• 締切済み

動物に感情があるのか??

先日、居酒屋で飲んでいるとき他の席から動物は感情があるかどうかに ついて話しているのが聞こえてきました。 その人はたしかパブロフの犬などを例に出して熱く語っていました。 皆さんは、動物に感情はあると思いますか?? 哲学的に、根拠などがあれば根拠なども一緒に教えてください。 (根拠とは、過去の偉人の発言や本、法則などです) また、動物はあまりにも範囲が広いので犬などのある程度高等な 動物とさせていもらいます。

  • yuu789
  • お礼率8% (153/1886)

みんなの回答

回答No.10

近代科学で動物の情動に最初に注目したのは、 チャールズ・ロバート・ダーウィンです。 『人及び動物の表情について』という本を著しています。 ダーウヰン, C. (1931). 人及び動物の表情について (濱中濱太郎, Trans.). 岩波文庫, 33-912-7. 東京: 岩波書店. (Original published 1872) http://www.amazon.co.jp/dp/4003391276/ 岩波文庫で出ていますが、旧字体、旧かな遣いで読みづらいかもしれません。 表情の専門家であるポール・エクマンの解説のある英語版もお勧めします。 Darwin, C. (2002). The expression of the emotions in man and animals (3rd ed.) (P. Ekman, Ed.). Oxford: Oxford University Press. (Original published 1872) http://www.amazon.co.jp/dp/0195158067/ 初版はインターネットで読むことができます。 Darwin, C. (2006). The expression of the emotions in man and animals (1st ed.) (J. van Wyhe, Transcriber). (First transcribed 2002; Original published 1872) Retrieved January 11, 2008 from http://darwin-online.org.uk/content/frameset?itemID=F1142&viewtype=side&pageseq=1 『種の起源』や『人間の進化と性淘汰〔人間の由来〕』が有名で、 これはあまり知られている著作ではないのですが、 ダーウィンの本のなかでも傑作のうちに入ると思います。 その題では表情と書かれていますが、expression of emotions、 つまり情動の表出という意味であり、 顔の表情とともに、動物の内的な情動状態についても検討されています。 同じような立場の初期の研究としては、 ナジェージダ・ニコラエヴナ・ラジジナ=コートスのものがあります。 自分の子どもとチンパンジーの情動表出を比較した研究です。 Ladygina-Kots, N. N. (2002). Infant chimpanzee and human child: A classic 1935 comparative study of ape emotions and intelligence (B. Vekker, Trans.; F. B. M. de Waal, Ed.). Series in Affective Science. Oxford: Oxford University Press. http://www.amazon.co.jp/dp/0195135652/ この本には、霊長類学者フランス・B・M・ドゥ・ヴァールが、 チンパンジーを中心とした霊長類の表情の体系的なカタログをつけており、 多くの人がばらばらに勝手に分類したのをまとめていて有益です。 また、ドゥ・ヴァールを中心としたヤーキス霊長類研究センターや リヴィング・リンクスといった研究所でおこなわれている チンパンジーの情動研究についても簡単にまとめられています。 上の初期の研究は、情動を解釈しようというものでしたが、 オランダで動物行動学(エソロジー)がはやるころになると、 心のなかの情動状態は無視し、あくまで適応的な意義のみに注目していきます。 