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脳死に対して、日本人の死生観

現在、脳死に関してのレポートを書いています。 具体的には、日本で脳死による臓器移植についてです。 その中に日本人特有の死生観が大きく影響していると考えているのですが、なかなか良い、説得力のある文が考えれません。 どなたか、脳死に関してなぜ日本人の死生観が影響しているか 説明できるかたどうかよろしくおねがいします。

noname#105094
noname#105094

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  • nomonomo2
  • ベストアンサー率29% (42/143)
回答No.3

「脳死」という言葉が明らかになったのは、つい最近の事だ。それまで医師は、人の「死」を判定するのに、心肺機能の停止と瞳孔の対光反射の消失を確認できれば良かった。 が、医学の進歩により、脳だけが「死」に、機械によって心肺機能を維持している状態を保てる様になった。「脳死」である。 「脳死」の確立と共に、よく話題にされるのが、「臓器移植」である。 アメリカには負けるものの、日本は、先進国の中でも、臓器移植に関しては寛容な国である。 それには、「雑宗教」「無宗教」から来る、日本人特有の死生観が、大きく影響している様に、私は思う。 日本には国教がない。人気(ひとけ)のない神社が正月だけは人でごった返し、クリスマスシーズンになるとどこへ行っても賑やかな音楽と大きなツリー、十字架、葬式には皆で数珠を持ち手を合わせる習慣は、日本に、雑宗教・無宗教の人間がいかに多いかを示している。 雑宗教・無宗教である事は、行動や思考の制限が極めて少ない事に繋がる。 例えば、キリスト教でセックスを忌み嫌い、輸血を禁じ、イスラム教で牛肉や豚肉を食べる事を禁止する、といった習慣も、日本には一切ない。   「死生観」と、それに基ずく「臓器提供」の考え方についても、同じ事が言える。 例えば、○○教では、人間の身体は精神と共に死してもなお不滅であり、脳死の状態だからといって、一部を切り取って他者に提供するなど、とんでもない事だそうだ。 その点、日本人の考え方は自由であり、柔軟がある。 「輪廻転生」を信じ、死しても身体を保ち続けたいと考えるなら、臓器提供を拒否すればいいのだし、灰になる前に喜んで他人(ひと)様のお役に立ちたいと願うならば、臓器提供を申し出る事もできる。 臓器提供を希望する人間は、年々増えているそうだ。臓器移植を以ってでしか回復する見込みのない障害を持つ人にとって、これはとても喜ばしい事だと思う。「臓器提供カード」の普及も進んでいる。 こういった日本社会全体の動き、「臓器移植」に対する国民一人ひとりの意識が向上している根本には、日本人特有の死生観、「死」に対する考え方の自由があるからではないかと、私は思う。

その他の回答 (6)

  • shiara
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回答No.7

レポートを書くのであれば、日本人特有の死生観を明確にしなければなりません。イメージだけで考えていたのでは、レポートを書いている途中に、これも日本人特有の生死観かしら、などと色々と悩んでしまって、レポートを書くことができなくなります。まず初めに、日本人特有の死生観を明確にしましょう。ところが問題は、日本人特有の死生観を明確にすること自体が、もう2つ3つレポートを書けるくらいに大変だということ。少し、視点を変えた方が良いかもしれませんね。 脳死による臓器移植では、生死観よりも、普段、死を意識しない人間が、死というものを突きつけられる、ということの方がよっぽど大問題だと思いますよ。

noname#77245
noname#77245
回答No.6

こんにちは。 こういう質問の場合、意外に(?)「哲学」のカテゴリーで質問された方が良いかと思います。 実にいろいろな考え方や価値観、知識を持った方がいらして興味深い回答を得られるのではないかと思います。 あなたがレポートを書く上で、何らかのヒントになるんじゃないかな・・。 ちなみに私は脳死は死だと考えていません。 脳が(機械上で)反応しなくなったからと言って(科学的にそれが「死」であっても)、 はたしてその人は本当に何も考えたり感じたりしていないのか・・・? 本当は完全に身体が死んでしまうまで、痛みだって感じているかもしれない。(「あ!コイツ、アホだ!」・・と思わないでね(笑)ふふふ) それが脳に反応されないだけかもしんない。だからどうしても「脳死=死」とは思えないんですよねぇ。科学的証拠?を100%は信じられない。 脳死した人じゃないと分からないことだもん。・・と思ったりしてます。 臓器移植も諸々のことを考えて基本的に反対ですが、自分自身が脳死になったら、(痛みを我慢して!)臓器を提供するつもりではいます。 まぁ自分が痛い分には構わないのです。あとは死しか残ってないなら、それで誰かを助けられたらその方が嬉しいし・・。 逆に私の方が臓器移植が必要になる立場となったとしても、きっと私は誰かの臓器を取ってまで生きようとはしないと思う。 欲しがらないと思います。葛藤はあるでしょうが、たぶんその選択はしない。 まぁ自分の子供がそうなると・・・分かりませんねぇ。自信ありません。 日本人はある種、昔から常に、死を身近に置いて生きている部分があるんじゃないかな。 DNAか何かに記憶されているのかも。無意識に。それが「脳死」とかぎりぎりの場面になってムックリ顔を出す。 殊に死に関しては科学を万全と思えなくなっちゃう傾向が強いのかもしれませんね。 私はこんな回答しか書けませんが。やぁね。アホって。 では。

