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宗教の教義を考える

kitcat3の回答

  • kitcat3
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回答No.1

宗教において、教義が殿程度の位置を占めているかは、まちまちだと思います。概ね1000年を超えるような主だった宗教の始まり(イエスや釈迦のような)を考えるとき、発信点は「一人でも多くの人を幸せにする」という思いではないでしょうか。その創始者から教義を定め、守らせるようなパターンはほぼ宗教の名をかりたビジネスが多いと思ってしまいます、、、。 また、長年の歳月の中で、前述のような「思い」が形骸化し、教義としてしか残らない場合もあるでしょう。 音楽に例えるなら本質は音そのものであり、その説明・記録としての楽譜があります。 宗教と教義についても同じ事が言えるのではないでしょうか。教義を元に団結しているとしても、その宗教の精神が形骸化している場合は、楽譜を読めないのに楽譜をコレクションしているのと同じ。宗教とは言い難いものと思います。 共同体存続の意義としては、回答になってませんが、世間でよぶ「宗教」には「生きているもの」「形だけのもの」「名を借りただけ」のような混在を整理して考えるべきなのかなと思います。

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