たとえば、表情というのは、相手を咬む行動や吼える行動など、 現実にとる行動が儀式化して固定したものだとします。 また、遊びについても、楽しいからしているのではなく、 狩猟行動の練習になるから進化史上消えることなく維持されているとします。 心理学で行動主義が下火になり、認知科学が勢いづいてくると、 動物の内的状態も注目されるようになります。 それと同時に、野外研究での事例も増え、 ひとり遊びで笑いの表情を出すチンパンジーなどの例もあります。 この笑いは、何の伝達機能も果たしていないため、 純粋に内的に楽しいという感情があって、その表出だろうと考えられます。 認知科学の方面では、藤田和生が概説を書いています。 藤田和生 (2007). 感情の進化. In 藤田和生 (Ed.), 感情科学. 京都: 京都大学学術出版会. http://www.amazon.co.jp/dp/4876987181/ http://www.kyoto-up.or.jp/book.php?id=1491 上は部分的にヤーン・A・R・A・M・ファン・ホーフ、シフネ・プルースホフトの概説によりました。 van Hooff, J. A. R. A. M. & Preuschoft, S. (2003). Laughter and smiling: The interwining of nature and culture. In F. B. M. de Waal & P. L. Tyack (Eds.), Animal social complexity: Intelligence, culture, and individualized society. Cambridge, MA: Harvard University Press. http://www.amazon.co.jp/dp/0674018230/ Parr, L. A. (2001). Cognitive and physiological markers of emotional awareness in chimpanzees. Animal Cognition, 4, 223-229. http://www.springerlink.com/content/y7ny04ppaxhgqd2u/ たまたま手元にあるリサ・A・パーの研究です。 上で述べたヤーキス研の研究の例です。 チンパンジーが情動を引き起こすようなものにたいしてどう反応するか。 仲間が注射されているところ、注射針単独、獣医に敵意を向けている仲間、 という3種類のビデオを見せた。 また、好きな食べものや物体、嫌いな獣医の処置など、多様シーンそれぞれを、 モニタ上のチンパンジーの表情を使って分類させました。 最初の実験では、敵意のシーンに比べて注射針を含む映像を見たときのほうが、 皮膚の表面温度が下がり、ネガティブな情動を感じていることを示します。 2番目の実験では、何の訓練もなく、コンピュータのモニタ上で、 好きなものや嫌いなものをそれぞれポジティブな表情、ネガティブな表情と 結びつけることができました。 これは、チンパンジーが、表情を情動的に、つまり何か好悪の価値をもって 処理していることを示しています。 ここで示すのにもっと的確な研究があるはずなのですが、 とりあえず手元にあるのがこれだったので。 とはいえ、心のなかがわかるわけではないので、論理的に示すのは難しい。 ですが、認知科学が始まって以後の生物学や動物心理学の証拠から、 経験的に動物に情動があると主張できるようになってきています。 ポイントとしては、情動的な反応をしているからといって、 動物がそれを情動として感じているのかという点があると思います。 つまり、とくに生の動物を見ると、たいていは情動が文脈に埋めこまれ、 何らかのコミュニケーション上の機能を果たしており、 実際に情動を感じている必要はないという主張です。 もちろん、生の動物の観察でも、上のひとり遊びのように、 明らかに情動がありそうな場面もありますが、 それよりも、実験的な統制下で、コミュニケーション上の機能とは関係なしに、 行動的、生理的な反応があることを示すことによって、 情動の存在が示唆されます。 論理的な部分と、経験的な部分の両方があってはじめて、 動物の情動の実在は学問的にいえるようになってきていると思います。

