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皆が勝ち組にならないといけないのか?
よろしくお願いします。 大学のときに、これからは会社に頼ってはいけない、 自分でスキルを身につけ、生活できるようになることが大事 (プロフェッショナルになれということ) と勉強しました。 社会人になり、色々な方を見ているうちに、 本当に皆がプロフェッショナルになる必要があるのか、 と思い始めました。 本当にプロフェッショナルになろうとすれば。毎晩午前様は当たり前、 とても家族を大事にする時間などありません。 一方、派遣社員の方などは飄々としなやかに生きているように思えます。(生活は不安定かも知れませんが) 大前研一さんは、これからは国を頼らないように生きなければならないと仰っています。確かにそうかもしれません。 でも、皆がそのように生きれるのでしょうか? 体力的にも精神的に大変辛いような気がします。 競争が嫌いでおっとりした人などは、居場所がなくなってしまうのではないでしょうか? 二極化、自己責任という言葉は、人との競争が嫌いな人や、人を蹴落とすようなことではなく、日常の些細な喜びに幸せを感じる人を切り捨ててしまうような気がします。そのように考えるのは自分が”負け組み”だからでしょうか? 人にも国にも頼らず生きていける精神力、スキルを持てる人なんて一部の人だけなのではないでしょうか? みんなその一部の人になるために、人生の豊かな部分(ボランティア活動や家族とのふれあい、など)を」切り捨てないといけないのでしょうか? アドバイスを教えてください。 よろしくお願いします。
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初めまして。スコンチョといいます。(^_^) 活字で手短に書きますので、厳しい感じが するのはご容赦くださいね。 言葉の捉え方がブレると話がややこしくなるので、まずそこから。勝ち組・負け組という のは、一般的に裕福な生活ができるかどうかというイメージで定着していると思います。 その負け組の中にも悠々自適にマイペースで生きている人(ご自身で負け組と思っている かどうかは別問題)もいれば、ワーキングプアとよばれる働けど働けど・・・・という方 たちがおられます。 次にプロフェッショナルですが、その名の通り専門家・プロとして活動できる人という ことになります。これは、ある意味で、きちんと専門性を持って仕事をして対価を得て いる人は何らかのプロと言えます。もちろん、プロ意識の無い人が多いのも事実ですが、 逆にバイト・パートでもプロと言える人たちはいます。 >みんなその一部の人になるために、人生の豊かな部分(ボランティア活動や家族との >ふれあい、など)を」切り捨てないといけないのでしょうか? 松井・イチローが努力していないとは言いませんが、彼ら以上に努力している人がいない わけではないですよね。あなたの仰る一部(トップランナー)になるために努力や各種の経験 は必要条件ですが、逆にそれらが有るから全員なれるわけではないと思いますよ。自分という 器にどれくらいのモノが入るかの見積もりは大切です。その中で自分の大切なモノに優先順位 をつけていって、自分の持っている時間を使うわけです。 また、家族とのふれあいやボランティアが人生の豊かな部分というのは少々決めつけすぎでは ないですか。少なくともみんながみんなそうではないはずです。企業を大きくして雇用を増や したり、地域に税金を落としたりする頑張りが人生の豊かさだと考える人もいるのです。 >競争が嫌いでおっとりした人などは、居場所がなくなってしまうのではないでしょうか? ↑ これはあきらかに間違いです。現在も「仕事がない」と嘆いている人は多いですが、日本の 経済力でこの発言はあまりに主観的な言い訳なのです。なぜならば、仕事はいくらでもある のに、給料が安い仕事・きつい仕事・危険な仕事等々をやらないだけの話なのです。他人を 押しのけなくとも、慢性的に人手不足の業界はいくらでもあるわけで、これは所詮「自分 のやりたい仕事」「自分の気に入った仕事」が無いということなのです。ですから、コンビニ や工場などには研修名目で多くの外国人が入ってきています。このまま行くとこういう仕事が 安価な外国人労働者に取って代わられる可能性はありますが、仕事自体が無くなるとわけでは ないと思いますし、どこかで歯止めはかかると思います。つまり、「おっとりとした人」 ではなく「やる気の無い人」の居場所は無くなっていくと思います。それは仕方ないとも思い ます。 結論として、皆が皆プロ中のプロを目指す必要はないと思いますし、目指しても慣れない人 もいます。(基本的に個人の信条は自由です) あとは、質問者さんがご自分の人生でどの ような意思決定を積み重ねて自分をつくっていかれるかということであり、世の中の価値 バランスの問題ではないような気がします。
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- dai-ym
