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みなさんは、いつ頃から自我を認識しましたか?

  • 質問No.3118878
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お礼率 13% (2/15)

文章が分かりづらいと思いますが、読んでいただけると幸いです。
僕は、24歳の男です。
ここ三年程前に、自我というものに目覚めた気がします。
その前までは、ずっと本能というか感覚の世界の中に生きていました。
その頃は、考えるということよりも、直感的で感覚の世界で生きていました。
例えば、悪いと思ったことをしたら、恐いとか、感覚の中にこうなるんじゃないかという論理があったような気がします。
だけど、いつも漫画を読んで不思議だったのは、主人公が自分の中で会話をしているということです。
それが、いつも不思議でならなかったんです。
自分の中で自分と話しているということが、僕には理解できなかった。
みなさんは、それはいつから出来るようになりましたか?

なぜ、そんなことを言うかといえば、三年前に彼女といるときに退行(赤ちゃん返り)のようなものが起きました。
その時に泣きながら「お母さん、行かないで~」とずっと叫んでいました。
家庭環境が、すごく複雑だった僕にとって、多分昔から孤独だったのだと思います。
子供の僕にとっては、訳が分からず、ただそれを自分ではないと思い込むことによって、
その辛い自分を守るために、自分ではない違う人間がやられていると思うようにしたのでしょう。
そういう所から自分が来ているのかなと思いました。

その退行が起きたときに、初めて自我というものに目覚めた気がしました。
自分ではない人間が、泣いている。
すごく冷めている自分がそこにいて、初めて「この子は過去の僕か?」という言語で自分で自分を客観的に捉えている僕がいました。
その時に、初めていつも漫画で見ている、主人公が自分の中で会話している感覚が理解できたような気がしました。

思えば、それまでの僕は自分の事、私というものを深く考えたことがありませんでした。
自分が何になりたいのか、何者であるか、どんな性格か。どうしたいのか。
今までは、すごく直感的に、感覚的に生きていました。
非常に流されやすく、そして人から自分がここにいるんだって事を多分わかってもらいたくて、
色んなことをしていましたが、全て人に対して、自分がここにいるんだという叫びそのものでした。
存在を認識してほしいという欲求です。

自我に少しづつ目覚めた僕は、今すごく人との差異を毎日感じています。
なんというか、置いていかれている感じです。
自我に目覚めている人にとって、多分昔から自分というものに対して考えてたからかもしれませんが、
意思や「こうしたい」と思うものがあって、また自分がどんな人間かというものも知っているような気がします。

でも僕はそれが今だもって分からないし、
また内在的な自分と、現実の僕が一体になってくれない、自分にいつも腹がたちます。

自分というものを認識したのは、いつ頃からでしょうか?
そして、何かを考えている時は、音声が聞こえるのですか?
それとも文字が見えるのですか?
僕は考えている時は、文字が見えます。
映画のように字幕で言葉が出てくるんです。

なぜそんなことをいうのかといえば、僕はよく考えている自分が消えてしまうからです。
本能の僕になっている時は、自分が何をしてるか全くわけのわからない状態になってしまうんです。
自分という認識を逃がしたくなくて、いつも考えている状態に置いていたくて、
そのヒントが欲しいんです。

回答 (全4件)

  • 回答No.4

ベストアンサー率 41% (110/268)

No.2です

>認識をして、頭の中に言葉がある状態で、苦しみや悲しみなど感じて
自分の中で消化をしていく事は僕にとっては全然嫌ではないんです。
それは、自分を認識するために必要なことだと思うからです。

だから、行き着く疑問は他の人たちは頭の中で言葉が音声として認識しているのか、
それともイメージなどで沸くのか、僕のように文字が見えるのかです。

ありますよ。
自分の場合は感情と言葉の再構築と紐付けでした。
今まで漠然と知っていた意味が自分にとって意味を持って感じられた時に、初めて言葉が感情や意味と結びついている、と感じたものですし、今でもたまに感じますよ。
そうすると、今までは活字のみの無味乾燥なイメージだった言葉が、自分にとって彩を持って感じられるようになりましたねえ。

そして、それがそのまま音楽や絵画などにも当てはまることに気がつきました。

たとえば抽象画の表現のように文字で表現できない感情等の表現方法もあります。

>それは、この客観性が在る時の僕を逃がしたくないからなんです。

それはわかりますね。
その客観性も今までのようにこうすべきだ、とかこうしなきゃいけないとかのいい子的な客観性ではなく、もう少し自分の根源から出てくるように感じるモノ、ですか?

hakoiri_quotaのように、もっともっと自分を認識したいと思っています。

自分は昔悩んで、心理学の本を読み漁ったことがあります。
そして心理学に自分の症状の救いを求めたこともあります。
しかし…、説明がつくと安心するかといったらそうではありませんでした。一時的にはほっとしてクリアになるのですが、徐々に心の隙間から染み出してくる感情に対しては無力だと感じました。
そのとき思ったのは、幾ら症状を説明できても確実に捉えたと思っても、流れる水のように一瞬だけです。
そして、自分が苦しんでいる事を他人事として説明されてしまうと、理解はできるけどなんとなく腑に落ちない感じがしました。

本当に自分の感情を余すところなく認識し味わえるのは自分だけでしたねぇ。

>鏡に映る自分がまるで他人のように思えていた頃から変わりましたか?

