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類は友を呼ぶとは、当っていますか?
類は友を呼ぶとは、当っていますか? 前向きに生きている人には、前向きな仲間が、 明るく一生懸命生きている人には、明るく一生懸命生きている仲間が、 頑張る人には、頑張る仲間が集いますか? 類は、友を呼びますか? その人の友達をみれば、その人の人柄が解かりますか?
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類は友をよぶ、長く付き合っている友人だったら当てはまるのではないでしょうか。何人かのまわりの人間から無意識のうちに価値観やタイプの似た人を選別していくのは必然ですよね。相手がそう思ってなければ相手から離れていくだろうし長く一緒にいるなら少なからず相手も同じように感じていると推測していいでしょう。類友、あると思います!
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類は友を呼ぶ。 これは、人は似た人と固まりがちという事ではないでしょうか。 学生時代にクラスでグループが出来ていて、グループごとの性格があったという話をたまに聞きます。 似た人で固まってしまうから、類は友を呼ぶと思ってしまうのでは? そうだと考えると、あまり良い事でもないですね。 色々な人と仲良くするのが良い事だから。 その人の友達を見ても性格は分からないと思います。 引きこもりと友達でも、引きこもりを肯定しているとは限りません。 むしろ、友達の脱引きこもりのために色々アドバイスをしているもかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >人は似た人と固まりがち とても、的を得ていると思います。
概して言えば、当たっていることは多い、と言えるように思います。 心(性格)は電波のようなものだと言えるでしょうから、波長が同様だと自然と感応し合って集合するようになる傾向はあると言えると思います。様々な気体が比重に応じて存在階層が分かれるのと同様な面はあると言えるのではないでしょうか。 ただ、体験的にではありますが、表面意識と潜在意識は結構別々でバランスを取り合うという働きをすることもある場合がある感じもしますので、例えば表面的に明るい人が内心物静かなあり方を欲していることもあるように思いますし、その結果物静かな友人と一緒にいると落ち着く、というパターンはあるように思いますので、あくまで表面内面合わせてトータルでの心の欲求趣向意向に応じて、集まるようになる、というのがより正確な表現になるようには思えます。
お礼
とても、ご丁寧に分析していただき、わかりやすかったです。 ありがとうございます。
- delsole_d
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>類は友を呼ぶとは、当っていますか? =当たっていると思います。 学生の頃、何人かのグループになったりしますが、どこか似たり 寄ったりの性格の人が群れをなしていましたし、 社会人になってからの友達も(別学校で)同時期に同じ資格を取得した人と就職後仲良くなりました。 犬の集まるドッグランでは同じ犬種の飼い主さんがなんとなく固まっています。 オンラインゲームで知り合った友達もチャットだけの付き合いでしかなかったのですが実際会うと似たような性格でした。 >その人の友達をみれば、その人の人柄が解かりますか? =ハッキリとは解りません。ぼんやりとこの人と一緒にいるということは近い特徴があるんだろうな・・・という感じです。
お礼
率直なご感想、ありがとうございます。 学生時代の友人・仲良しの教授たちとは、何年でもお付き合いできます。 おそらく、なんとなく、お互い近い特徴があるんだと思います。
- ccloveforu
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>類は友を呼ぶとは、当っていますか? ある意味ではね。でもそれは例外に近いです。 たとえば同じようなものに、似たもの夫婦というのがあり ますね。しかし世の中の夫婦はみんな喧嘩ばかりしていて 性格が一致しているようには到底思えません。また逆にし ても愛妻家というのもちがうわけで。 ま、この諺っぽいのは、人の悪口の部類でしょうね。 八把一束のたとえの通りです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は、未婚なのですが、将来のだんなさまがどんな方になるのか、予想が付きません。 できたら、愛妻家で、家族愛を大切にしてくださる方であってほしいです。 私も愛夫家になります。
