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わからない哲学の用語
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- harepanda
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これ、絶対にギリシャ哲学の授業ではないですよ。主旨は別のところにあるはずです。現代か中世の立場から、昔のことを見直すという視点があるような気がします。 一般論から言えば、こんな感じです。 ギリシャには哲学者がたくさんいた。ギリシャはギリシャという国ではなく、アテネ、スパルタなどの、都市国家が散在した地域だった。 ローマはイタリアの都市国家としてスタートしたが、ギリシャとは異なり、地中海やイギリスまでを支配する大国家に成長した。ローマはギリシャ文化を受け継いだ多神教の国だったが、大国家に成長したことで、旧来の民主制が機能しなくなり、必然的に帝政に移行した。(ただし、皇帝は必ずしも世襲ではない) ローマは支配した国の神を、どんどん柔軟に受け入れた。しかし、ユダヤ教徒の扱いには苦労した。選民思想や割礼の儀式(ペニスの包皮を切り取ること)は不気味で厄介なものとされ、ユダヤ教から派生したキリスト教も、当初は否定的評価をあび、弾圧された。 キリスト教は、ユダヤ教の選民思想を排斥することであらゆる民族に布教が可能となり、早い段階で割礼の儀式を廃止して、ギリシャ・ローマ文化になじんだ人たちに、安心感を与えた。キリスト教はユダヤ教よりも一神教として純粋であり、ユダヤ教的な「神は多数いるが、ユダヤ人についているヤーヴェこそ最強だ」という発想から抜け出した。まずは、アルメニアが世界で初めてキリスト教を国教とし、ローマでも国教になった。ローマは多神教の世界観を昔話として残すとともに、キリスト教国家になった。 コンスタンティヌス帝は、かつての民主制の名残である元老院の政治介入を嫌い、首都をローマからコンスタンティノープル(現トルコ領イスタンブール)に動かした。この決断の背景には、アナトリア(現トルコ領)の豊かな小麦を扱う上で好都合であること、コンスタンティノープルがローマと同じで7つの丘を持った地であることがあった(ヨーロッパ人が7つの丘と言えば、ローマの意味であることは、教養人の間では当然視されている)。 その後、ローマ帝国は、東西に分裂。東ローマ帝国はかなりしぶとく生き残り、公用語がラテン語からギリシャ語に変わって、文化のギリシャ化が進んだ。東欧や中東、アフリカにいたるまで文化的影響を与え、ギリシャ・ローマの文化はイスラムに引き継がれたが、最後はオスマントルコに屈し、滅亡した。 西ローマ帝国は早い段階で滅亡し、文化的影響を直接、残すことは出来なかった。西ローマが滅びた原因のひとつが、ゲルマン人の流入。その後、暗黒時代とまで呼ばれる中世が訪れ、ルネサンスでギリシャ・ローマの文化の価値を再評価するまで、西欧の文化レベルは、イスラムや東欧より劣るという状況だった。当時は哲学といえばキリスト教神学であるというのが常識だった。 というわけで、提示された用語を見ていると、この西欧における西ローマ滅亡後の中世キリスト教哲学の匂いが、ぷんぷん漂っています。高校の世界史教科書でも残ってみたら、読み直してみましょう。
- v7nV1dZjx
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かろうじて神秘主義以外はギリシャ思想(プラトン、アリストテレス など)とはまったく関係ありません。ナノで無視して飛ばしてOKで す。プラトン、アリストテレスを理解するうえで糞の役にも立ちませ ん。 神秘主義はプラトンの思想と似てはいますがプラトンはキリスト教的 救済神秘主義あるいはグノーシス的な神秘主義を意図してはいません。 いずれにせよプラトンの思想は別格でいずれアリストテレスが修正して しまいます。
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