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紫式部と源氏物語について

子供に聞かれて、意味のわからない事があります。 「紫式部は、なぜ源氏物語を書いたのか?」と聞いてきたのです。 国語(特に古い歴史や古文など)は全く苦手で、言っている意味が全然わかりませんでした。 後で子供に「どういう意味?」って聞いたのですが、「もういいよ」で済んでしまいました・・・。 授業の課題か何かで、そういう問題が出たのでしょうか? そもそも、紫式部が架空小説「源氏物語」を書きたいから書いた、だけの事ではないのでしょうか? なにか書いた理由など、歴史的な事や感情的な事があったのでしょうか? 歴史について無知なので全くわかりません。。。 「紫式部が書きたいから書いた」で済めばそれで良いのですが、子供の意味不明な質問が気になってしょうがないです(- -; 何も書いた意図が無ければ「無い」とか、何か書いた理由があれば、わかる方教えて下さい! ※ 子供が聞いてきた事なので何か理由があると思うのですが、質問しているこちらが全く意味がわかっていませんので、とんちんかんな質問であればそれも指摘願います(^-^;

noname#22906
noname#22906
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noname#35582
noname#35582
回答No.4

源氏物語大好きのオバサンです。 お子さんの質問、実はとってもスルドイんですよ。 じつは、私の永遠と言ってもいい課題でもあるんです(お子さんを持ち上げつつ、自分を持ち上げてどうする-ってカンジですね。すみません)。 書き始めたきっかけはともかく、五十四帖なんて長編小説になったのは、紫式部が「雇われ作家」として源氏物語を書いていたからです。 当時、紙は大変貴重品でした。 藤原道長から、「紙」という現物支給を受けつつ、他の仕事(娘の家庭教師)もしながら、「源氏物語」の大部分を書きました。 最初は、「ヒマだから小説でも書いてみようかな?」と書き始めた小説が、たまたま、影響力のある女性(大斎院・選子内親王)の目に留まったことから始まります。 当時は印刷技術がなかったので、1冊の本は、人の手で写されてさらに他の人に広がっていきます。 選子内親王に仕えていた女房から、他の上流貴族の妻や娘に仕えている女房に写本と共に噂が広まり、女房からご主人さまである上流貴族の妻や娘にも広がります。 さらに、その父・兄弟・夫にも広がります。 そのうち、藤原道長の娘・彰子が一条天皇のお妃になることになります。 道長は、娘の周りに優秀な女房を集めようと考えます。 なぜならば、当時、一条天皇には別のお妃・定子(道長の兄・道隆の娘)がいて、一条天皇は定子にベタボレだったのです。 だから、自分の娘の周りに優秀な女房を集めて、一条天皇の気を惹こうと考えたのです。 そこで目を付けられた1人が、当時評判になりつつあった「源氏物語」を執筆中の紫式部です。 そのうち、道長は、人気の作品を誰よりも早く読みたい、続きを早く書け-と上質の紙をどんどん紫式部に届けさせています。 ここまでは、史料や文献からも読み取れる話です。 #3さんが仰るように、清少納言とは宮中にいた時期がズレています。 ですから、現役同士のライバル関係ではなく、未だに評判の高いOGへの対抗意識でしょう。 自己顕示欲については、微妙ですね。 「私は人見知り」とか「私は漢字の「一」という文字も読めないふりをしている」ということを、わざわざ日記に書いているのは、自己顕示欲がないんだか、強いんだか…。 でも、源氏物語って本当に不思議なんですよ。 だって、藤原氏全盛の時に、藤原道長の娘のところで「源氏が(藤原氏に)とことん勝利する」物語を書いていたのに、藤原一族の誰からも非難されていないんですよ(一つ一つ検証していくと、藤原氏の敗北がで徹底的にされています)。 今なら、共和党の資金援助を受けながら、労働党のすばらしさを説く小説(?)を書いている以上ことでしょうね(何故イギリスの2大政党にしたのか、自分でも不明。日本の政党政治が面白くないのは事実ですが)。 今はまとまった時間を取ることができないので、また見に来た時に締め切られていなければ、「続き」を書き込ませていただきます。 ただ、いつ書き込めるか分からないので、ご都合次第で締め切ってくださいね。

noname#22906
質問者

お礼

回答方、誠にありがとうございました(^-^) 皆様はよくご存知のようなのですが、ワタクシが本当に歴史・小説などが苦手で、回答頂いた事項について子供にうまく説明出来ません(T-T) なので、子供にそのままQ&Aを見てもらおうと思っています(*^-^*) 少ない時間の中を回答いただきまして、本当に感謝しております☆ 続きを書いて頂けるとの事でしたが、たぶん子供には回答頂いた分で十分だと思います♪ 強制終了みたいな格好になってしまって誠に申し訳ございません・・・! ですが、「全国の良き理解者の方々から、たくさん回答を頂いたのだから感謝しなさいよ!」と子供によぉ~く言っておきます( ̄ー ̄! ありがとうございました☆

