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お経の和訳、しなかったのかできなかったのか

日本に入ってきてるお経は漢字で書かれてて普通の日本人にはすんなりと意味が取れず、さながら呪文のようですが、これは仏教導入時にわざとそうしたんでしょうか?それともただ翻訳能力が欠けてたからでしょうか? 例えば「南無妙法蓮華経」はナンミョーホンレゲキョーでなんのことやら。 英語にしたら Glory to the Sutra, Hail Lotus Sutraになってよっぽどこっちのほうが意味が分かりやすいように感じます。 あと、今の日本の仏教界でお経をわかりやすい現代の日本語に訳すプロジェクトはありますか?

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noname#63054
noname#63054
回答No.7

天台宗、真言衆が起きた平安時代は、かな文字は女性、男は漢文です 当時の書物は漢文をそのまま読んでいて、史書五行などや漢詩が 教養の基礎。 いわば英語でニューズウィーク読むようなものですね。 時代はさらに下って禅宗の時代、鎌倉・室町時代には武家の宗教として 仏教が入ってきてとにかく漢文で意味が判らない人は無教養な人 ということになった。 さて、その後室町末期、仏教が大衆のものになった時代は、経典自体 日本人の僧が翻訳本を出すようになった。 曹洞宗でも、修正義という経典はこの時期に漢文を読み下した形で 書かれている。「生を諦め死を諦むるは仏家一大事の因縁なり・・」 同様に日蓮宗や浄土真宗など、救済をもとめる大衆に、わかりやすい マントラのような念仏やお経のタイトルを唱えるだけでいいよと 教えてしまった。 だから、法華経自体の中身はさることながら、お経のご利益を 得る方便として「なんとすばらしくも絶妙な教えをかかれたお経」 というだけで、極楽にいけるという話になったんですね。 このへんは、カソリックの偶像崇拝なんかと全く同じで、魔女狩り しないだけでもマシだったって話かもしれません。 あちらは、ルターの宗教改革ですが、こちらはお上先導の 神道統一、仏教は葬式専業という役割分担のなかで、お上自ら 仏教の堕落の糸口を作ったといえるのかもしれません。 仏教そのものは言うまでもなく深遠なもので、私自身は自分が 禅宗のブディストだと外人に説明するとき今でも誇らしい気持ちに なります。 教義は何か・・・とか聞いてくる酔狂な外人はいませんが 万一に備えて般若心経は暗証しています。 「仏説 摩訶般若波羅蜜経~観自在菩薩行 ジンハンニャハラミタジ  ゴーウンカイクー イッサイクウヤク サヤーリーシーシキ・・」

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。東西で経典の伝播と現地語化を比較して調べてみると面白いかもしれませんね。 日本では結局ラテン語聖書に変わる現地語版の聖書は作られなかった、そこまで民衆に真摯に向き合わなかったと言えそうにも思いました。

その他の回答 (6)

noname#122289
noname#122289
回答No.6

仏教の専門家ではありませんが、現代語訳と聞くと岩波文庫の中村元による訳注付きのお経を思い出しました。サンスクリット、パーリ語からの原典訳と、漢訳には読み下し文が付いていて比較的手に取り易いです。 http://www.iwanami.co.jp/theme/bukkyo2.html

bougainvillea
質問者

お礼

中村先生の現代語訳はわかりやすいですね。私もいくつか読みました。 回答ありがとうございます。

回答No.5

既に回答がありますが、わざわざ訳さなくても、漢文で書かれているものを見れば、昔の人は意味が分かったのだと思います。 また、仏さまの前で読経する時に訓読文で読んだりせず、音読みのまま呪文のように唱えるのは、呪文のように聞こえた方がありがたいから、というのもあるでしょうが、推測するに、「師匠がそう読んでいたから」ではないでしょうか。 仏教の僧侶は“師資相承”といって、お師匠さんの教えをそのまま受け継いでいます。お師匠さんが音読みしていたから、弟子も音読みをする、という感じで受け継がれてきたのではないか、と。このお師匠さんは、もとをたどれば中国の人に行き着くわけですから、中国のお師匠さんが中国語でお経を読む、それを真似して音読みにして読む、ということではないでしょうか。 そういう意味で、連綿と呪文のような読み方が伝わっているのではないかと思います。 読む時は、お師匠さんにならって音読みで読む。 学ぶ時は、漢文を訓読して学ぶ。 民衆に説法する時は、わかりやすい日本語で。 こんなふうに使い分けているのだと思います。 今の日本の多くのお坊さんは、音読みで経典を読む以外、訓読して学ぶこと、わかりやすい日本語で説法することをあまりきちんとできていないので、素人にはわけの分からない、呪文のようなお経をただ読んでいるだけという印象しかないのでしょう。

