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哲学科・・・途方にくれています。
私は、某大学の哲学科の二年生です。哲学科に入ろうと思ったきっかけは、自分とかこころとかいつも不思議に思ってしまうことへの興味からでした。他大学の文学部の違う学科も受けましたが、第一志望に落ちてしまったので、第二志望であった大学の哲学科に来たというわけです。 大学では、哲学史を事細かに学び、ゼミで文献を扱い、レポートを書く。そのような授業の繰り返しの中でたくさんの先人たちの哲学書を読んでいったのですが、はっきりいって到底理解し難いものでした。少しずつ文章を読んでいっても、何を言っているのか全くわかりません。ゼミで要約の発表の順番がまわってくることもありましたが、頑張って何とか要約したものを発表した時に担当教授から「君は全然わかっていない」と怒られてしまいすごく落ち込みました。他にも授業の中で哲学用語の意味を聞かれ、「わかりません」と答えると「それじゃぁこの**学派の発展もわからないじゃないか」と言われることも多くあるし、「**という本も読んでないのか」と呆れられることもあります。 このようにいまだに哲学科という場所に馴染めません。友人と話してみると、同じ学科の中にもこのような気持ちを抱いている子は多くいます。しかしやはり自分に努力が足りないのではないか、とか自分は人に比べて馬鹿なのではないか、とか思ってしまいます。そして二年目の今、何をしたらいいかわからないといった完全な宙ぶらりん状態です。 もしよかったらこんな私にアドバイスを下さい。こんな哲学書が読みやすいとか、こうやって読むのがいいとかいう意見もあればぜひよろしくお願いします。
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人間にはいろんな思考パターンの人がいて、今のあなたに合うひとも、合わない人もいます。それを、いきなり哲学史を全部カバーしようとするから、わけが分からなくなるのです。Directioさんのご意見には私も全面的に賛成します。 具体例を挙げてみると、カントは大体、こんなことを言っています。「経験とは無関係な、純粋な理論は存在するであろうか。私は、存在すると考える」。この主張に納得できる人は、自分の問題意識がカントに近い人なのです。逆に私のように、「は?経験と無関係な理論?あるわけねーだろ」と思う人は、カントとは思考様式が根本的に違うか、もしくは、カントの問題意識を理解できるレベルに達していないか、どちらかです。 私の場合、思考様式がもともとカントより弁証法家に近いので、ヘーゲル、キルケゴール、アドルノの文章には、納得のいくことが多いです。特にヘーゲルは好きで、ひらったく言うと、理論と現実は必ず一致する、理論と現実は違うなどと言う人は、偏見にとらわれているだけだという考えの人なのです。これだけですでに、カントとは立場が違うことが分かるかと思います(哲学史的には、ルソーの一般意志の概念を受容していること、理想の状態は一般意志と個別意志が一致している状態だと考えていることなど、共通項も多いのですが)。 まずは日本人が書いた解説書や伝記をいろいろと読んでみて、今のあなたの問題意識を刺激してくれる人物を見つけることです。そこからスタートすれば、自分の核というものができ、そのレベルに達してからはじめて、他の哲学も勉強してみようかという余裕がようやく出てくるのです。 どうも、めぐり会った哲学教授に恵まれていないようです。私の指導教官は論理学が専攻ですが、私の法哲学研究にも、いろいろとアドバイスをくれましたよ。ゼミにいた全員の卒論に、書き込みをしながら全部目を通していたのには、さすがに驚きましたが。 哲学と言うのは、本来、「考えることが好き」という意味のギリシャ語なんです。それをわざわざ、難しく考えて苦痛にしてしまうことが間違いなのです。哲学史など後回しでよいので、考えていて楽しくなるような発想法の人を見つけてください。まだ2年生じゃないですか?時間はあります。 あなたの発想法や問題点が分からない段階では、お奨めできる哲学者を特定することは容易なことではありません。「自分とかこころとかいつも不思議に思ってしまう」というのが、「自分はいかに生きるべきか」という意味ではあれば、実存主義者や倫理哲学がよいでしょう。「自分は、なぜこんな人間になったのだろう」であれば、キルケゴールとフロイトが面白いです。フロイト本人は心理学ですが、フロイト理論を使いこなす社会哲学者も悪くありません。「なぜ自分や心というものが世界に対して存在するのか」ということなら、現象学やカントでしょう。
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- tekcycle
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たぶん指導力不足教員なのでしょう。 大学はそんなのばっかりですから。 できる奴にできることを教えるのは猿にでもできます。 できない奴をできるようにするのが指導教育です。 反面教師にしてください。
お礼
回答ありがとうございました。教授とはなかなかどう付き合っていけばよいかはわかりません。むしろ最近は恐怖さえ感じることがあります。でも何より自分が興味を持って学ぶことが大事だと今は思っています。なので頑張ります!
