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人格形成について

遺伝的要因と環境因子はどのようにヒトの人格形成(行動)に関わるのですか? 理系なのですが専門分野では無いのでいまいちよく分かりません。 どなたか分かりやすい説明をよろしくお願いします。頭が弱いので;

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  • ruehas
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回答No.1

こんにちは。 「遺伝的要因」といいますのは「先天的体質」として反映し、 「環境的因子」といいますのは「後天的学習」として獲得されます。 「人格」といいますのは「神経系の処理結果」ですから、脳内で解剖学的に特定できるものではありません。 我々の神経系における情報処理といいますのは、 「入力―中枢処理―結果出力」 という経路で行われます。 そのひとの人格といいますのは、これによって身体に表出された行動や言動などといった出力結果に対して行われる評価です。では、我々の脳内でこの「出力結果の個人差」、即ち「人格の違い」といいますのは、結果を出力するための「中枢系の反応基準」として獲得されていることになります。そして、この「中枢系の反応基準」には、遺伝的に定められたものと、生後学習によって後天的に獲得されるものがあります。 ですから、それがどのようにして行動選択に反映するのかといいますならば、果たして遺伝的要因といいますのは先天的体質であり、環境的要素といいますのは生後学習によって個人個人が獲得する「判定基準」です。では、我々の脳にはこのようにして獲得される必ずや「判定基準の個人差」というものがありますので、同じ入力であっても出力される結果はそれぞれに異なります。そして、我々はこの行動選択の違いをそのひとの「人格・個性」と呼びます。 本来、人間の生体構造といいますのは「全人類に共通」です。ですから、基本的には「個体差」というものはありません。 では、どうしてここに「人格・個性」というものがあるのかといいますと、それは生後環境が異なるからです。生後体験が異なるならば学習結果には必ずや個人差が現れます。従いまして、我々の人格形成といいますのは圧倒的に環境からの影響が反映するものということになります。 これに対しまして、遺伝的要素といいますのは極めて僅かであり、またそれほど明確なものではありません。動物の遺伝情報といいますのは9割以上が共通ですが、持って生まれた遺伝子の種類によっては発現する体質やその組み合わせは異なります。これが人格形成などといった生後活動に反映する要素といいますのは環境に比べればたいへん僅かなのですが、こちらは持って生まれた体質であるため生涯に渡って変更するということができません。 近年では、脳内の「5-HT(セロトニン)」の分泌量を決定する遺伝子というのが発見されています。 「5-HT(セロトニン)」といいますのは脳内で安静覚醒状態を司る伝達物質です。この5-HTの分泌量を決定する遺伝子には「L型・S型」という二種類のあることが発見され、分泌量の多いひとは「大らかな性格」、少ないひとは「考え深い性格」に「なりやすい」と考えられ、体質的に不足することによって「うつ病」の原因になるこという指摘も成されています。 このように、実際に人格や性格に影響を及ぼすという遺伝的体質というものは存在します。私が知っているのはこの程度ですが、今後は他にも色々と発見されるのではないかと思います。 ですが、如何に脳内物質に直接関わるといいましても、このような遺伝的要素というものの比率は飽くまで低く、果たして「明確な人格の確定要素」とはいえません。何故かといいますと、それは我々の脳内には生後学習と切り離された遺伝的要因による単独の人格というものは存在しないからです。 遺伝的な反応基準が異なれば出力結果は異なり、それはそのひとの個性となります。ですが、我々の脳はこれだけではなく、ここで下された判定に対しては必ずや何らかの評価が行われ、その結果は学習・記憶されます。このため、我々の脳内では学習結果の反映しない人格が作られるということは九分九厘あり得ないわけです。ですから、我々の人格といいますのは必ずや生後環境の影響を受けており、これが遺伝的体質というものは明確な要素としては反映されないと考える理由です。 これに対しまして、「背が高い」とか「足が速い」といった体質は、このようなものは直接我々の人格形成に関わる要素ではありません。ですが、我々が生後環境で何らかの行動を選択するならば、このような体質によって判断が異なる場合があり、結果が違えば獲得される体験も異なるということになります。ですから、このような直接的な作用因子でなくとも、逆にここに生後学習という手続きが加わりますならば、それは様々な要素として人格形成に影響を及ぼすことになります。 何れにしましても、人格形成と生後学習といいますのはどうしても切り離して考えることはできません。最も分かりやすい例としましては、我々の脳は男性と女性ではその構造が若干異なりますので、ここには「男性的人格」や「女性的人格」といったものの先天的な要因は存在するのかも知れません。 ですから、生まれたばかりの赤ちゃんでも「男の子らしい」とか「やっぱり女の子だな」といったものは見て取ることはできると思います。ですが、我々が自分は男であるのか女であるのかを自覚することのできるのは生まれたあと、必ずや物心が付いてからです。そして、この自覚によって何が変わるのかといいますと、果たしてその後の行動選択といいますのは必然的に「男性的」、あるいは「女性的」といった傾向にはっきりと分かれてゆくことになります。 