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どうしてドイツ(第二帝国)は戦争をしたのですか?
第一次世界大戦のドイツについて質問なのですが、 どうしてドイツは戦争をしたのですか? 確かに当時のドイツは植民地獲得競争に出遅れていましたし、 一対一ならばおそらく何処にも負けないほどの戦力をもっていたので 戦争を仕掛ける気持ちもわからなくもないですが、 第一次大戦はあまりにも無謀な戦争だったと思います。 ビスマルクが心血を注いで作った三国同盟を棄て、 全世界を敵に回して戦うというのは、理知的なドイツ人らしくない行為だと思います。 ビスマルク以外に戦争を止める人はいなかったのでしょうか。 それとも、戦争に反対していたのは実は少数派で、何か尤もな理由があったのでしょうか。 野心的な皇帝が引き起こした愚かな戦争、といった程度の解説しか見当たらなくて困っています。何かほかに原因や背景があったら教えてください。
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第一次世界大戦の原因には諸説あるようで、私の知識もその一つとお考えください。 サラエボで甥を暗殺された、皇帝フランツ・ヨーゼフはドイツ皇帝ヴィルヘルムII世に親書を持たせた使節を送ります。 洋上で休暇中のヴィルヘルムII世はオーストリア皇帝の暗殺を聞いて急遽7月5日にベルリンに戻りその親書を受け取り、数年前からオーストリアのバルカン半島への積極的進出をドイツは押さえてきたのだが、暗殺事件を聞き、オーストリアの使節に対して、オーストリアがセルビアに対して強力な威圧を加えることに賛成の意を表します。 オーストラリア皇太子とヴィルヘルムII世は最も親しい信頼関係のなかでした。 しかし、7月6にはヴィルヘルムII世はかねてからの計画通りノルーウェーの海上巡遊に出かけます。 ヴィルヘルムII世はフランツ・ヨーゼフとも友好関係で、ニコライII世とは従兄で友好関係があり、ヴィルヘルムII世はロマノフ朝のロシアがセルビアを支持してたつとは考えなかた上、ロシアにもフランスにも戦争の準備は整っていないと判断したようです。 同時期にドイツの首相は夏休みの休暇中で外相は新婚旅行中、陸海軍の将官たちもベルリンにはいなかったことが災いを呼びます。 ベルリンとは反対にウィーンとぺテルスブルクでは政府の首脳部は首都に居て、国際政局の主導権はおのずからここに握られてしまい、7月6日にヴィルヘルムII世のオーストリア支持の報が届くや否やオーストリア政府は活気を帯びます。 翌7日にはボスニアにおける反オーストリア運動鎮圧策と対セルビア交渉についての最初の会議が開かれました。 列国の注目を浴びていたにもかかわらず、オーストリア政府の内部のことは極秘で、同盟国のドイツ政府がオーストリア政府の対セルビア要求の内容を伝えられたのは7月22日で、7月23日はオーストリアは7月5日にドイツに親書として見せた「白紙委任状」をもってセルビアに最後通牒として渡します。 うかつにもドイツは以前にイギリス、フランス、ロシアの大使に当てて、「ドイツは同盟国オーストリア・ハンガリー帝国の出す通牒は穏健妥当なものと考える」という内容の訓令を出していたので、三国協商側からは、オーストリアの要求はドイツの差し金にもとずくものだと了解。それに対し、ドイツ首相も外相もすでに遅しと、何の処置もしなかったことが、ドイツ参戦の糸口になった経過のようです。
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- tanuki4u
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過去最大規模の戦争でしたが、始める前はその程度の認識だったんですね。意外でした。 ==== 朝鮮戦争もクリスマス前には終わると思ったら、中国軍が参戦して泥沼。 山本五十六「一年やそこら 暴れて見せます」 ということで 暴れている間にアメリカが参ったというかな・・・ということで開戦した日本。 だいたい、戦争なんて想定内に終わりません。 すっごく 想定内で終わったじゃん!と 思う戦争というと この前のイラク戦争ですが、その後 グダグダに成りました。 そもそも 戦争というのは、孫子曰く 軍とは詐術である。 