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よく使われるこれらの言葉について

よく「こんな時代だから」「時代が悪いから」「こんなストレスの強い時代だから」など、昭和の後半から平成にかけてを歴史の中でも独特な時代であるかのような言葉をよく耳にします。 歴史を振り返ると戦争のあったときや、産業革命、明治維新のような大きな転換点がたくさんあります。こういった時代の人たちも、苦労したり「なんでこんな時代に・・」など思ったのではないかと思うのですが、最近の新聞、テレビ、インターネットなどなど、多くのものが「こんな世の中」「ストレス時代」などの言葉を多く使いますが、現代は特殊な世の中とする根拠のようなものはあるのでしょうか。

みんなの回答

noname#42402
noname#42402
回答No.3

基本的に、 人が生きて生活していく、 という面では何も変わっていませんが、 やはり現代は今までの時代とは違う時代でしょう。 現代を現代たらしめているのは、 情報の「量」と「速さ」だと思います。 ありきたりな理由ですが、 これは大きいです。(善くも悪くも) 例えば大航海時代以前にも 実際にはアメリカ大陸と他の地域との「交流」はありました。 「量」的には微々たるものですが。 しかし大航海時代以降、 その「量」が爆発的に拡大し、 恒常的な「貿易」が可能になりました。 その傾向はそれ以後もずっと続いており、 近代以降においては「距離的な障害」は ほとんどなくなってきています。 ([どこXXドア]でもできれば、さらになくなります) そして現代では、 情報の面での「距離的な障害」は ほとんどなくなってきている、ということです。 しかしこれは、現代の特徴、というだけであって、 現代が特殊な時代、という意味ではありません。 よくもわるくも、現代は現代。 それだけのことだと思います。

kanichiomiya
質問者

お礼

「情報」の量は並ではないですね。いやでも目に入ってきてしまうくらい多いです。無意識に必要、不必要を分けているのだと思いますが、覆いかぶさってくるような量には参ってしまいます。 同じ距離でもあらゆるところが近くなりましたね。 >現代の特徴、というだけであって、 現代が特殊な時代、という意味ではありません。 よくもわるくも、現代は現代。 何か特殊なものがあるのではと探していましたが、現代は現代・・・ですね。 回答ありがとうございました。

回答No.2

推測で書かせてもらいます(対象は日本のみで) >「こんな時代だから」「時代が悪いから」 は史料が少ないだけ(検証が難しいだけ)で昔の人も言っていたかもしれません。例えば、 「戦争さえねければ・・・こんな時代に生まれてきたくはなかった」 などのように。 また、教育システムの確立により人々がより過去を知るようになったからかもしれません。今と昔の断片的な比較において、今を「こんな時代」と称していると考えられます。 >「ストレス時代」 は若干、違う話でいくつかの要因が挙げられます。 1.高度情報化に伴うプライバシーの問題 2.時間概念の変化(以前に比べより時間に縛られるようになった) 3.仕事(勉強)における質の変化 4.高い科学技術信奉による、精神的支え(宗教的・道徳的)の喪失 1番はここ最近特に叫ばれていますね。特にブログやケータイにより誰もがマスメディア化し、その対象も誰もがなりうるということです。 2番は労働が万人化され、誰もが同じ仕事を(多少の優劣はあるものに)こなせるようになったため、労働とは時間を売る行為だとすることもでき、そのため時間に厳しくなったといえます。 3番は面白いデータがあります。日本人の一週間の総労働時間なんですが、一時期(高度成長~バブル崩壊直後)をのぞいて、ほぼ明治時代から変わらないというものです。つまり現代も明治期も労働時間は変わらないわけです。そうすると日本の飛躍的発達の要因は、仕事時間が増えたことより仕事の質そのものが向上したといえます。質の向上はそれだけ労働に求める要求(ノルマ)も高くなったといえるので、それがストレスに感じるようになったのでしょう。 4.これはどのようにストレスを逃がすかということにも関わってきます。信仰による精神の安定ですね。 また、一方科学技術が発達するということは、以前は超自然的現象(神の力)として畏敬されていたものが解明されて行くわけで、必然的に神(若しくは仏)に対する畏敬の念が相対的に下がります。それは人々に現実主義的な考えを植え付け、いわゆる夢や希望(「現実的に考えて・・・」などの言葉が象徴的です)が少なくなるわけです。よって、ストレスを感じるようになるのではないかと思います。 以上が私の推測です。

kanichiomiya
質問者

お礼

興味深く読ませていただきました。 >特にブログやケータイにより誰もがマスメディア化し、その対象も誰もがなりうるということです これは便利さが裏目に出てしまっていることの代表的な例のように思いました。 >現代も明治期も労働時間は変わらないわけです >科学技術が発達するということは、以前は超自然的現象(神の力)として畏敬されていたものが解明されて行くわけで、必然的に神(若しくは仏)に対する畏敬の念が相対的に下がります。それは人々に現実主義的な考えを植え付け、いわゆる夢や希望(「現実的に考えて・・・」などの言葉が象徴的です)が少なくなる 労働時間が変わっていないというのははじめて聞き、また驚きました。 それぞれの時代、信仰は多くの人を救ってきましたね。信仰に関しては推測しませんでした。現代は「希望」の持ちにくい時代だということを痛感しています。 新しい視点を入れていただき、ありがとうございました。

  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.1

現代は特殊な世の中ではありませんよ。昔から人は「こんな時代だから」「時代が悪いから」「こんなストレスの強い時代だから」みたいなことを言い続けてきました。それを今も言い続けているだけのことです。 おっしゃるとおり明治維新に反発していた人は多かったし、文豪の多くは「神経衰弱」などストレスが原因の病にかかっているし、戦争中ほど「時代が悪い」と言われた時期はないだろうし、そもそも、自由に狩猟採取していた縄文人って、弥生人が勝手に組織的な稲作を押し付けてきて反発していたと聞いたことがありますけどねえ。アウストラロピテクスはどうだったのかしら。 もちろん、悪さの種類やストレスの原因などは、時代ごとに変化していますけれどね。

kanichiomiya
質問者

お礼

どの時代も苦しい面があったけれど、時代と共にその原因が変わってきたのですね。現代は昔にないものが出てきて現代独特のストレスが発生しているようですね。 回答ありがとうございました。

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