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蔵書票はアート?

私は銅版画、木版画、合羽版等の蔵書票が好きです。 とても美しく、ささやかながらコレクションしています。 先日、美大に行っていた油絵を描く知人と話をしていたら 彼らは蔵書票はアートではないと言っていました。 あんなものは最近は芸術とか言っているけど 所詮ハンコと同じだと さげすみ気味に言っていました。 蔵書票は印刷物で、あくまで目的は判子、印鑑の類だから という事でした。木彫りで例えると民芸品と彫刻の違いだと。 ピカソ、セザンヌ等、唯一無二の物、 作者の思想が表現されているものをアート・芸術っていうのだと 言っていました。 言いたいことはわからないでもないのですが、 正直なところ、納得できませんでした。 印刷物でも版画は芸術作品として認められています。 抽象的な作品で鑑賞する側がわからなくても 作者の思想や思いを表現しているから 芸術ということなのでしょうか。 蔵書票は作風にもよりますが、 あんなに手が込んで美しくて、独自の世界がそれぞれあるものを ジャンル違いとしてくくられ、 芸術と呼んでもらっては困る様に言われたのは複雑な気持ちでした。 蔵書票を特に芸術って物として認められなくても良いけど 芸術ってなんだろう?偉い物、高尚なものなの?と 疑問が膨らみました。 民芸品もリスのくるみ割り等、手が込んだ素敵な 生活、心を豊かにしてくれる物が沢山あります。 皆様はどのように感じますか?色々な意見を伺いたいです。 また、芸術・アートとは何か、美術とは何かわかりやすく 教えていただけるとありがたいです。

  • pi5n
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  • Mr-WATSON
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回答No.2

納得できない貴方の感覚は健全ではないかと… 判子・印鑑の世界も「落款」というジャンルがありますし、実用第一の三文判や実印がアートではないとしても、それを言うなら蔵書票でも図書館で貼るようなものなら実印のようなものでアートでないというならわかります。 その方の言われるところで何となく感じるのは、 蔵書票がそもそも一定の役割を持っているということ。 何でもアリではないですよね? 「○○蔵書」なり「Exlibris」と書かれているとか、単なる栞やシールではないということがわからないといけない…とか。 少し話題からそれますが、自分はデザイン学校を卒業してデザイン事務所に就職しました。 その会社を選んだ理由のひとつが「SP」が中心であること。 SP=SalesPromotion(セールスプロモーション)です。 わかりやすいところで販売店のショーカードや店頭ポスター、のれんやのぼり、デザイナーとしては一定の役割と制約のあるところで作らなければなりません。その制約の中での仕事に魅力を感じて応募し、入社しました。 後にその会社のデザイナー出身の経営者に「SPをやりたいなんてデザイナーとして向上心がない」と言われました。「新聞の全面広告や駅貼りB倍全のポスターをやりたい!」というのがデザイナーとしての向上心だそうです。 SPを中心にやっている会社の経営者がそう言い切ってしまうのもいかがなものか~と思いますが、それは今の問題ではないので~質問者様のお話を読んでこの発言を思い出しました。 そういう点では「蔵書票」はアートよりデザインに近いかもしれません。 アートは自己満足でもOKですが、デザインは依頼者や使う人あってのもので、プロダクトデザインに至っては機能をちゃんと満たしていないといけないという当たり前ですが大きな制約があります。 絶対的な境界線はないと思いますが、小さなスペースに役割まで持ったすばらしい芸術だと自分は思いますよ。

pi5n
質問者

お礼

私の感覚を健全と言っていただき有難うございました。 彼らは美術を学校で学んできているから 根本から何か見る目が違うからなのかな?と思ったりもしてました。 蔵書票はデザインに近いのかもしれないのですね。 イラストレーションも 回答者さまのおっしゃるアートかデザインどちらかと言えば デザインになるという事なのでしょうね。 どちらにしても生活や心を豊かにしたり感性を刺激してくれる物は 見下される事はない大切なものですよね。 制約の中でのお仕事に魅力を感じてなんてすばらしいですね。 知性が必要とされる難しいお仕事に感じます。 ご意見をありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

 今晩は。  それはまたなんとも凝り固まった人ですね。若いくせに柔軟性が全く無くて、その癖倣岸であるという点に於いては若さがたっぷりです。  実はここの音楽(クラシックに近い分野)関連の創作に関する質問でもほぼ似たような議論がしばしば展開されます。私は基本的にクラシック聴きですが、どんなジャンルでも良いと感じるものは認める主義です。  具体的には、相当に若い作曲関係者(というよりも作曲科の現役音大生)が「創造的なことをやらないで何が芸術なのか」と、こんな調子で質問者を両断するわけです。肝腎の質問は大体「現代音楽はとても音楽とは思えないような作品ばかりだが、作曲家は本当にあれで音楽を創造しているつもりなのだろうか?」といったようなことです。  結局そんな自己満足に浸っているだけなので、人々からはほとんど顧みられず、彼らの意識だけが異次元に飛び去って行くばかり。芸術とは、鑑賞者を求めるものではなく、ただ創作することにのみ意義があるのである、らしいです。だからこそ旧態依然とした古臭い音楽など今更創っても何の意味があるのだ、とか。  でも、彼らのやっているのは音楽を破壊することでしかないような気がします。第一、創作と言うよりも、実際にやっているのは新奇な作曲技法の模索だとしか思えませんしね。    といった例と同じことを美術の世界でもやっているわけですか。やれやれ。  私は版画は川瀬巴水が好きですが、エクス・リブリスもまた芸術だと思います。

pi5n
質問者

お礼

ご意見をありがとうございます。音楽でも似たような事があるのですね。 川瀬巴水を初めて知りました。4月6日まで展覧会をしていたのですね。 また機会があれば実物を観たいと思いました。 有難うございました。

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