大方は当たっていると思います。 ただ、、、 一生懸命生きている様に見える人同士に見えても、本当に頑張っている人にとってみると根がズルくて表面上頑張る人は一方通行の友かもしれません。 それに、前向きそうでも根はネガティブで、そういう風に振舞っている人もいるに違いありません。 皆は自然と相手の本質を見抜いて接していますから、そういう人間とは距離を置きますよ。 なので、一概には絶対仲間が集まるとは言えないかもしれません。 私は友同士の心の部分の繋がりが大きいかなと思います。 趣味が同じで盛り上がる人よりも、自分と同じ考えで共感できる相手の方が一緒に居て落ち着きますから。 その一方で、同じスポーツが趣味で頑張っている同士でも頑張らないメンバーが居れば「何だ?コイツ」となってしまい、仲間から外されてしまいます。 趣味には趣味での友ができますが、かと言って年齢・性格が合うか?と言えばいろいろなメンバーが集まってきますからこれも一概には言えません。 なんだかまとまりの無い回答になってしまいましたが、一つだけ言える事は 個人個人の各居場所にはその集まった場所に合う仲間が居るという事です。 会社には会社の、趣味には趣味の、地元には地元の心を許せる人が居るはずです。 私の考えですが、心を許せる人と仲良くなりたい気持ちの強い人であれば、自分と同じ様な人間を、、、 楽しみを共感したい人であれば違う人種を友にしたい傾向が強いのかな?と思っています。 自分と同じ部分を持っているという点では、この諺は当たっている部分は大きいかなと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 率直なご意見、参考になりました。 >自分と同じ部分を持っているという点では、この諺は当たっている部分は大きいかなと思います。 特に、この部分に感銘を受けました。 的を得ていると思います。 ただ・・・私の悪い部分に似ているのは、困ります。
- sanori
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こんばんは。 >>>類は、友を呼びますか? はい。 考え方(特に価値観)が似ている人同士は、友達になりやすいですね。 また、同じ趣味、同じスポーツ、同じ話題を共有できる、などの場合は、「類は友を呼び」ます。 No.1の方がおっしゃっているように、悪い人同士が友達になるケースはありますね。 しかしながら、ご質問文にあるように、前向きの人同士、明るい人同士というのは、あまり当たっていないと思います。 私の周囲では、前向きで明るい人が、後ろ向きで暗い人を支えている友人関係は、結構存在しています。 >>>その人の友達をみれば、その人の人柄が解かりますか? 私が上記に書いたことから、「わかるとは限らない」ということになります。 以上、ご参考になりましたら。
お礼
率直なご回答ありがとうございます。 >悪い人同士が友達になるケース これは、あまりよろしくないですね。 できたら、お互いを支えあい、補いあえるような、人間関係づくりをしたいです。
- asakasimin
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回答から言えば、「それはアテにならない」と言えると存じます。 というのも、「類を呼んで」みて初めて「あ、類だ!」と気づくところが、このことわざのポイントだからです。 別の「類」が呼ばれても、「あ、類を呼んだんだ!」なんて思うわけがありませんから、普通に友人として過ごすだけで、このことわざは思いつきません。 現に、私の友人ですが、とても「類」とは思えません。 むしろ、「異なる類」の方が、長い友人でいられる模様です。 個人的な感想かも知れませんが本音です。
お礼
率直なご回答、ありがとうございます。 この諺は、全ての事象を言い当てているとは、いえないと思います。 人間関係・人間は、そんなに単純なものではないと思います。
- KGS
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けっこう当たっていると思います。 共通の話題があれば自然とそうなりますね。 悪い人の周りには悪い人が集まります。 病気の人には同じく病気の人が集まりやすくなるのと同じでしょう。
お礼
端的に的確なご回答ありがとうございます。 >悪い人の周りには悪い人が集まります。 病気の人には同じく病気の人が集まりやすくなるのと同じでしょう。 的を得ていますが、できたら、私は、この仲間には、入りたくないです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 長年、仲良くやっている友人・教員とは、お互いに価値感があい、共通のタイプがあるような気がします。 利害なしで、付き合える人たちを大切にしてゆきたいです。