noname#68928
noname#68928
回答No.5

色々意見が分かれるところではありますが、私は日本ではまだまだ脳死による臓器移植には抵抗感を持っている人が多いと思います。 日本人はよく親から貰った体を傷つけて等と言ったり、親子心中という外国人には分かりにくい概念もあります。子供は親に帰属しているのだという感覚が強いのです。これを顕著に表した言葉が肉親です。文字通り血肉を分けた存在なのです。肉親の身を切ることは正しく我が身を切ることと同じなのです。日本では火葬が圧倒的に多いのですが、身内が亡くなれば骨壺を祭壇に置きます。そしてなかなか墓には移せない人もいます。墓に移すときでさえお骨は壺の中に入ったままです。亡くなった人の体の一部でも綺麗に取っておきたい気持ちがあり、土のような他の異物と混ざってしまうことを恐れている気持ちがあるからではないでしょうか。元の個人として残しておきたいからではないでしょうか。 胸騒ぎがする、胸が痛い、心が痛む、胸を熱くするという表現そのままに、日本人が考える魂の入れ物は脳そのものではなく、むしろ心臓にあると考えていたのではないかと私は思います。嬉しくなったり悲しくなったりの心の動きに反応するのは心臓です。だから脳の機能が著しく損なわれても、心までもが死んだとは到底受け入れられないのだと思います。心、つまり魂が心臓にまだ宿っている限り、心臓が動いている限り死と認めることが日本人には困難なのだと思います。

回答No.4

日本人は合理的に考えられません。 なぜなら、日本人は「もの」に何かが宿っているという宗教観を太古から持っているからです。 例えば、家族が「箸」をお父さんの、お母さんのと、それぞれもっているのは、 人が使ったものには、何かが宿っているので、他人のものを使いたくないという感情が働くからです。 同様に、肉体であれば、たとえ脳が死んで、もう「人」として機能できないとしても、 その肉体の所有者の何かが宿っていると考えて、どうしてもその肉体を汚したくないと考えます。 形見などに思い入れがあるのと同様に、特にその人そのものの肉体に関しての思い入れは強烈です。 これは、日本人特有の宗教観、死生観です。 日本人は諸外国の人よりも非合理的に考えてしまうのです。 ということが脳死と臓器提供に関して指摘できるでしょうね。

  • luckyrobo
  • ベストアンサー率53% (7/13)
回答No.2

説明以前に、持っていきたい結論の方向性が書かれていないのですが… 要するに、脳死した人の臓器提供を可とするにせよ、否とするにせよ、 日本人の死生観がその考えの根本にある証拠を幾つか挙げたいのですよね? だとすればこういうのはどうでしょうか? 1:日本人の多くは脳死した人間の臓器提供を可としている。 →古来より仏教では輪廻転生の教えを説いており、肉体は単なる魂の器でしかなかった。  (日本人の死生観の説明) →過去の幽霊像においても、足が無い日本古来の幽霊像は肉体との乖離を示す物である。  (死生観を現す端的な証拠) →従って、多くの日本人は脳死によって魂を失った肉体を臓器提供として渡す事に抵抗感を抱いていない。  (結論への回帰) 2:日本人の多くは脳死した人間の臓器提供を否としている。 →古代の日本人は息が人間の生命を表す物と捉えていた。  (日本人の死生観への説明) →死のフレーズに「息を引き取った」という言葉がある事からもその点が見受けられる。  (死生観を現す端的な証拠) →それ故に、多くの日本人は脳死によって死を宣告された人間が  いまだ息をしている事に違和感を覚え、臓器提供として渡される事に反発するのである。

  • zyakkaru
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.1

            ・・ >どなたか、脳死に関してなぜ日本人の死生観が影響しているか >説明できるかたどうかよろしくおねがいします。 あなたは日本人の生死観が 「日本で脳死による臓器移植に対して、どのように影響している」 と考えているのですか? 文章が質問として成り立っていない気がします。

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