bougainvillea
質問者

お礼

師資相承は要素としてありそうですね。 回答ありがとうございます。

  • Big-Baby
  • ベストアンサー率58% (277/475)
回答No.4

日本人は早くから訓読という方法で漢文をただちに日本語にする方法を会得しました。訓読されたものは当時の普通の日本語だったので誰でもほぼ理解することができたのです。  観音様の功徳を謳った観音経を例に取りましょう。この冒頭はこんな風になっています。  爾時。無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向仏而作是言。  世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。  これを訓読すると、次のようになります。 爾(そ)の時に、無盡意菩薩(むじんにぼさつ)、即(すなわ)ち座(ざ)より起ちて偏(ひとえ)に右の肩を袒(あらわ)にし、掌(たなごころ)を合わせて佛(ほとけ)に向いたてまつりて是(この)言(ことば)を作(な)さく。   世尊(せそん)、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は何の因縁(いんねん)を以(も)ってか観世音(かんぜおん)とは名づくる。  これなら当時の人なら誰でもすぐに理解できたのです。現代人で古文に弱い人はこれだけではすんなり意味が取れず、現代語訳が必要かもしれませんが、昔の人に現代語訳は必要なかったのです。  念のために現代語訳してみましょう。  その時、ムジンニボサツは座より立ち上がってお釈迦様に向かって合掌し、右肩だけ肌ぬぎの姿で次のように問いかけた。  「お釈迦様、観音様はどういう理由で観音様と名づけられたのでしょうか?」  お経の現代語訳の試みはたくさんありますよ。ひとつだけ紹介しましょう。東京書籍の現代語訳大乗仏典シリーズです。有名なお経の主なものが現代語訳されています。 http://myshop.7andy.yahoo.co.jp/myshop/0000002343?shelf_id=02  簡単なものでは、東京大学仏教生年会編「現代仏教聖典」大蔵出版というのもあります。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。例まで示されてて分かりやすかったです。 現代語訳のものにぼちぼち当たってみたいと思います。

  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.3

> 日本に入ってきてるお経は漢字で書かれてて普通の日本人にはすんなりと意味が取れず、さながら呪文のようですが、これは仏教導入時にわざとそうしたんでしょうか?それともただ翻訳能力が欠けてたからでしょうか? 訳す必要性かなかったか、わざとでしょう。 もっとも、メジャーではありませんが翻訳自体がないわけでもありません。例えば般若心経の日本語訳、というものも存在します。真言宗系のものをネット上で発見しましたから、参考までに挙げておきます。

参考URL:
http://holyangel.ld.infoseek.co.jp/sinkyou.htm
bougainvillea
質問者

お礼

URLありがとうございます。参考になります。 そういえば女の人が般若心経の現代語訳を出してブームになってましたね。

  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.2

昔の知識人は漢文は読めて当然で、わざわざ訳す必要を認めなかったこともあるでしょうし、和訳しないほうが有難味があるというのもあったでしょう。 キリスト教でも宗教改革までは聖書はラテン語から訳してはいけなかったようですし。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。昔の知識人は白文読み下しが常識だったんですね。

  • Roman0
  • ベストアンサー率18% (118/628)
回答No.1

> 日本に入ってきてるお経は漢字で書かれてて普通の日本人に > はすんなりと意味が取れず、  意味が取れないのは現代語しか知らないからでしょう。  輸入された当時は、教養ある人は漢文を普通に読めましたし、僧侶になる人はそもそも基礎として漢文の勉強をするものです。現代でも技術系の論文の多くは英語で書かれていますし、それを読む技術者や科学者はいちいち日本語訳をされるのを待ったりしないで自分で英語で読みます。そもそも論文の日本語約には市場需要がありませんから、待っていても作られません。自分が英語を読めるようになるしかないわけです。それと同じですね。  つまり、当時の読者にとっては、「普通に読めるものだった」ということです。  もっとも、空海などは更に原典を持ってきてサンスクリット語で経文を唱えることに意味があるという考えで密教を作ったので、このケースは「わざとそうした」と言えます。 > ナンミョーホンレゲキョー  南無、はちょっと現代日本語での解釈は無理ですが、「妙法蓮華経」はそもそも経文のタイトルです。意味を翻訳していけなくはありませんが、「ナン~」というフレーズは、「この本(=妙法蓮華経)には、いいこと書いてあるぞー」という宣伝をしているわけですから、あなたの挙げた英訳はその点を取り違えた訳ですね。そもそもこのフレーズ、「お題目」って言うでしょう。まさに、「タイトル」なんです。 > あと、今の日本の仏教界でお経をわかりやすい現代の日本 > 語に訳すプロジェクトはありますか?  そういうプロジェクトは知りませんが、ちょっと大き目の本屋に行けば、お経の解説書は山ほどあります。今時なら Web でも買えます。

bougainvillea
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 翻訳能力は一部の人だけにあり、庶民には伝播しなかったという感じですね。

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