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日本本土上陸作戦

米軍作戦参謀としての貴兄にお尋ねします。 上陸地点とその理由を教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • buchi-dog
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回答No.2

史実ではポツダム宣言を受けて8月に日本が連合国にポツダム宣言受諾を返答して降伏したわけですが、沖縄戦が峠を越した6月頃の状況を元にします。 上陸地点としては、日本の心臓部である関東地方を直接突きます。 理由: (1) 沖縄から例えば鹿児島に上陸した場合、北進するにはいくつもの峠を超えないといけない。その度に山間の隘路を利用した日本軍の待ち伏せに遭い、いくら圧倒的な戦力の米軍といえども損害と作戦遅延は避けられない。 (2) そうしているうちに、北からソ連軍がやってきて、日本の美味しい部分を大部分持って行かれる恐れあり。九州上陸は迂遠過ぎる。 上陸作戦の前提として、上陸地点の制空権を完全に取ることが重要です。硫黄島は既に占領していますが、関東地方を常時制空するにはやや遠いので、第一段作戦として「東京湾に近く、かつ飛行場を造成可能」である伊豆大島か八丈島を攻略します。 いずれの島を攻略するにも、硫黄島に展開したP51を十分活用できますし、両島とも「要塞化」とは程遠い状態だったはずです。硫黄島より容易に攻略できるでしょう。 伊豆大島も八丈島も、地熱が激しく、真水が得られない硫黄島より遥かに「作戦拠点」に向く島です。硫黄島のP51と機動部隊の戦闘機で制空権・制海権を確保しながら、米軍仕様の大規模な飛行場を造成してP51を進出させます。これらの島に米軍飛行場があれば、上陸地点に限らずに関東全域を余裕を持って制空できる筈で、日本軍の部隊の移動を察知して阻止するのも容易です。 伊豆大島(八丈島)が攻略された時点で、日本は残存戦力の大部を関東に移動させようとするでしょうが、関東地方上空を朝から晩まで上記の島を基地とするP51や戦闘爆撃機(P47、F4U)が飛び回っている状態では、部隊の集中、陣地の構築すら困難でしょう。日本軍の戦力は急速に衰えていきます。 この状態で、伊豆大島(八丈島)に関東地方上陸のための物資を十分に集積し、大艦隊を動員して満を持して関東上陸作戦を行います。上陸地点はやはり九十九里浜あたりになるでしょうか?いかに早く首都である東京を攻略できるかが鍵になりますので、東京までの道に峠が少ないことが重要です。また、上陸地点の至近に飛行場を造成できることも重要です。 上記の作戦で、米軍の損害を最小限に留めて東京を占領し、日本を東西に分断することが可能になると考えます。そして、この作戦が終了した時点で、日本の残存戦力はほとんどゼロになっているでしょう。

neddoheny
質問者

お礼

作戦立案感謝します。 ソ連の進行を見据えますとやはりこれくらい大胆な作戦が必要かもしれませんね。そういえば、終戦直後?ソ連と日本国土の東西分断が検討されていたというのを聞いたこともあります。 さっそくマーシャル元帥に本作戦報告いたしたく・・。 回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3

上陸地点はNo1のご回答のとうりですが、理由は 1.広い平坦な地形と機甲部隊が上陸し易い所。 2.物資の揚陸、集積が容易な地点、近くに港湾施設がある事。 3.飛行場の存在ないし設置が出来る地形。 4.近くに占領後の進撃に好適な目標が存在する事。 5.日本軍の抵抗拠点が設置し難い地形である事。 これらの点から選択しました。 九州は幾つかこれらに合致しない点がありますが、計画では毒ガスで無力化して上陸する計画であり、航空基地が手にはいれば九州全土の占領は必要なしと考えたのです。 九十久里浜は首都に近く東京を制圧するには好適です。  但し占領後戦闘が継続する場合は航空攻撃に重点をおいて戦力の枯渇を待つしかありません。  機甲部隊の展開が困難な山地戦での被害を避けるためです。

neddoheny
質問者

お礼

なんと毒ガスの使用も検討されていたのですか・・。 九州全土の占領は必要なし・・納得ですねぇ、日本軍も山側に陣取って持久戦の可能性も考えられますし、確かに消耗戦は避けたいところですね。 回答ありがとうございました。

  • kantansi
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回答No.1

先ず米軍の日本本土上陸作戦(ダウンフォール作戦)は、南九州上陸作戦(オリンピック作戦)と関東平野侵攻作戦(コロネット作戦)の二つの作戦からなっていました。8月15日の日本の降伏がなければ11月1日に南九州上陸作戦が実施される予定でした。 南九州上陸作戦においては、大規模な軍隊の上陸のために平坦な海岸線が続く宮崎平野が主たる上陸地点とされていました。 そして志布志湾、薩摩半島の三方から総上陸して南九州を制圧し、そこに陸上基地を設定する作戦でした。 沖縄に続いて南九州に基地を設定し、そこからB29などを飛ばして日本本土を24時間制空権下に置き、 空襲・爆撃を自由に行えるようにするためです。 鉄道をずたずたにし、都市を燃え上がらせる。 さらに大陸との交通を遮断して、この島国を完全に封鎖する事を狙っていました。 こうして日本側の抗戦能力を著しく低下させたあと、最後の決定的な作戦として関東平野侵攻作戦を行うことになっていました。 翌46年3月、平坦な海岸線が続く房総半島の九十九里浜片貝海岸を中心に大軍を上陸させ、二週間後には相模湾からも別働隊が湘南海岸に上陸する予定でした。 二方から首都東京に進撃し、中枢部の死命を制する。作戦終了は 46年末の予定でした。

neddoheny
質問者

お礼

硫黄島、沖縄戦・・そして南九州上陸の予定だったのですか。 もしも作戦が遂行されていたら・・想像も想像もつきませんね。 作戦終了まで1年・・やはり慎重になりますよね。 回答ありがとうございました。

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