、と一方的に宣告されるやら分かったものではありません。 さて、こうした遣り取りが、二者間においてのみの場合と、一対多数であった場合には、どのような違いが起きてくるでしょうか。 或いは、自分側が「ミルク」と言って黄色い傘を期待していたら、本来の「ミルク」が渡されてきた。 或いは、「ミルク」と言うたび、靴になったり新聞紙になったりしたら、どうでしょうか。どうなさるでしょうか? こうした、コトバを使ってのダブルバインド状態(:ベイトソン)に置かせるというやりかたは、いわゆる人格障害の人が、他者に対する操作として、よく用いたりするようです。こうしたことを楽しめるのかどうかというと、さて。医師や専門家ですら避けたがるそうですね。 『言語が正常に機能しなくなり自身の無に気づいた瞬間、人は精神を病む』(ラカン) >その会話自体が面白くなる等 にしたいなら、やはりコミュニケーションということを前提に、はずしてならないことがある、ということでしょう。 たぶんソシュールとか、ウィトゲンシュタインの経歴からして数学的な考えかたも関連してくるんだろうと思うのですが、私としては、御質問文中で >この言葉は元々『嫌いなB君を遠ざけることを目的とした、ムリな命令』だったとします。 という設定をされてらっしゃるので、やはり心理学のほうで、コミュニケーション理論としてのお尋ねをなさったほうがよいかな?という気もします。 用語、ということでは、『言語ゲーム』という名称そのものをあててよいのではと思いますが その、『言語ゲーム』に加わるか否か、加わらせるか否かあたりに、心理的なものが関わってくるようにも思います。
厳密に確認したいのなら国語のカテです。 引用された例で取るならば、親密度がますにしたがってお互いを理解する現象で、言葉の話ではなく心の話です。
お礼
教えてくれて、ありがとうございます。 国語カテでも質問してみますね。
- noname002
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「たとえば、」として述べていらっしゃる例文がイマイチ私の理解及びませんで、御希望のこととドンピシャリとは行かないかもしれませんが、もしかしたら参考にしていただけるだろうかと思ったことを挙げてみます。 私の身近で経験した「ある言葉の意味や目的が変化すること、複数の意味や目的を持つこと。」と言いますと、 たとえば私の叔母は東京在住だったのですが、父と母が、その叔母のことを話題にするとき、叔母の名前や、妹が…とか言わずに「東京がね。」と言うのです。そして「東京に行く」ということは即ち「叔母宅に行く」ということでもありました。 地方、地域によって、ある単語の意味が違ったりするという話も、よく聞きます。たとえば大阪では、物を捨てることを「ほる」と言うこともあるのですけど、これは「放る」のつづまったもののようですが、他地域ですと「放り投げる」ような動作を連想するでしょうね。 「片づける」「しまう」ことを「なおす」と言ったりもします。 聞いた話では、島根県あたりで「休憩する」「一服する」ことを「たばこする」と言ったりするのだそうです。最初、小学生が言ったのを聞いて驚いたということでした。 「お前」とか「貴様」とかは時代によって使われかたが変化した例ですね。 業界用語としての隠語なんかも、いろいろあるみたいです。 たとえば警察では犯人のことを「ホシ」とか。「白状させる」ことを「歌わせる」とか?「ホシに歌わせる」って、なんかロマンチックな?(笑) 詰めもののことを指して「餡こ」と言ったり。 そもそもコトバというものは多義的な性質を持っているものですが、それに加えて、いわば「既成事実の確立」的使用をみかけることも、よくあります。職場や仲間内での慣用語もそうですし、あだ名なんかも、そうした側面がありますね。本人はピンと来ないとか気に入らなくても周囲がシツコク呼び続けてると、そのうち定着してしまったり。 コトバというものに備わった多様な解釈の可能性ゆえに、意味や目的の変化、複数の意味や目的を持つという現象を伴うのでしょう、いわゆるコトバ遊びといったものも起きてきますね。 その解釈可能性は「文脈」(関係性、背景)というものによって意味や目的が推し測られるべく変化しますが、コトバそのものだけに当てはまることではなく、表情や、しぐさ等にも意味や目的は持ち得ます。 また、私はコトバ自体「振る舞い」のうちに入れています。 「言葉は行為である」「語の意味は語の使用だ」 と言ったウィトゲンシュタインに「言語ゲーム」という論があります。 自他の間に越えきれない絶対的断絶がある以上、発話者の直接な意図ではなく、その場の状況が重要なのである、ということですが、私個人は情況自体も「文脈」と見做すことで発話者側の意図を判断していきます。そのことにより、表面的な単語の意味だけに捕われることはありません。ここが理解できない人には、隠語や暗喩表現を駆使して隠蔽したにもかかわらずバレてしまうのがフシギでしょうがないみたいです。ちょっと考えたらアタリマエのことじゃないかと思うんですけど(笑)ですが本来の私は、文章ならストレート解釈、イヤミ言われてもキョトン、してるタイプです。「オマエなんか嫌いだ~!」って言われたら「あっそ!」とサッサカ離れたり。相手のほうが大慌てしたりで、失敗が多かったです(´▽`;なので、やたら含みの多い言い回しかたする人うっとおしい~です(笑) コトバを嗤うものはコトバに嗤われる。 一度ウィトゲンシュタイン「言語ゲーム」で検索なさってみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当初は私も『言語ゲーム』が頭に浮かんだのですが、 私が調べた限りでは、質問のような状況を指し示す用語は見つかりませんでした。 もし『言語ゲーム』の理論の中に、質問のような状況を上手く言い表す用語があれば、 教えて頂けたらと思います。
- yayuh
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人によって、または同じ人でもその条件や環境によって、意味付け、価値付けが異なる、または変わってしまうということは、よくあることですよね。 それによって、誤解や理解不足がうまれ結果的に、争いに発展したり不信に発展したりすることもよくあることです。 それは、個人の判断のものさしに起因するところが大きいですね。 では、その判断のものさしがどういうプロセスで作られているのか、その判断のものさしが人間社会にどんな影響、プロセスを作り出してきたのかを説明できる理論として、マインドーム理論がというものがありますよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃるような状況は多いですよね。 さて、教えて頂いた『マインドーム理論』について、 ネットで収集できる情報は少ないのですが、 私のマインドームなりに(笑) 理解することはできました。 ネットでは私のイメージに重なる知見を得ることはできませんでしたが、 たいへん勉強になりました。 私と致しましては、質問のような状況を指し示す用語を知りたいのですが、 この理論の中に、そのような用語はあるのでしょうか? また、『マインドーム理論』は誰の理論なんでしょうか? お手すきのときにでも、書き込んで頂けたら幸いに思います。
- nisekant
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ご希望にそえるが分かりませんが メルロ=ポンティ「知覚の現象学」 ミリカン「意味と目的の世界」 ※誤字脱字の可能性あり をお勧めします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 早急に読みたいと思います。
直接の答えではありませんが記号論でいう恣意性と関連があることではないかと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 手元にある書籍で『恣意性』を確認しましたが、 私がイメージする状況とは異なっているようです。 もう少し調べてみますね。
お礼
教えてくれてありがとうございます。 色々とお詳しいのですね。 ご助言の通り、心理学カテで質問してみますね。 ありがとうございました。