このように、「男性的(女性的)人格」を左右するのは脳の遺伝的構造ではなく、実際には自覚という「環境との対話」です。また、人類の脳の体質差といいますのは特定の民族を分類できるほどはっきりとしたものではありません。ならば、我々は肌の色や顔形の共通性などよって、生まれた社会での自らのアイディンティティーを学習・獲得する以外に手段はないということになります。 このように「人格・個人差」といいますのは主に生後学習によって形成されるものであり、現在までの研究では、それは「大脳辺縁系」というところに獲得される学習結果であるということが判明しています。 我々の脳といいますのは、 「本能行動:生命中枢」 「情動行動:大脳辺縁系」 「理性行動:大脳皮質」 といった三系統の中枢系に分かれています。 このうち、本能行動を司る生命中枢といいますのは遺伝的判定を下すための機能です。これに対しまして、大脳辺縁系と大脳皮質には学習機能というものがあり、反応の判定基準は生後環境における個人体験から獲得されます。 大脳辺縁系では生後体験の結果に対して「利益・不利益」の判定を下し、これを情動反応の判定基準として学習します。我々の脳はこれによって「良い・悪い」「好き・嫌い」の判断を行っているわけですが、これは学結果なのですから、個人体験によっては当然好みが変わります。そして、この大脳辺縁系に学習された情動反応といいますのが即ちこの世にふたつと存在しない我々の「人格・個性」であります。 では、学習記憶といいますなら通常大脳皮質に獲得されている体験を差すのが一般的です。ですが、たいへん単純な例で申し訳ないのですが、例えば我々は学校で「1+1=2」と習いました。大脳皮質といいますのは学習記憶を基にこのような論理的な判定を行う場所です。従いまして、この場合は誰がやっても「1+1=2」という結果に変わりはありません。ならば、結果がみな同じであるのならば、我々はこのような大脳皮質の機能を「人格・個性」と呼ぶ必要はないわけです。 このように、我々の「人格・個性」といいますのは生後学習によって大脳辺縁系に作られるものです。ですが、我々はしばしばこのようなものを「生まれ持っての気質」と感じることがあります。 「自分はどうしてこれが嫌いなのか?」 「オレは何故こんな女が好みなんだろう?」 このような「食べ物の好く嫌い」や意外にも「異性のタイプ」といったようなものは生後3歳までの「人格形成期」の体験にたいへん大きな影響を受けると考えられており、「三つ子の魂百までも」の例えの通り、このような情動反応はほぼ一生物となります。 人格形成期を過ぎましても我々は様々なことを体験・学習しますが、何故この辺りが一生物になってしまうのかといいますと、まず生後3歳頃といいますのは「乳幼児の脳の急激な発達」というたいへん特別な時期に当たるからです。生涯に渡る人格の基礎が形成されるというのですから、乳幼児の教育というのはたいへん重要なものです。 次に、大脳皮質といいますのは生まれてから正常な発達までには15~20年の歳月を要します。これに対しまして、好き嫌いなどの情動反応を司る大脳辺縁系といいますのは、実は生まれてすぐに使える状態にあります。 情動反応といいますのは学習結果なのですから、自分が何かを嫌いになったとしますならば、必ずやその体験や理由があるはずです。ですが、大脳辺縁系はきちんと使える状態ではあるのですが、生後3歳では大脳皮質の発達が伴いません。ならば、大脳辺縁系での情動反応はしっかりと記憶されるのですが、大脳皮質でそのエピソードまでをきちんと思い出せるというひとはほとんどいないというわけです。このため、大脳皮質では事情をちゃんと憶えていませんので、我々はそのようなものを生まれ持っての気質と感じてしまうわけですが、そこに「個人の好み(個性)」といいものが存在する以上、取りも直さずそれは「生後体験による個人学習の結果」である可能性が最も高いと解釈しなければなりません。 人格形成期での体験結果が生涯に渡って中々修正されにくいのには、そのとき大脳皮質にきちんとした判断能力の備わっていなかったというのがたいへん大きな要因になります。 例えば、ある程度に成長をするならば「この世にお化けなんてものはいない」といった理性的な判断ができますが、生後3歳ではこれがままなりません。では、そのとき自分が見たのはお化けではない、勘違いだったと立証できるならばまだ記憶の修正も可能ですが、当の大脳皮質にそれをきちんと思い出すことができません。結局、友達に話せば笑われますから黙ってはいますが、大人になってもお化けが怖いという反応は発生することになります。 「幼児虐待」による「心的外傷(トラウマ)」にはこのような背景が付き纏います。幼かったために事実を思い出せない、あるいは、あまりにも忌まわしい体験であったために記憶が抑制されている、にも拘わらず、何かの拍子に情動反応が発生してしまいます。そして、このようなものは今現在に自分が体験している状況とは決して一致しませんので、しばしば日常生活に良くない影響を及ぼすことになります。 どのような体験であったかが分かれば適切なアドバイスもできるのですが、本人が事実を思い出せませんので治療は常に困難なものです。このため、カウンセラーはクライアントの幼児体験を特定するという作業を行います。かつてはショック療法といったものもありましたが、現在は使われませんので、双方の信頼関係に加え、これにはたいへん多くの時間を必要とします。 以上が大脳辺縁系の機能を基にした人格形成の概要であり、我々は環境からの入力情報に対し、生後体験に基づいて独自の判定結果を出力するという、脳内に皆それぞれの「人格・個性」というものを学習・獲得しています。

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