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『源氏物語』古注釈について

こんにちは。 この度は『源氏物語』の古注釈について質問したく書き込みしました。 『源氏物語』には『源氏釈』、『湖月抄』、『岷江入楚』など様々な古注釈がありますよね。 しかしこれらは何のためにこんなにたくさん作られたのでしょうか? 比べてみましたが、さして違いがあるように思いません。 比べたところで何がわかるのでしょうか? 古注釈の存在する意味とは? わかる方がいらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいです。 よろしくお願い致します。

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  • usagisan
  • ベストアンサー率71% (105/146)
回答No.1

 私は、『岷江入楚』なんて書名、実に久しぶりに目にしましたし、題名と源氏の注釈書であることぐらいしか知らない門外漢ですが、どなたもご回答になってないようなので、少し思うところを書いてみます。  細かいことにこだわるようですが、 > 比べてみましたが、さして違いがあるように思いません。 とのことですが、さして違いがない、ということは、まったく同じではないわけですね。  その違いを詳しく見ていくことで、何か有意義な差が見いだせはしないのでしょうか。  例としてお挙げになっている3冊では、まず、『源氏釈』は平安末期の成立。  他の2冊は比較的近いものの、『岷江入楚』」が、慶長三(1598)年成立で、関ヶ原の合戦の少し前で、江戸幕府成立の5年ほど前。  『湖月抄』は延宝元(1673)年成立。「生類憐れみの令〔貞享4(1687年)年〕」の綱吉が将軍宣下を受けたのが延宝8(1680)年のようですから、もはや太平の世といえる時期だと思います。 (他には、室町前期の『河海抄』なんかも有名ですね。)  第二次世界大戦の頃の、『源氏物語』に対する軟弱文学・不敬文学といったとらえ方や、『源氏物語』ロリコン文学説(「"源氏物語" "ロリコン" の検索結果 約 164,000 件」〔(google〕)ほど極端なものではないにしても、それぞれの時代の『源氏物語』の享受の仕方の違いといったものが浮かび上がってきたりはしないのでしょうか。  (こういうふうに違います、と述べる素養も力もないことが返す返すも残念です。)  以下、たとえ話みたいになりますが、たとえば、ここのサイトで、同じことがらに関する質問がたびたび行われることがあります。  下記は、その一例です。 http://oshiete.goo.ne.jp/search/search.php?status=select&PT=&from=&nsMT=&mt_opt=a&qatype=qa&ct0=&ct1=&ct2=&st=all&tf=all&MT=%22%A1%D6%A4%CF%A1%D7%A4%C8%A1%D6%A4%AC%A1%D7%22 教えて!goo ["「は」と「が」"]についての検索結果( 約80件中 1~10件を表示 )  これに加えて、私がキーワードにしたのとは違う形で同様の質問をしたもの(たとえば、"「が」と「は」")が、まだまだあるかもしれません。  このサイトでの質問の場合は、過去の質問の検索をしないで、いきなり書き込んでしまうこともあるでしょうが、過去の質問の尋ね方や回答のしかたが、自分の求めていることと微妙に違うので、あらためて、という場合も少なくないでしょう。  回答者にしても同じだと思います。同じ内容の回答であっても、こういう説明の仕方をした方が、分かってもらいやすいのではないか、と考えて書き込むこともあるでしょうし、先の回答者の考えと微妙に(「大幅に」ならもちろん)異なる場合には、まあ、いいか、で済まさず、違いを理解してもらうために、書き込もうと考える人は当然いると思います。  さまざまなニーズがあって、それに応じた様々なオファーがある。それが源氏の「古」注釈ということになれば、歴史の洗礼を受けて現代に伝わり、源氏の享受史に関するニーズに応えるものとしても存在している、ということにはならないでしょうか。

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