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なぜ人は人をねたむのですか?

ふと疑問に思ったことですが、自分は何も科学的なこと(?)など詳しくないのでご存知の方・思い当たる点がある方がいらっしゃれば教えてください。 31歳未婚・女です。生活はほどほどに楽しくやっていますが、結婚している人、子どもがいる人、お金持ちの人、広い交友関係を持ち誰にでも好かれる人…など、私にないものを持っている人を見ると羨ましく思ったり妬ましく思ったりします。年をとるごとに、自分の人生に納得がいかないほど、そういった思いが強くなるように思うのですが、意外にも周りの誰でもそういった思いはするようです。 今では落ち着きましたが、私は一時は誰に対しても嫉妬心ばかり、どんな人を見ても自分より幸せだと些細なことで悩んでいました。そんな惨めな思いしかできない自分から抜け出したくてたまらなかったです…。 (私だけかもしれませんが、自分がめちゃめちゃ幸せなときは劣等感は殆ど感じないし、人をねたむ気持ちも自分が幸せなことでなんとも思わなかったりします。それも不思議です。) 『隣の芝は青い』と言いますが、人を『ねたむ』自分は嫌な人間のようで人を羨む度にいまだに多少なりとも悲しく思ったりするのですが、妬みや嫉妬心、劣等感は、人生において何かの役に立つのでしょうか、また、なぜそういう感情を人間は持ちあわせているのでしょうか? つまりは、私が思うところの負の感情や事象…浮気は種の保存(自分の子孫をより多く残すため)とか、恐怖心は自己防衛だったりとか、何かしらの感情はそれなりに理由付けられたり解明(?)できたりすると思うのですが、どうも嫉妬心やねたみ・劣等感に関しては納得行く理由が見つかりません。なぜ、時にはそういう思いばかりして生きていかねばならないのかと思うのです。ねたみばかりで頭がいっぱいになるのはもう嫌なのです。 クエスチョンばかりで、文章がうまく書けず申し訳ありません。。が、こういう理由づけがあるなら、人が人をねたむことも納得がいく(かもしれない)、という考えをお持ちの方は教えてください。よろしくお願いします。

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  • k-ken2007
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回答No.2

私の考えですが嫉妬心やねたみ・劣等感などは自分にないものをほかの人が持っているからで、人は生まれながらにして知ることを欲すると過去の哲学者がいいましたが、自分にないものがほしいと言う向上心の表現系のひとつと考えます。嫉妬心やねたみ・劣等感は表現系の負の部分で負の感覚だけが大きくなれば他人に対してはねたみ自分に対しては劣等感になると考えます。 ではここで考えを変えてほかの人が自分と違うものを持っているとすれば自分もほかの人から見れば違うものを持っているといえます。 すべての人は何かが欠落していて何かをいいものを持っているものです。だから嫉妬心やねたみ・劣等感を持つ必要ななくほしいものに近づく努力をする向上心を持つべきです。 昔、人は1個の球体で大きな力を持ったために神に二つに分けられてそれ以来、人は自分の半身を求め続けると言った哲学者もいました。 亢竜悔ありと言う様にもし完全な人がいたとしたらそれ以上はありえないので生きている意味を失うといえます。 すべてを手に入れるということはすべてを失うと同じであると言った人もいました。 完全ではないから常に向上しているといえます。 みんなおなじですよ。 えらそうですみませんでした

kanikko
質問者

お礼

>人は生まれながらにして知ることを欲する 確かにそうですね。知ることや何か(物や、物でないものなど)を 得ることで人間は成長するのですもんね。 とするとやはり、渇望するからこそ、嫉妬するのでしょうかね… >すべてを手に入れるということはすべてを失うと同じであると言った人もいました。 それは言えているかも知れません! なるほど~。何かを得ても何かを失いますね。 『亢竜悔あり』…存じませんでした。えらそうになんて とんでもない。一つ利口になりました、ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.6

