- ベストアンサー
セクハラ?
自分は美大生で 登校中の電車の中で人物画を読んでいたのですが 隣に座っていたおばさんが「こんな所で裸の本など開くな、不愉快、立派なセクハラ」とか怒鳴られました 確かに公の場で開くには配慮が欠けていたのかもしれませんが この本は別に美術の参考書であって 男性、女性のヌードや人体構造の細かい部分が描いてあるだけで 卑猥や性行為を印象させるものはまったくなく 芸術、、肉体美、美の世界の目で見ていたのですが これはセクハラになるのでしょうか?
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私は、質問者さまが疑問に思われるのも、もっともなことだと思います。 そして、質問者さまがこのカテ(法律カテ)に投稿をなさったのも、このことについての法律的な取扱いをお知りになりたいからだと思います。 以下、その観点から述べてみたいと思います。 ご質問には、 >この本は別に美術の参考書であって、男性、女性のヌードや人体構造の細かい部分が描いてあるだけで、卑猥や性行為を印象させるものはまったくなく、芸術、肉体美、美の世界の目で見ていた< とありますので、質問者さまの行動が、法律的に「卑猥や性行為を印象させるもの」がないと評価されるかどうかを考えてみます。 法律では、「わいせつ」という概念は、「徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」(昭和32年3月13日・最高裁判所判決)というふうに定義されています。 何をいっているのかわかりづらくて、非常に問題のある定義なのですが、要するに「社会のごく普通の人が性的な羞恥心を感じてしまうようなもののことを「わいせつ」というのだ」と理解しておけばよいと思います。そして、上記最高裁の判例は、あるものが「わいせつ物」に当たるかどうかの問題は純粋に法律解釈の問題であり、その作品が芸術性を有するものであるかどうかは、問題にしないという態度をとっています。 「我々が普通に芸術的作品と認めるところのものでも猥褻性を有する場合があるのである。いわゆる春本の類はおおむねかような芸術性を欠いているから、芸術性を備えている本件訳書はこれを春本と認めることができないこと第一審以来判定されてきたところである。しかしそれが春本ではなく芸術的作品であるという理由からその猥褻性を否定することはできない。何となれば芸術的面においてすぐれた作品であつても、これと次元を異にする道徳的、法的面において猥褻性をもつているものと評価されることは不可能ではないからである。」 そして、このことについて、裁判所の態度は頑迷固陋の一点張りで、「かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従って、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。」(前掲最高裁判決)とまで言い切っているくらいです。(もはや何をかいわんや、ですが。) 私自身も、たとえば異性の姿態やしぐさに、息を呑むほどの美しさを感じることがありますよ。 そういうことは、性的な欲求とはまったく別物であることも、体験として、理解できます。 それゆえ、質問者さまが疑問に思われる理由も、理解できるように思われるのです。 ありていに申し上げれば、社会一般の人々は、その教養程度も千差万別で、残念ながら質問者さまと同程度の芸術的天分に恵まれていないということでしょう。 法律としては、そのことを踏まえて、「最低限のところ」を画さなければならないと考えていると思われます。 私は質問者さまの行動が間違っていたとは思っていませんし、上記のような説明でも、おそらく質問者さまの疑問はなお完全には払拭されないこととは思います。しかし、法律の考え方がいちおう上記のようになっていることを踏まえて、やはり質問者さまがおっしゃるとおり、電車の中など公共の場所では、少し配慮されるのがよいと思います。
その他の回答 (3)
- Barmin01
- ベストアンサー率31% (101/320)
セクハラですね、残念ながら。 セクハラの定義が、相手がセクハラだと思えばセクハラですから。 ただ、それで問題になるといったことはないと思います。 以前、何かの番組でやっていましたが、例えば、ある女性にとって嫌いな男性が同じ職場にいたとしたら、その男性は存在がセクハラになってしまうらしいです。めちゃくちゃですよね・・でも定義はそうらしいです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88
- SaySei
- ベストアンサー率32% (528/1642)
例えばね、市役所の前にダビデ像を置いていたとします。それを見た近所のおばちゃんが「市役所の前にあんなもの置くなんて!セクハラだ!」って言うのと同じだと思うのね。 でも、芸術を理解できない人ってやっぱりいて、そんな人の中でも「人前で裸なんて!」と考えてしまう人もいるわけで。そういう人もいるということを頭の片隅に置いていた方が良いわけです。 不愉快な思いをさせてしまったなら、謝る。今回の場合ですと、 「これは美術の参考書なのですが、配慮が足りず、不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。」 でしょうかね。 セクハラになるかどうかは微妙です。ただ、昨今は「ちゃん」付けで呼んだというだけで「アカハラ・セクハラ」で教授が処分を受けるような時代です。過敏過ぎる時期のように思うので、揉め事になるようなことは避けるほうが無難でしょう。 私にしてみれば、スポーツ紙を広げられる方が不快ですけどね。卑猥な広告もありますし。(どちらかというと、こちらのほうが子どもが見た際に教育上よくないですし、セクハラでしょう…)
- hmcke213
- ベストアンサー率28% (298/1049)
言葉の定義から言えば、相手に不愉快な思いをさせてしまったことですから、セクハラと言えなくもないですね。 例えば、職場の上司からのセクハラという点では、「嫌がらせ」ようと思ってセクハラを行う人も確かにいるのでしょうが、ほとんどの場合はコミュニケーションで「相手も面白がる」という勘違いからのこと。自分の意図とは裏腹に…というのはよくあることなんですね。 普通は、そういった参考書のようなものや美術書の場合は不快に思ったりはしないと思いますが、気づかなかったのでしょうね。