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私たちが「裁く人たち」になり法定を開きイエスを裁判にかける
現代社会において「イエスの無力さ」及び「イエスの成し遂げようとしたこと」を裁きにかけるとしたらどんな罪に問われるのでしょうか??
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- kigurumi
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新世紀エヴァンゲリオンってご存知でしょうか。 エヴァンゲリオンとは良い知らせ つまり 福音のことです。 新約聖書は4つの福音書で構成されており、つなわち 4つの良い知らせで構成されているってことです。 もちろん新約聖書を作った人はイエスではありません。 福音は古代に200以上もあったそうです。 それをたった4つのみ選んで他の福音書を撲滅するために作ったのが、新約聖書。 すなわち新約聖書とは核兵器みたいなものです。 ある派閥が、沢山のいろいろな説を認めず、イエスの人生を一つだけにしようとしたため、こういうことが起こったわけです。 従って新約聖書はイエスの実像を表しているとは限らない。 力で勝った勢力が作った物語だから。 その核兵器を使った派閥がやりたかったことはなんなのか。 自分の思想を世の隅々にまで広め、人類がたった一つの思想になることだったと思えるんですね。 新世紀エヴァンゲリオンもそう。 碇ゲンドウは、キリスト教が起こっても、人類が殺し合いをやめないのを見て、結局 人は頭で描く理想と体は分離せざるを得ず、人類補完計画によってしか統合できないとしたんですね。 キリスト教は他の方も言うように、支配者のほかの地域への侵略に使われた。 核兵器という性質を持っているので、強力な兵器なわけで、他を破壊して略奪し、文化を滅ぼすという宿命を帯びているわけです。 イエスの思想が核兵器として使われた。 結果 どうなったか。 人々から知恵を奪い、自由を奪い、人類皆奴隷化計画が実行され、まるで映画マトリックスのような状態になったわけです。 核も使い方によっては人類の繁栄を促進するのですが、使い方を間違うと、破滅になるという諸刃の刃。 ロンギヌスの槍伝説ってありまして、カインの末裔にその不思議な金属が与えられ、カインはそれによって勝利するわけですが、その威力のすさまじさに恐れをなして捨てたはずなんですが、それがイエスのわき腹を突いた とされる伝説なんですね。 その後、アーサー王伝説にもなる人の手に渡るんですが、その剣を持った人は必ず、権力を得るといきかえに呪われると言われている。 イエスを倒したため(利用したため)権力を手中に収めたが、その代償は拒否できない。 呪われた剣なわけです。 そうやってキリスト教は拡大しましたが、教会の外は核兵器により、文化が滅び、人々は疲れきり、もうろうとしながら、キリスト教万歳とヘロヘロになりながら、崇拝していったわけです。 遠い日本もその爆発の余波がずっと後になってやってきて、少なからず破壊されました。 しかし、なんといっても八百万の神々が住む島ですから、崩壊は免れました。 私はこのことは幸運だと思うんですね。 もろに核兵器により壊滅された文化はお気の毒だと思います。 ですが、日本は生き残った。 これを幸運としないなら、なんと表現するのでしょう。 諸外国の人が、この核兵器により存在を受けたのであれば、その当事者たちに責任を問えばいいと思います。 使用者に責任を問うべきであって、イエスに責任を問うのは筋違いです。 先日 ジミー・カーターという人に関する質問を調べていて、興味深い発言を目にしました。 < 議論の的が何であれ、クリスチャンは適当な聖書の言葉を強調し、その言葉の普遍性を主張することによって自分たちの意見を補強することをしないわけではない。しかしそれは、聖書を利用して個人的な好みを合理化しているにすぎない。「神と私は正しい。私たちに同意しない人はだれであれ間違っている。」私がいつも憂慮するのはこうした「正しい信者」である > イエスの文句を悪用し、聖書の文句を悪用する。 つまり「私は正しい」とするため、聖書を利用する人たち。 よく信者の人は、聖書の一節を書いて、自分がいかにすばらしい人であるかをそれとなく遠まわしに訴えますよね。 ジミー・カータが憂うる<正しい信者>なわけです。 どうして信者はそんなことをやるのか。 上がそうやるからです。 魔女狩りの時も、聖書を引き合いにだし、聖書にそう書いてあるから として冤罪を着せ拷問を楽しみ、そして快楽殺人をしていった。 このようなことを上がやってきたので、末端信者も同じ過ちを犯し堕落していったわけです。 