小生も同じような想いにとらわれる事があるので、あなたの質問に興味をもちました。つまり、人間の感情に何らかの存在理由を求めてしまうという点です。 他の方もおっしゃっているように、それにより発奮し自分自身も高め、よってもって人類全体が進化するようななっている=”プログラミングされている”というのが答です。そのプログラムは「本能」というわけですが・・・。 では、だれがそのプログラムを書いたか?今の概念で言えば神ということになりますが、その概念さえ誰か(異星人)が書き込んだとも考えられます。(以下略)

kanikko
質問者

お礼

>人類全体が進化するようななっている=”プログラミングされている”というのが答です。 そうなんですよね。ただ、プログラムされていたとしても、 劣等感を感じると自分が嫌な気持ちになるというのが、 変だな~(?)と思いまして。そこから早く抜け出して向上するように 嫌な気分にさせるのでしょうか。 嫌な気持ちになることとは常にすっぱりと縁を切ればいい というわけでもありませんものね。 ハー。(ため息) >では、だれがそのプログラムを書いたか?今の概念で言えば神ということになりますが、その概念さえ誰か(異星人)が書き込んだとも考えられます。(以下略) 異星人まででてきちゃいましたか!略された後が読んでみたいと思いました。 この人類のプログラム、大きく言えばこの地球の現状はその、 プログラムを書いた方の思い通りに進んでいるのでしょうかね? なんだか妄想が膨らみます。(笑)ありがとうございました。

  • mapato
  • ベストアンサー率69% (493/705)
回答No.5

こんにちは。 人が人のことを何一つ「羨ましい」と思わないようであると世の中そのものが歩みを止めてしまいかねません。 他人を「羨ましい」と思うことは自分もそうなりたい、もしくはそれを越えたいという気持ちを生み出します。 それが「競争」を生み、世の中自体をより生産性の高い方へ向かわせることにもなる訳です。 例えば共産主義のように「皆で作ったものは平等に皆に分配」というような仕組みにしますと、皆同じなのですから他人を羨ましいとは思いません。 しかしそうなると「努力しても一緒」と言うことになってしまい、皆努力をしなくなるので社会そのものが停滞してしまったり、著しく生産性を損ねてしまうようなことになりかねません。 もし他人との間に差があっても「羨ましい」とも「妬ましい」とも思わなければ状態はそれと同じことになってしまいます。 人は他人を「羨ましい」「妬ましい」などと思うからこそ、頑張って自分も同じようになろうとか、それを越えてやろうとか思うのではないでしょうか。 それが正しい方向の(?)思考として働かない場合、自分の努力などによって差を埋めようとするのではなく、ただただ差があることに腹が立って仕方がないとか、むしろ他人を貶めて自分と同じ位置に引き摺り下ろしたいと言ったような発想になってしまうのかもしれませんが、「正」の方向へ向けば「向上心」に繋がる訳です。 差があろうとなかろうと現状に十分満足していればそのような気持ちが生まれ難いのも確かですが、皆が同様にそのような思いを抱いてしまっていれば人は今のように発達した文明を築くこともなかったのではないでしょうか。

kanikko
質問者

お礼

>「努力しても一緒」と言うことになってしまい、皆努力をしなくなるので社会そのものが停滞してしまったり、著しく生産性を損ねてしまうようなことになりかねません。 う~ん、これまたなるほどですね。 人間はよくプログラムされてるというか、不思議です! ただ、若いときには頑張ろう!とか、自分はこうしてやるから いいのだ、とか思えるのでよかったのですが、最近は 焦りも手伝い負の感情に振り回されてしまいますね。いかんいかん。 >差があろうとなかろうと現状に十分満足していればそのような気持ちが生まれ難いのも確かですが、皆が同様にそのような思いを抱いてしまっていれば人は今のように発達した文明を築くこともなかったのではないでしょうか。 現状に満足したところで、その気持ちは長くは続かないことが 多いですもんね。結局他の何かを欲しがったりしてしまう。。 ただ、努力するための、向上するための感情だとしたら、 少しは気分が落ち着きます。 ご回答ありがとうございました。