クラウゼビッツも 欺瞞行為であると言ってます。 相手方に「お、これは 勝てる」と思わせて罠にはめることが戦争の極意で、お互いにやっているのですから、仕方ありません。 特に 第一次世界大戦の前は、ナポレオン戦争の記憶が薄れ、ビスマルク時代の「おいしい戦争」の記憶が強くなっていました。 しかも、ビスマルクとその時代の人間が作り上げた「国民国家」という装置がいわば使ったことのない道具として暴発し止まらなくなったという側面があります。 国民国家の前は、王様が「ゴメン!賠償金払う!」で終戦になったのですが、国民国家になると国民に説明しないとなりません。下手をすると退位です。負けない限り戦い続ける必要ができてしまったのです。ナポレオン三世退位の悪夢ですし、実際負け続けたロシア皇帝は一家皆殺しでした。
お礼
>そもそも 戦争というのは、孫子曰く 軍とは詐術である。 >クラウゼビッツも 欺瞞行為であると言ってます。 考えさせられる言葉ですね。 確かに一人の君主に力がなく、簡単に物事が決まらない国民国家にとっては 戦って勝つよりも、如何に戦わずして勝つかの方が重要なのかもしれませんね。 そういえば空前の繁栄を誇った大英帝国も 戦争よりもその前の外交に力を入れていましたね。 始めやすく終わりにくい国民国家同士の戦争においては 戦争そのものよりも外交に力を入れる方がいいのかもしれませんね。 参考になりました。 ありがとうございます。
- postmark-t
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原因については皆様が述べられておられるとおりかと存じますので,当方は,「第1次大戦は防げなかったのか?」という観点から. これについてはジョセフ・ナイ教授等が,おおよそ以下 http://mltr.ganriki.net/faq15t.html#07035 のように述べておられます. ドイツ皇帝ウィルヘルムIIが,オーストリア全面支持を打ち出しさえしなければ,世界大戦に発展せず,比較的小規模な戦争で終わっていただろうとは,当方も思います.
お礼
敗戦後、方々から散々責められた様ですが、 やはり皇帝に帰するところも多大にあったのですね。 回答ありがとうございます。
- buchi-dog
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ご質問については、下記の本に4ページに渡って詳細に説明されています。 軍事学入門 ちくま文庫 別宮暖朗/著 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31902127 この本の56ページに「14 第一次大戦の原因」という項目が立てられており「第一次大戦の開戦原因ほど歴史家の頭を悩ませるものはない」と書き出されています。即ち、質問者さんの疑問は非常に良い所を突いた本質的な疑問であるということです。 この本では、結論としては 「ドイツ第二帝国は『ロシアが総動員開始』という情報に接すると、自動的に『ドイツはフランスに攻め込んでフランス軍を撃滅し、返す刀でロシア軍に立ち向かう』という『仕組み』になっていた。その仕組みがそのまま発動した結果が第一次大戦である」 ※ ここまでで何度も言及されている「シュリーフェンプラン」です。 としています。そこに至るまでの議論の展開については「上記の本を読んで下さい」としか言えませんが、個人的には説得力のある考察であると考えます。 ちなみに、世界最強国家であったドイツ第二帝国を破滅に追いやった「シュリーフェンプラン」は、特に法的根拠はなかったはずですが、今の日本の「非核三原則」のようなものと考えれば良いです。それが正しいか正しくないかに関わらず、それを否定すること、疑問を呈することは一切許されないものであったようです。 ドイツ第二帝国は、シュリーフェンプランが仮に存在しなければ、ロシアとフランスとイギリスを相手に戦争を始めることもなく、もしかしたら21世紀まで続いていたかもしれません。ドイツ参謀本部が知恵を絞りに絞って作ったシュリーフェンプランがドイツ第二帝国を滅亡させたのですから実に妙な話です。
お礼
