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ある和歌の文末連体形について

前回の続きに当たる質問です。 申し訳ありませんが、宜しくお願いします。 なぜ、これが連体形なのかわからない、という質問です。 文末連体形について幾つか例文が出されました。 1 袖ひちて結びし水のこほれるを春たつけふの風やとくらむ (らむ) 2 五年六年のうちに千年や過ぎにけむ (けむ) 3 鸚鵡は人のいふらんことをまねぶらむよ (らむ) 4 さやの中山など越えけむほどもおぼえず (けむ) 5 ひさかたの光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ (らむ) 1,2は係助詞「や」の結びで連体形だとわかります。 3,4は続く終助詞?「よ」名詞?「ほど」の要求で連体形だとわかります。 しかし、5だけはなぜ連体形かわかりません。形からしても終止形でいいのでは、と思うのですが「連体形です」ということで、私の中で疑問になっております。 詳しい方、どうかご教示下さい。宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ezorisu
  • ベストアンサー率35% (61/171)
回答No.2

これは以前から解釈が別れている問題です。 解釈では次の1~3です。  1.「など」を補って連体形で疑問として考える。  2.連体形で体言止めの一種として考える。  3.終止形で詠嘆として考える。 文法的に杓子定規に考えると1が近いのですが、 王朝浪漫歌の代表作としては寂しい解釈です。 近頃では3のように読む説が有力になっています。 従って、終止形で間違いとは言えません。 文学としては大学院レベルの問題ですね。

gudousha1
質問者

補足

ありがとうございます! 詳しい説明で、とても納得できました。

その他の回答 (1)

  • simaku
  • ベストアンサー率31% (12/38)
回答No.1

学校で学んだだけなので確かではないですが、その句の意味としては 「どうして花は散るのであろうか」と疑問になるので、その句の上になど(連体形結び)が隠されているのではないでしょうか?

gudousha1
質問者

補足

なるほど 「など」等が隠れていると考えるといいわけですね。 こういう曖昧なのってややこしくて困りますよね。 もっと論理的に構成してくれると助かるのですが・・・。

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