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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:世界的にはむしろ禁止されている陪審員・裁判員制度?)

世界的にはむしろ禁止されている陪審員・裁判員制度?

このQ&Aのポイント
  • 建国間もない混乱の中苦肉の策で導入された制度として疑問を持つ
  • 歴史のない国での必要悪として禁じられていることがある
  • イギリスでも導入されているが、成熟した国での意味はあるのか疑問

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • walkingdic
  • ベストアンサー率47% (4589/9644)
回答No.4

「建国間もない混乱の中、『法律家の不足により』苦肉の策で導入された制度」 ということを言いたかったのです。抜けてしまいました、 >ただ抜けていようと、やっぱり良く分からないでしょうか・・? そうですね。 市民が裁判に参加するという陪審員制度の意義は各国それぞれ色んな視点で行われていますから、単純にいえる話ではありません。ただ基本的な考え方として、封建時代のようなお国が市民とは異なる次元で動くのではなく、市民が中心となって社会を作り上げるという考え方が基本にあるようです。 過去に市民が裁判に参加する仕組みのある社会というのは、民主主義・市民中心の政治という考えが強い社会に現れています。(古くは古代ギリシャからそうです) これが宗教と対立するのはある意味当然のことです。昔は宗教が政治に強い影響力を誇っていましたから、市民が社会を動かすというのは昔の宗教家からは権力の侵害と取られます。 日本に当初導入された陪審員制度のいきさつの詳細は知りません。法律家が不足しているという側面もあったかもしれません。ただそれよりは近代化の中で導入しようとしたのではと気がします。というのも、本当に法律家が当時にそんなに不足していたとも思えないからです。刑事事件の無期又は死刑の罪に限定され、更に裁判を受ける人は陪審員制度か職業裁判官による従来の制度かどちらでも選べる仕組みであり、もともとそんなに数多くこなすつもりはなかったと思われます。 ただ、制度上の不備と費用がよりかかること、そして何より社会が民主主義がきちんと定着していない時代でしたから(何せ戦前ですから)、それで廃れてしまったのでしょう。 そう考えると、少なくとも当時よりも民主主義は進んでいる今は導入しても定着できそうな時代といえます。そもそも基本的に市民が裁判に参加するというのは、民主主義の中ではある意味自然の話です。単に杓子定規に法律に縛られることなく、市民の目線が司法にも反映されるとか、市民の司法に対する関心が高くなるなどのメリットも言われています。 もっとも今の日本に導入することになったそもそもの理由は、司法と国民の距離があまりにも遠くなりすぎているということから、もっと市民に近い司法に制度を変えねばならないということにあります。 もしかして、裁判官が不足しているからとお考えなのかもしれませんが、別にそれは副次的にそういう効果も期待できるという程度しか考えられていません。 というのも、市民が参加するからといって必要な裁判官の人数が減るわけではありませんから。(陪審員制度でも裁判官も参加し、訴訟の中心的役割を果たします) 今度の裁判員制度により、裁判員となる市民の負担を減らす為に、審議時間の短縮の試みがなされていますけど、それは別に裁判員制度でなくたって、そうすることは可能です(現に裁判員制度導入前に既に集中審議方式は始まっています) 要するに効率的な裁判の運営という意味では別に市民の裁判参加がなければ出来ないわけではなく、となると市民の裁判参加はあくまで、裁判での判断を下す側の人数が増えるだけなのですから。 もちろん陪審員制度も必ずしもよいとは限りません。民事/刑事全部陪審員制度であるアメリカでは、どう考えてもおかしいと思えるほどの訴訟社会になっており、弊害が出ているのは確かです。 ただ、だからといって特に市民にとってわかりやすい裁判、市民に身近な裁判にしていく努力は必要であり、その方策として陪審員制度は他国でも確かに効果を上げているので、別にそれを導入することが悪いことだとは思いません。 ただ、誤解しないで欲しいのは、私は日本の裁判員制度に賛成しているというわけではありません。メリットはわかるけど、デメリットも色々ありますので、簡単には是非は論じられるものではないと考えていますので。 しかしながら、功罪を議論するにしても、ご質問内容だと認識違いなど、そもそもの議論の土台が変な方向に向いていないだろうか?という疑問があるのです。 あくまでこのサイトはQ&Aで議論は禁止されているので、これから導入しようとしている陪審員制度についての私の意見や議論の視点については差し控えさせていただきますが、もう少し色んな情報を集めてみてはどうですか。少し得ている情報が偏った狭い範囲のような気がしますよ。