>この本の56ページに「14 第一次大戦の原因」という項目が立てられており「第一次大戦の開戦原因ほど歴史家の頭を悩ませるものはない」と書き出されています。 やはり大戦の原因は難しいものだったんですね。 ドイツ悪者説しか目にすることができず、開戦原因に疑問を持つ自分は間違っているのだろうかと悩んでいたのですが、歴史家たちも悩んでいたと知って安心しました。 >ちなみに、世界最強国家であったドイツ第二帝国を破滅に追いやった「シュリーフェンプラン」は、特に法的根拠はなかったはずですが、今の日本の「非核三原則」のようなものと考えれば良いです。それが正しいか正しくないかに関わらず、それを否定すること、疑問を呈することは一切許されないものであったようです。 守るためにつくられたのに、そのために滅ぼされたというのは皮肉な話ですね。 しかも、それに疑問を呈することすら許されなかったというのは、なんとも哀しい話ですね。滅ぶべくして滅んだのかと… 回答ありがとうございます。 とても面白かったです。
- tande
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未完成ですが、以下のサイトが参考になるかと思われます。(WW1の原因とか言い出すとかなり長くなりますんで) http://mu-cha.hp.infoseek.co.jp/russian-austria.htm あの当時における欧州情勢は複雑ということでしょう。 つまり、ドイツは怖かったんです。 ロシアとフランス二国からケンカ「売られたら」負けちゃうよと。 ケンカ「売られたら」負けちゃうと思ったからこそ、不安要因を取り除くために先に攻撃して潰そうと考えたのでしょう。 シュリーフェン計画がまかり通っていることから分かるとおり、それなら勝てると妄想しちゃったんですね。 それだけフランスとロシアを恐れており、負けることが怖かったんでしょうね。 また、イギリスと戦うということは正直いって考慮してないように思えます。
お礼
わかりやすそうなサイトありがとうございます。 読んでみます。
- caesar-x2
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簡単に言えば、列強間の摩擦の激化が生んだ集団的安全保障の行き着いた結果といえます。 ヨーロッパの列強の世界分割と、パワーバランスによる均衡外交が、敵対する二大グループを作り出した。 20世紀の戦争は、必ずしも個人の意思でどうこうしているわけではなく、 産業革命後の工業化によって戦争規模の増大と、総力戦という形態をなすにいたって、 時流のように抗し難い流れが戦争に進みだすと、国家をとめることは 国王であれ、首相であれ、ほとんど不可能というのが実際です。 集団的安全保障は、もちろん平和の維持にために結ばれたものなのですが、 結果としては否応なく、国益とは関係のない戦争に多数の国を連鎖的に巻き込むということになります。 オーストリアがセルビアに宣戦布告して、ロシアがオーストリアに宣戦布告するような状況になったら、 もはやドイツはどのような状況であろうと、オーストリアの同盟者として 自動的に参戦するように条約ができていたということです。 そして皮肉なことに、19世紀的な名誉の観念も多分に残っている欧州君主たちにとって、 盟約を違えるなんてことはなかったわけです。 また第一次世界大戦については、戦争に対する一般的認識も間違っていました。 短期間の戦闘後に講和が可能と考えていたふしがかなりあって、 国民から治世者まで、誤った認識で新しい戦争に飛び込んだ。 またついでにいうなら、ドイツ軍参謀部は、短期間でのパリ占領を可能と考えていて、 実際それは不可能ではなく、かなり際どいところまで言ったわけで、 (パリ占領があっても、戦争が終結しないだろうことは、クラウゼピッツを紐解くまでもなく明らかなものの) 結末がわかって後世の立場からあーだこーだいっているのと違って、 当時の人は不明の未来にたいして、さまざまな思惑を持って行動をしていた、 あり前のことだが、それもまた真理といえる。 要するに、後から愚かだとか何でも言えるのは、後出しジャンケンのようなものということ。 ドイツは基本的に短期的勝利を狙っていたので、ま、それが失敗したというだけです。 歴史が大きなうねりをもって動き出したときに、それを止めようとしたり、 それに違う考えをもつ、発表するというのはかなり難しいことです。 一番最近の例だと、イラク戦争に突入する前のアメリカ。 アメリカ人で戦争反対なんかいったらそれこそ非国民扱いだったことは、 記憶にまだあるはずです。 後になって、イラク戦争が意義も少なく、出費・犠牲の多い戦争だということがわかってから、批判がでるようになりましたが、 それまでは公言がはばかられた。 それと同じで、当時のドイツ国民も、ドイツが負けるんじゃないかとか、 戦争を回避すべきだとかは、言うこともできなかったし、 口にしても誰も耳を貸さなかったということです。 こういうことはよくあることです。