  • bouhan_kun
  • ベストアンサー率19% (1032/5208)
回答No.4

まあ、集団主義的発想でしょう。個人主義が中心の欧米では、そういうのは少ないようです。劣等感の裏返しともいえますね。つまり自信がないってこと。プライドの裏返しともいえます。私はすごい、だから劣っているわけがない、でもあちらは勝ってるようにみえる、そんなはずはない、悔しい、って感じでしょうか。

kanikko
質問者

お礼

>個人主義が中心の欧米では、そういうのは少ないようです。 前出のご回答の方で納得いきました。日本人にうつ病が多い というのもそういうところから来てるかも知れませんね(?) プライドの裏返しか~。それもいえるかもしれませんね。 自尊心がなければ、個人を保つこともできないかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。

  • matrix256
  • ベストアンサー率24% (171/708)
回答No.3

「妬み」や「嫉妬」は本質的には「競争本能」で 説明がつきます。 これらの感情は自分以外の他人の影響を受けないと感じません。 極端に言えば「無人島で一人暮らし」を していれば感じない感情なのです。 もっと言えば、「自分が幸せという気持ち」も 「他人が妬ましい」と感じるのも全て他の誰かの言動によって 相対的に価値付けられているのです。 競争本能であるというその証拠に 嫉妬を感じた時は、その誰かに負けてしまったような 「敗北感」を感じます。つまり競争があったことを 意味します。 嫉妬を感じなくする為には「 競争をやめる」ことが大切です。 真にプライドが高い人(私もそうですが。笑)は競争をやめます。 競争している内は中途半端なプライドの持ち方なのですよ。 ちなみに芸術家はブライトが高すぎるので 皆「競争をやめている」と言う話を聞いた事があります。 くれぐれも参考まで

kanikko
質問者

お礼

>極端に言えば「無人島で一人暮らし」を していれば感じない感情なのです。 う~ん、それはそれで、私は「鳥は飛べていいな~」とか、 「木は動けないけど根をはり、どっしりしてていいな~」とか 思っちゃいそうです!タハハ。 >嫉妬を感じなくする為には「 競争をやめる」ことが大切です。 確かにそうですね。「競争をやめる」、自分の意識を 他に向かせるように、努力します。 ご回答ありがとうございました。

回答No.1

>なぜ妬むか? 安心したいからじゃないですか。 日本人は特に「平均思考」が強いですしね。=無個性なんだけど 「私は、みんなに比べ劣っていない」と確認したい そして、安心したいために、他人の長所にケチをつけたくなる。 でもまあ、劣等感や嫉妬には、メリットもあって、 「負けるもんか」という努力の原動力にもなる利点がある そういう建設的な方向にもっていけるのが、大人かなと思いますが。 逆に言うと 「鈍感力」という流行語は、僕は、ダイッキライですね。 あの首相もそうだったのかなあ… 人の感情に鈍感で無神経なアンテナ錆まくりな人よりも 僕は、嫉妬深くても、繊細な人の方が、人間味を感じます。 結論は、人は他人を妬むことができる → 恥をかく → 向上心 → 競争、切磋琢磨 → 社会発展 です。 逆に 恥知らずや 鈍感人間は、けっきょく成長キャパ低いと思いますよ。 だってそうゆう人は、客観能力が低いから。カガミだって無関心でしょうね。

kanikko
質問者

お礼

なるほどなるほど、確かに繊細っていうのはあるかもしれませんね、 日本人全般として。 (気がつきすぎて)相手がおかしなことをしたわけではないのに、 『察する』ことに長けすぎているのかもしれませんね。 >「負けるもんか」という努力の原動力にもなる利点がある 確かに利点はあるのですが、どつぼにはまってしまうと 抜けられなくなる、という点がどうも…いけないですね。 ご回答ありがとうございました。

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