sdf1sdf
質問者

お礼

あまりに奇抜な説・意見を聞いてしまうと、それに引きこまれたり支配されてしまうことがあります。そんな感じで、「え・・・裁判員制度って、どうなんだろう」と思ったのが発端でした。 とても良く分かりました。

その他の回答 (3)

  • uoza
  • ベストアンサー率39% (326/827)
回答No.3

よその国はよその事情がありますので、あまり気になさらない方がいいのではと思います。日本での導入の必要性についてだけ考える。制度趣旨、個々人の観点、受け取り方があると思いますが、 日本では立法活動が盛んで、とにかくポンポン法律を作ってます。それもかなり理念的な、つまり普通の国民感覚とはちょっと遠く且つ反論しにくい「正論」の法律。その法律で裁かれるわけですから、国民イジメに近い場合もあります。何のための、誰のための法律か、という議論過程が弱く、とにかくポンポン法律を作る。これで苦しい立場であるのは「適用」担当部署で、(法律で決まっているから)とか(国会で成立したとか)という説明が精いっぱい。担当者もホンネではまともに適用できない法律なんて作るなといいたいところでしょう。国民が法律を守ってくれればいいわけですが、理念的すぎるので当然守らないわけです。 私としては、「立法」作業にブレーキがかかればいいと思うし、「適用」のパワーアップになればいいと考えるんだけど、どうかな。刑事事件だけでなく、民事(労働関係は既に済み)も当然導入すべきでしょう。

  • walkingdic
  • ベストアンサー率47% (4589/9644)
回答No.2

>世界的にはむしろ禁止されている陪審員・裁判員制度? 聞いたことがありませんけど。 アメリカ、カナダ、イギリス、ロシア、フランス、イタリアでは陪審員制度があります。ドイツもありますけど、事実上こちらは市民参加ではなく職業的になっているようです。 古くはギリシャ時代から存在するこの制度は上記先進国では古くは13世紀頃から始まり、現在に至っています。 >「そもそも建国間もない混乱の中苦肉の策で導入された制度」「歴史のない国での必要悪」「ほとんどの宗教では法律家以外が裁くことを禁じている」 聞いたことがありません。どういう理屈なのかわかりません。 >また、「ほとんどの宗教で禁じている」ところも気になります。 聞いたことがありません。 キリストについては、上記のように各国導入していますので、関係ないと思いますけど、宗教は詳しくありませんから断定は避けます。 日本でも一時期他の先進国を見習って陪審員制度を導入していた時期もあります。

sdf1sdf
質問者

補足

「建国間もない混乱の中、『法律家の不足により』苦肉の策で導入された制度」 ということを言いたかったのです。抜けてしまいました、 ただ抜けていようと、やっぱり良く分からないでしょうか・・?

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1

実は日本にも陪審員制度はあります。 (1923年に陪審法制定、1928年から陪審制度が導入) この法律によって484件が陪審で裁かれ、うち81件に無罪判決が出てます。 ただ太平洋戦争の激化に伴い、1943年に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって 陪審制が停止されました。 同法は附則において「今次ノ大戦終了後再施行する」と明文規定されていますが、 未だに再施行されないままです。 宗教的に禁じられている、歴史のない国での必要悪などと言うことは聞いたことがありません。

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