  • miledoor
  • ベストアンサー率13% (25/180)
回答No.9

以前、犬を飼っておりましたが、散歩に使うリードを見せると喜びます(喜んでいるとしか思い無い反応をします) 散歩=嬉しい これは感情ですよね? これは牧畜業者の話ですが、牛を肉に変える前に、頭蓋骨に杭を打ちつけてしめる(おとす、潰すとも言いますが)のだそうですが、牛君にも判る様で、落とされる場所にいきたがらないそうです。手綱を引っ張っても嫌がる、まるで泣いているようだって聞いたことがあります。 人間ほどの複雑な感情はもちろんないでしょうが、爬虫類に比べると「感情がある」と思いますよ?

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.8

私は米国に住んでおります。最近の世論調査によると、米国では50%程の人がダーウインの進化論は間違いで、神の創造説が正しいと信じております。米国では毎週日曜日に教会に行く人の数が50%を超えており、そこでお坊さん達に教育されるからです。 そんな米国で育った高校生の娘が、友人から面白い話を聞きました。娘の友人達は動物には感情があるはずがない、何故なら、感情は神様が人間にだけ与えてくれた物だからだと、お坊さんが言っていたというのです。牛や豚には悲しみがわからないから、人間は彼等を殺しても構わないのだそうです。ですが、その友人は「自分の飼っている犬を見ていると、その犬にはどうしても感情があるように思えてしょうがないので、大変悩んでいる」と私の娘に訴えていたそうです。 ついでに、娘(E子)の友人が言うには「E子には道徳観があるように思えるので、悩んでいる」そうです。何故なら、教会のお坊さんによるとキリスト教者のみが道徳を持っているのに、キリスト教者でないE子にも道徳観があるように見るからだそうです。この話を聞いたとき、外国人の友人を持たない標準的な米国人が外国人をどう見ているかに気付かされ、背筋が寒くなりました。 今回の大統領選挙でも、共和党のトップ2人の候補者は自分が敬虔なキリスト者であることを売り物しており(一人は元牧師)、多くの州では、公立学校でなんとかキリスト教を教えることが出来ないか論争しております。ゴッド・ブレス・アメリカ!

回答No.7

個人的にNo4さんと同じテレビ番組を私も思い浮かびました。つまり、人間以外にもゴリラにも、そして犬にも感情はあると思います…ということなのですが、それでは納得されていないようなので、近代の哲学者を上げるとすれば、それはデカルトでしょう。 「動物は無感覚で、非理性的な機械」しかし、今日、デカルトの近代的な自然観は"人間的な奢り"とされて見直されています。http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=1830 質問者さんは気づいていないかもしれませんが、No5の方がおっしゃる概念を前提に、近代的な捉え方をされています。問題提起そのものが、正解かどうか怪しいのです。 今日むずかしいのは、実は動物に感情があるか?ではありません。人間に感情があるのか?あるとすれば、それは自分にはどうやら感情があるということだが、他者に感情はあるのか?それは共有できるのだろうか?ではないでしょうか。コンピュータに感情はあるか?動物には感情があるか?殺人鬼に感情はあったか?を問うて、では感情とは何か?自分には感情があるか?の再定義が必要になっています。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

ありますよ。 だって犬ガルルルって怒るし、しっぽふるし、なでてなでてってねっころがるじゃないですか。 くーん くーーん と悲しそうな声を出し、スーパーの入り口につながれている犬をみて、何も思いませんか? ぺろぺろとあっちこっちなめるのは、こっちに愛情を示しているからですよね。 これらって感情以外なにか別のものでしょうか? だとしたら、人間も感情が無いってことになります。 哲学的な意見? 哲学者で動物には感情が無いということを言った人は思い当たりません。 動物と人間の違いについては哲学者の考えを聞いたことはありますが、感情について言及していた話は聞いたことがありません。 人間も動物の一種です。 もしかして人間は神のように偉大だと思っており、動物とは違うと思っていませんか? 残念ながら動物の一種です。 その動物の一種である人間に感情は無いと考えた人はいません。 あなたがもし 人間以外の動物に感情が無いと考えているのでしたら、どうしてそう思うのか書いてくだされば、誤解が解けるのではないかと思います。

noname#117439
noname#117439
回答No.5

人間の脳の初歩中の初歩を学べばわかりますが、そもそも感情に基づいて動機付けしないと行動自体ができません。 したがって脊椎動物で原始的であっても大脳を有する生命は最低限でも感情があります。 それ以下の原始的生命は科学的に説明不能ですが哲学のカテゴリーなので理想を語れば全ての生命は「愛」を求めます。 原始的神経組織で進化のストップした生命は「愛」追及する上で優等生ゆえ進化の必要が無いのでしょう。 ちなみになぜ動物の感情が否定的に捉えられた思想があるかというとカトリックの、いつもどおりの科学的根拠を否定した迷信ゆえです。 キリスト教徒以外は振り回される必要の無い輸入思想の断片です。 要するに迷信が一人歩きしているのが、動物に感情が無いという迷いです。