その他の回答 (3)

  • sosdada
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回答No.3

清少納言が退職した約2年後に紫式部は採用されています

noname#22906
質問者

お礼

早々のご回答、ありがとうございました(^-^) 皆様はよくご存知のようなのですが、ワタクシが本当に歴史・小説などが苦手で、回答頂いた事項について子供にうまく説明出来ません(T-T) なので、子供にそのままQ&Aを見てもらおうと思っています(*^-^*) 詳しく解説頂き感謝しております☆ありがとうございました!

  • tachiuo
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回答No.2

当時の藤原摂関家は、娘を天皇と結婚させて、生まれた子を次の天皇とすることによって権勢を誇っていました。当時は一夫多妻なので、自分の娘が愛されなければ、子ができません。愛される条件として教養が重視されていました。そのため、入内した娘の家庭教師的存在の女性を必要としていました(男なら、間違いを犯す可能性があります)。そして、中流貴族としては、そうした役割の女房として娘を送り込むことが、自らの出世につながります。中流貴族出身の紫式部は、『源氏物語』の執筆を始めたところ、時の権力者藤原道長(光源氏のモデルの一人と言われています)に認められ、道長の娘で一条天皇の中宮である彰子(上東門院)の女房に採用されました。これが、執筆の動機と考えられます。そして、この作品は、大変評判となったようです。『更級日記』に筆者がわくわくしながら読んだことが記されています。そのために、54帖もある大作になったのでしょう。なお、以下は私の推測に過ぎませんが、ついでに書きます。『源氏物語』は非常にスキャンダラスですね。光源氏が藤壺と不倫をしてできた子が光源氏の父の桐壺帝の子として、次の天皇となったり、その「逆襲」で、光源氏の子とされる薫が実は柏木の不倫の子であるなんて、当時、こんなスキャンダルが本当にあり、これを告発するという意図があったのでは、なんて考えてしまいます。

noname#22906
質問者

お礼

早々のご回答、ありがとうございました(^-^) 皆様はよくご存知のようなのですが、ワタクシが本当に歴史・小説などが苦手で、回答頂いた事項について子供にうまく説明出来ません(T-T) なので、子供にそのままQ&Aを見てもらおうと思っています(*^-^*) 詳しく解説頂き感謝しております☆ありがとうございました!

  • fitzandnao
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回答No.1

こんにちは。全然詳しくないですが、私は次のようなイメージをもっています。 まず、時代は権力者が帝に娘を嫁がせ、ドロドロした権力争いが宮中にはびこっていました。数ある后たちはグループのトップとなり、当時の才女を集め、女官による宮廷文学が生まれます。よりトレンデイな作品を発表するほど、后の株が上がるわけですし、そういう人の所に才女は集まるわけです。 紫式部はそういった女官の一人で、清少納言などは別グループのライバルになります。 背景はこんな感じです。 内容ははっきり言って色事になるのですが、当時の貴族女性にとって恋愛は重大事項。ヒット間違い無しのテーマをはじめて赤裸々に描いた作者は、当時としてはかなりとんがった、自己顕示欲バリバリの女性だったと思います。(あってはならない帝をまきこんでの不倫・不義密通の物語ですからね。かなりセンセーショナル。) なぜ書いたか、ということになると、 なにか書くことを求められる立場(職業)であったこと、 ライバル清少納言に勝つ使命があったこと、 もちろん宮中における評価を高めたかったこと それと、想像ですが、自由恋愛の許されない自分の上司(女御だったか)への、フラストレーションのはけ口になったのではとも思われます。

noname#22906
質問者

お礼

早々のご回答、ありがとうございました(^-^) 皆様はよくご存知のようなのですが、ワタクシが本当に歴史・小説などが苦手で、回答頂いた事項について子供にうまく説明出来ません(T-T) なので、子供にそのままQ&Aを見てもらおうと思っています(*^-^*) 詳しく解説頂き感謝しております☆ありがとうございました!

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