- Directio
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一応、先を進んでいる者としてコメントさせて頂きます。 No1の方が言っていることと多少かぶります。 ひと言で哲学といってもその分野は途方もなく広く深いものです。その中には当然のように自分に合うものと合わないものがあります。すべての分野を同じように理解し共感を示すことは不可能なことです(そういうことを求めるトンチンカンが学者もいますが・・・)。 哲学を学ぶことは物知りになることや百科辞典を目指すことではありません。自分が心底「これだ」と思える分野や立場を見つけて、それを自分のものにすることがまずは大切なことだと思います。初めのうちは細かすぎるようなテーマでもいいです。それを、少なくとも同年代には負けないと自負できるレベルにもっていくのです。知識の幅を増やしていくのはその後からでいいと思います。まずは自分の核を見つけてください。
お礼
回答ありがとうございました。自分に合うテーマを見つけていくことは確かに大事ですね。そこから興味がでてきて掘り下げることもできるであろうし、このままでは卒業論文も何だか危ういので。もう一度、哲学を学ぶとはどういうことかを考える機会にもなりそうです。ありがとうございました。
けっこう良い大学にはいっちゃったんでしょうね。ちょっと皮肉的な言い方でもうしわけないですが。 哲学はけっこうしんどいですよ。社会に直接関わらないことで常人には根気もいるし、語学も大変。本気でやろうとするとドイツ語、フランス語もからんでくる。まあ大変です。 いわゆる哲学の古典は授業前に読むくらいでは分からないと思ってください。それは怠慢です。最低でも3回くらいは読まないと、言いたいことが分からないんじゃないかと思いますね。 バカというのではなく、かなり努力不足で遅れてしまっているのだと思います。少々遊びすぎたか、甘く見過ぎましたね。少し休み中、必死にがんばってみてください。 哲学用語の辞典といいますが、用語集みたいなものは常時、抱えておく必要があり、基本をたえずおさえるということが必要です。国語辞書で分からない用語を調べるのと同じことで、たえず「概念」の意味を意識してください。高校までと違い、とくに哲学でうるさいのは「概念」。これが定義されないとすべて破綻します。ですから、「わかりません」じゃすまされなくなるのです。(今は怒られるだけですむのですが) 最低限の哲学史は、ざっと見ておく必要があり、いろいろ読んでみるとよいでしょう。その一方で、誰でもいいので特定の哲学者を掘り下げていくのが良いと思います(これは友人と自主研究会したほうがいい)。 自分で哲学史をさっと要約してみてもよいでしょう。少々大変な作業ではありますが、なんとなくつかんでおくことで、あとあと自分の頭に見取り図ができて楽になります。 ともかく哲学はしぶとさが必要です。なんとしてでも分かってやろうとするような気合いが欠かせません。カントやヘーゲルは死にそうになりますが、やはり分からないといって無視はできません。
お礼
回答ありがとうございました。自分でもやはり努力不足なのだと思います。しっかり読んでもいないのに、わからないと嘆いていただけかもしれません。せっかくこの場で色々なアドバイスをもらったので、頑張ってしぶとくやっていこうと思います。ありがとうございました。
- Coeru
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誰か一人でも詳しくなれば哲学が見やすくなると思います。 おすすめはプラトンとデカルトです。 二人とも世界の名著に入っているので 入っている分だけでも読めばかなりの力になると思います。
お礼
回答ありがとうございました。プラトンは『国家』、デカルトは『方法序説』しかまだしっかりと読んだことがありません。もうすぐ春休みなので、世界の名著をじっくり読んでいけたらよいです。やはり、たくさん読んで訓練していくことが大事ですよね・・・。また誰か一人に絞ってみるという意見は、大変参考になります。ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございました。自分の興味を引くものを探すこと・・・大事ですよね。何だか大学に入ってから哲学史を学んで与えられたものを読んでいくことで、かなり受動的になっていたので何だか自分で動くことを思い出したような気がします。harepandaさんのアドバイスからだと、フロイトやキルケゴールなんかが気になります。あと最近授業でやったニーチェにも興味がでてきたので、早速それらをまず読んでみたいです。何だか少し心の中が晴れたような気がします。ありがとうございました。