noname#78143
noname#78143
回答No.4

手話ができるゴリラを研究するという内容のテレビを 見たことがあります。 そのゴリラは仲間のゴリラが死んだとき悲しいと手話で 研究者に告げていました。 また、悲しい感情を抽象的な感覚で告げているところを みると人間のように複雑な思考を持った動物であると、 その研究者は結論付けていました。 たぶんですがNHKの放送だったともいます。

yuu789
質問者

補足

皆さん回等ありがとうございます。 大変参考になる回答ばかりですができればもう少し哲学的な意見を お願いします。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.3

動物に感情はあります。犬を飼ったことがあれば、必ず分かるはずです。私の実家の犬の場合、人間の赤ん坊をみんなであやすと、やきもちを焼いてギャンギャン咆えます。飼い主が外出すると、部屋の中でふてションをします。怒られると、いじけながらも飼い主の後ろを1メートルほど離れてついてきます。先代の犬は完全に日本語を理解しており、落合が現役だったころ、彼がTVに移ったのを見て私が「あ、オヤジだ」と言った瞬間、父親が帰ってきたのかと思って玄関に一直線で走ってしき尻尾を振りまくっていました。この犬は、怒られた時だけ日本語が分からないふりをするというすっとぼけまでやりました。 そもそも、犬を飼っていると、犬と人で視線があうことがあるはずです。視線の向こうに、自分と同じ知性や感情を持った存在がいるということを、人間も犬も分かっているのです。これは、霊長類や食肉目のように、両目が正面を向いている哺乳類に共通の現象ではないかと思います。 昔、TVで見た例ですが、アシカも視線というものを理解しています。インストラクターが「あのボールを取って来い」と言って、視線と同じ方向に指を伸ばすと、正しいボールを取ってきます。他方、「あのボールを取って来い」と言いながら視線と指先で全然別方向をさすと、どっちを取ってきたらいいのか分からなくなり、アシカも困ってしまうのです。 生物学的には、もともと哺乳類は親子のきづなが強い生き物なので、手間をかけて子育てをすることから、幼いものを見ると、可愛いと思い保護したくなるというのが、ほとんど本能と化しているような気がします(ただし、子持ちのメスを無理やり発情させるために、オスが子供を殺してしまう現象が、哺乳類には見られます)。猿や犬のように、序列性社会を作っている生物の場合は、ボスの座をめぐってオスどうしがプライドをかけて戦うことが観察されます。メス猿が、既に死んでミイラ化している子供を、いつまでも手放そうとしなかったりもします。 さて、哲学的には、動物の感情をどう説明すればよいかという疑問ですが、答えは逆説的で、「人間以下の哺乳類の脳では、理性は十分に発達しておらず、その分、感情がストレートに外に出る」というのが適切だと思います。こういうことを言っている有名人がいるわけではなく、今、私が思いついたんですけど。

  • splwtr
  • ベストアンサー率16% (75/461)
回答No.2

人間が動物の一種ならば、感情はあると思いますよ。 サルの親子を例にすると、子供が死んでも親のサルは ミイラになるまでずっとだっこしてる様子は、母性本能の 感情があるとも聞いたことがあります。 また、感情と言うことではないですが、脳細胞にミラーニューロン という細胞があります、人間にもあります。 この細胞に刺激をあたえると、どうなるのか? 調べてみてください。

yuu789
質問者

補足

皆さん回答ありがとうございます。 皆さんのおかげでしばらく考えるネタができました。 補足として人間はなしでお願いします。

  • tyty7122
  • ベストアンサー率31% (238/764)
回答No.1

ある。 人間という動物には感情がある。 犬や猫と接触を持った経験がある人間ならば、動物に感情がないと思う人は皆無であろう。 犬や猫の感情を「本能」というのであれば、人間のすべての感情も「本能」ということになるが、そんなことはないであろう。

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