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勝ち組になる必要は決して無いでしょう。 負け組に居続けなければいいんだと思います。 今は負け組にいても抜け出す努力をして負け組みから抜け出せばいいし、 勝ち組といえるほどのものは持たないけれど、負け組のようにマイナスなわけでもない。 そこそこ家族暮らしていけるものはある。 それであれば十分です。 良くあるのが勝ち組になるとがむしゃらに頑張り、確かに勝ち組になった。 しかし疲れが出て倒れてしまい、すぐに負け組に・・・・ こんなんじゃ意味が無いです。 自分の能力を見極め、足ることを知り、パンのみに生きるのでなく多彩な趣味に生きる。 仕事では勝ち組にまでなれなかったとしても 人生では勝ち組になれると思います。 逆に家庭も捨てて仕事人間に。 本当に家族に捨てられ離婚独り身に。 それなりの会社で取締役になり仕事では勝ち組に。 でも仕事が終わったら一人ぼっち。 一緒に酒を酌み交わす仲間も会社の人で話も仕事のみ。 退職をしたら、その会社の役職についてきた人間はいなくなり、 訪ねてくる友もなく、一緒に酒を酌み交わす友もいなく一人ぼっち。 何かする趣味もなくボーっと老後を過ごすのみ。 これじゃ人生は負け組みですよね。 競争が嫌いで、競争が起きないような隙間産業で成功している人も多くいます。 人を蹴落とす人は周りが敵になりいつか蹴落とされますが、他人を押し上げている人は、押し上げた人達から引っ張り上げてもらえます。 競争社会、自己責任というと一人で戦うイメージがあるようですが、 実際にはいかに仲間を作り、助け合いながらやっていけるか。というものです。 プロフェッショナルもその仕事で自分が食って言っているという自覚を持つことで、その仕事に誇りを持つことです。 別にすべてを犠牲にして働くことでは無いです。 逆に出来る人になればなるほど、自分のプライベートも持ちます。 出来ない人が自分の能力以上のことをしようとするからほかのことを切り捨てなければならなくなります。 今の自分の能力を知り、今の自分の出来る範囲を知ることもプロフェッショナルの必要な能力の一つです。 だからすべてを捨てて仕事だけやっている人はプロフェッショナルと呼べるか怪しい人もいます。 (単にワーカホリックの人も多くいますが)
お礼
回答ありがとうございます
- odaigahara
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確かに、競争がきらいで、おっとりしている人の居場所は民間企業の中では、無くなりつつというか無くなった感じがします。 おっとりしている人の生き方としては、公務員の中で居場所を見つけるか、最初から能力が高く、比較的安定している医者や弁護士などになるしかないような気もします。 プロになることと、人生の豊かな時間をもつというのは両立できることです。プロというのは、短い時間でフルに能力を活かす人であるともいえますし。。
お礼
回答ありがとうございます
- gg_serena
- ベストアンサー率55% (126/228)
こんばんは。 なんだか、「勝ち組」を勘違いされているのではないでしょうか? 決して、勝ち組とは 「プライベートを犠牲にして、がむしゃらに働いている人」 では無いと思います。 むしろ、逆です。私は今、ヨーロッパにある社員数約10000人程度の日本法人で 働いています。同じ職場の社員は、一般的に言う「勝ち組」ばかりです。 でも、みんな、10時ぐらいに出社して、18時ぐらいには帰ります。 お子さんの卒業式だから、といって堂々と有給をとります。 長期で休暇をとって、家族と海外旅行に行ったりしています。 中には、趣味が高じて、リサイタルをするほど音楽に秀でた社員もいます。 プライベートを大切にしていますが、立派なプロフェッショナルです。 本当の勝ち組は決して、人生の豊かな部分を犠牲にして、プロフェッショナル になるのではないですよ。 人生を犠牲にしては、プロにはなれません。プロとは、ひとつのことだけに 集中した人がなれるような単純なものではないと思います。 広い視野と様々な経験が、プロフェッショナルを作るのでしょう。 本当の勝ち組は、人を蹴落としたりしなくても、勝ち組です。 他人を蹴落としてでしか、他人に勝てない人は、本物の勝ち組ではありません。 私は、プライベートも充実させつつ、勝ち組になろうと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 私は20代後半の男性ですが、要領が悪いのか 平日は夜帰ってきてから勉強、土日も勉強という形です。 これで家族を持つことなど考えられない状況です。 上記のような勉強を続けないと、とてもひとつのことに 秀でることは出来ないのではないのかと思うのです。 要領の良い人は家族も大事にしつつ自分のスキルを高めることが出来るのかもしれません。 私も人生を犠牲にせずに豊に生きれるようになりたいと思います。 ありがとうございました
お礼
かいとうありがとうございます