お礼
そういえば戦争は別にドイツが仕掛けたものではなくて、 セルビアに皇太子を暗殺されたオーストリアがロシアにも宣戦布告されて、それで参戦したんでしたね。 本来抑止力として働くはずだった集団安全保障が結果的に全ヨーロッパを戦争に巻き込んでしまったというのは皮肉な話ですね。 また、多くの国でまだ君主制が続いており、 多重の血縁関係にあったことも考えれば 講和するのもこれほど難しくなるとは思いもしなかったのでしょうね。 ドイツ第二帝国も過去にオーストリア・フランスに圧勝してますし、 望まぬ形で戦争に巻き込まれてしまったとはいえ あそこまで凄惨なことになるとは思わなかったのでしょうね。 回答ありがとうございます。
- tanuki4u
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だいたいの世界大戦参加国が、「クリスマスまでには終戦(自分の勝ちで)」と考えていたようです。 この意味で、各国がすべて「合理的に」参戦しています。 特にドイツは、晋仏戦争以来、本格的な戦争をしておらず、産業の発展により、戦争形態が一度はじめたら総力戦になるということを理解していなかったふしがあります。 ちなみに、総力戦の始まりはアメリカの南北戦争と言われていますが、実際に戦ったアメリカ以外は体感的には分かっていなかったそうです。世界大戦の後で「この総力戦という形態を理解するためには、先行する南北戦争を理解する必要がある。。。」というレベルです。
お礼
>「クリスマスまでには終戦(自分の勝ちで)」 過去最大規模の戦争でしたが、始める前はその程度の認識だったんですね。意外でした。 戦争とはてっきり国家の存亡を賭けてするものだと思っていましたが、そうではなかったのですね。 回答ありがとうございます。
- rabbit_cat
- ベストアンサー率40% (829/2062)
第一次大戦は、なぜ起きたのかよく分からないというのが本当のところだと思います。 少なくとも、もともとドイツが戦争を始めたいと思っていて戦争をしかけた、というわけではないです。セルビア事件の直後には、おそらく大戦に参加した国の全てが、まさかヨーロッパ全部(あるいは世界全体を巻き込む)大戦になるとは思っていなかったと思われます。 なんというか、ドイツ・フランス・ロシアのそれぞれが、お互いに、相手に先を越されて(軍隊の動員等)しまって手の打ちようがなくなる前に、こちらが仕掛けないと、という強迫観念にかられて、もともと立ててあった動員・作戦計画通りに動いた結果、「本当に戦争になってしまった」という感じです。 本来なら、モロッコ事件なんかみたいに、本当に戦争になる前に外交的な解決が図られるはずなんですが。 もちろん、第一次大戦の開始時の同盟関係がドイツにとって本当に好ましかったのか、ていうのは別の問題としてあるわけですが。
お礼
確かに、"起こってしまった"という感じはありますね。 直接のきっかけである皇太子暗殺事件にしても オーストリア・セルビア双方にとって好ましくない事件でしたし、 結果もフランスは敗れ・ドイツは勝ちながら負け・ロシアは革命・イギリスは大英帝国失墜と、すべての国が尤も望まぬ形で終わっていますしね… 回答ありがとうございました。
お礼
ヴィルヘルム2世とニコライ2世が従兄弟だったとは知りませんでした。 流石ヨーロッパですね。 そういえばイギリスも、ドイツ・ロシアと血縁関係にありますね。 戦争抑止の意味もあるのでしょうが、ヨーロッパの血縁関係には本当に驚かされます。 ヴィルヘルム2世も首相も戦争をする気がなかったのは知りませんでした。偶然が重なった、かなり偶発的な戦争だったんですね。 細かい日付まで書いてくれてありがとうございます。 知らなかったことばかりで大変参考になりました。