だから戦争はなくならない。 核を悪用していく人たちをどうやって止めるか。 その一つが、新世紀エヴァンゲリオンなどの思想です。 架空の物語ですが、現実的な話です。 人は頭に理想を描いていても、肉を持っている限り、そのようになれない。 人は肉をもっているから人の形でありつづけられる。 人の形を保ちながら、幸福になるにはどうしたらいいか。 死んだら天国に行くというペテンにひっかかりず、肉を持ちつつ、人間でありつづけつつ、幸福になるにはどうしたらいいのか。 自分を知るってことだと思います。 自分が人であることを知るってことだと思います。 釈迦だったと思いますが、彼はキリスト教のように架空の物語をもって、実現可能だといわず、現実人間の持った感覚・知覚でのみで、涅槃へ至る説を解いたと思います。 だから、仏教徒は戦争をあまりやらないのではないかと思います。 仏陀の思想を核兵器に使用しないので。 キリスト教の場合、それを政治に利用してしまっったことで、あの宗教が人を破壊する核兵器になってしまった原因だと思います。 宣教師が来ると次に軍隊が来るとなるのは、実際にそうやっていたから。 宣教師により現地を偵察させ、まさかこれから軍隊がやってくるとは思わない人々は、警戒なしに情報を与え、その情報は本国の軍部に伝わり、その情報を元に一気に叩く。 神の栄光を地球の隅々にまでという思想のようですが、その行為は悪用され地球の隅々まで核兵器で破壊しようとしているわけです。 日本も宣教師が情報を収集し地図などを本国に渡し、地方の勢力を味方につけ、あわやという事態になりましたが、持ちこたえました。 日本にいる以上、諸外国のように乗っ取られ、自分を放棄させられ、神の奴隷としてコキ使われ搾取され、自分の人生など無い と強要されることなど無いんじゃないかと。 奴隷となると契約を交わした? もしそうならキリスト教って契約を一度交わしたら、クーリングオフ制度は無いし解約は不可能なのですが、契約内容に虚偽があったら、契約そのものは無効にできます。 契約内容をもう一度確認してみてはどうしょうか。 誰と契約を交わしたのか、どういう内容を提供されると書いてあるのか。 もし、現実不可能なことができますと書かれていたら、詐欺です。 霊感商法として、取られた額を返してもらうため、警察にひがい届けを出し、裁判で騙し取られた額を取り返す。 詳しくは宗教関係の裁判を専門にやる弁護士に相談してください。
- ANASTASIAK
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「イエスの無力さ」とはなんのことですか? イエスは無力ではありません。 一体何をもってイエスが無力だなどというのでしょうか?
- adaypajimy
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他の回答者さんを参考にすると、罪の前に罰があるそうなので、その罰をまず考えないといけないようで、勝手に考えてみました。 >イエスの無力さ 隣人を愛さず、神を疑い、信仰しない人がいることでしょう。 >イエスの成し遂げようとしたこと でも、結果を残さなかったのは、 上記のような人間のせいじゃないでしょうか。それを、 イエスのせいにする、他力本願の精神がよくわかりません。 罪人は、現代社会の現代人なんじゃないでしょうか。 (イエスのおかげで罪をつぐなったのにもかかわらず。 ちなみに、 わたしは特に何か信仰しているわけではありません。
- Roman0
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現代社会、という前提であれば、具体的にどの行為であるかを指定されないと、罪に問うかどうかを議論することすらできません。 なお、「イエスの無力さ」であれば、単なる状態ですね。それは罪に問うことはできません。近代刑法においては、罰するのは行為であって状態ではありません。 また、「成し遂げようとしたこと」であれば、単なる内心のありかたですね。それは罪に問うことはできません。近代刑法においては、罰するのは行為であって状態ではありません。それを罪に問うのは、思想信条の自由を侵害することであり、中国などの共産圏の人治国家や古代の専制君主国家でしょう。
>現代社会において は最初に罪ありきではありません。 罰が決められ、それに対しいかなる行為をしたら いかほどの罰を加えるべきかが決まります。 繰り返しますと、初めに罰ありき。 それから何をもって罪とするかの順になります。 よって事後法である以上、 裁きようがありません。 哲学カテで質問する以上理詰めで提起してください。