そうですね。
そう思っていた時期もありましたが、そういうときは無理にでも鏡の中の自分に笑いかけるようにしていました。
そして、そう思わなくなったのは素直に笑えるようになってからかも知れません。
笑いには不思議な力があって、気持ちよく笑うと全てを許せるんじゃないかな、と思えてしまいます。
そして、笑顔は伝播します。
小さな笑いでも続けていると大きな笑いや喜びを引っ張ってきます。
「笑う門には福来る」、といいますがそのとおりです。
鏡の中の自分の笑顔が素直に良い、と思えたらいいことありますよ。

>僕はまだ、この目の前にいる自分が他人のように感じます。
この目の前にいる自分と、内在する自分を一致させたいです。
それは、自分自身が繋がれば、僕はもう少しコントロール出来るようになると思うからです。

自分と向き合うのは長期戦なので疲れない程度にやってくださいね。
殆どの人が緩やかにやっていることなので。
自分はあるとき方向転換して遅れを取り戻そうとして躍起になっていた時は周囲を見る余裕がありませんでした。

いろいろ紆余曲折あると思います。手に入れたものが違ったということもあります。
自分に出会っても追ってもたまに見えなくなります。
自分は自分の中身と周りとの関係から作られる自分との折り合いのつけ方は、相棒のようなものだと思っております。

相棒が愛されればもう一方もうれしいですから。

上記の笑いセラピー(勝手につけました)、自分自身をつなげるには方法としてなかなか効果的ですよ。
シンプルですし。
自分を見つめたい時期には納得で着ないでしょうが、納得したらやってみてください。
補足コメント
tfwings0611

お礼率 13% (2/15)

hakoiri_quota様
ご回答ありがとうございます。

本当に僕にとって参考になります。
僕も同じように、言語として捉えるようになってからは、哲学や心理学などを読んでいきました。
その中で、同じように言葉には意味性を持ち、鮮やかなものとして捉えるようにも。
なんというか、言語として自分の中に入ってくるようになると、
ただ消化するだけではなく、自分の中で考えるということが出来るので、
初めのうちは、子供が思う。「なぜ空は青いのか」など、そういう所から出発していきました。
言語としても、かなりここ三年間で人の言葉ではない、自分の言葉が出てきているような気がします。

何かしなければ、誰にも見てもらえないという、ある意味で強迫観念が強かったんだなと、
自分を理解することも出来るようになりました。
そして、他者を気にしすぎていた僕は、ようやく自分は一体何がしたいのか、僕はどんな性格なんだろうということに
凄く知りたい欲求を抱えています。

普通の人から見たら、僕は普通に生活を送っていますし、
また、他の人よりも出来るとも思われています。
それは、僕がただ単に感覚の世界にいた時に、
人の目を気にして生きてきたので、
Imiteation(模倣)が上手かったにすぎません。
人の真似だけは、上手かったので。
ですが、そこには本来の僕がいないように思えてなりませんでした。
なぜなら、そこにはいつも言語ではなかったですが、本来との自分との差異があったからです。
その差異が多分、本当の内在的な僕なんだと思います。

内在的な僕は完璧な人間ではありませんが、
少なくとも、自分が決めたことには凄く忠実ですし、
また、この本来の僕は本能レベルを超えて、行動できる自分なんです。
人はこれを見ると多分、逃げだす口実と捉える方もいらっしゃると思いますが、
僕の中では、そういうものではないと思っています。

鏡に向かって、自分に語りかけている時の自分は、少しですが繋がっています。
また、仰る通り笑顔を作ることもやっていきたいです。

今は目覚めてよかったと思う僕と、目覚めなかった方がよかったと思う僕。
両極端にいます。
それは、時々またあの頃、無の状態に戻ってしまうんじゃないかという恐さです。
今、本当にコイツと繋がっていたいんです。
辛くてもいいから、自分が確認できていれば、僕は他には何もいりません。
笑いセラピーやってみますね^^
本当にありがとうございます。
投稿日時:2007/06/27 18:33
  • 回答No.3
文章を読んで真っ先に頭に浮かんだのは解離性同一性障害という文字です。
いわゆる多重人格で、幼児期に何らかの虐待を受けた人に多く発症すると言われています。
質問者様の場合、複雑な家庭事情ということですから、虐待という直接的な体への傷害はなかったものの、心がその状況に耐えきれず、別の人格を産むには至らないまでも、つらさから自己を守るために無意識に自我を封印していたのかも知れない、と思いました。
解離性同一性障害の場合、完全なる別の人格を産みだしてしまい、その人格が表れている時の記憶はないという症状が普通のようです。
しかし、質問者様の場合、退行現象が起きた時も記憶をなくすというような事もなく、むしろそれを冷静に見ている自分に気づかれた、という事ですから、これは傷つき病んでいた心が回復に向かったと考えてもよいのではないでしょうか?
私は専門家ではないので確証のある事は言えませんが、解離性同一性障害の一歩手前の状態であったところから脱出したという事なのかも知れません。

日常生活に不自由のない状況なら精神科などを受診する必要まではないと思いますが、もしそのようなカウンセリングを受けられる所があり、受けたいと思うなら一度行ってみるのもいいかも知れないと思いました。
通常の人間は成長過程、主に思春期にいわゆる自我の目覚めを徐々に認識するものであって、あるきっかけで突然気づくというような事は起こりません。
そして考え事をしている時に音声や文字を認識する事も通常はない事です。
分裂しかかった人格がその直前でくい止められ、統合されようとしている段階なのかも知れません。
ストレスの大きい状況ではあると思いますので、一度何とか専門家の意見を聞く機会を作ってみてはいかがでしょうか。
よりよい解決の方法、統合の方法があるかも知れません。
補足コメント
tfwings0611

お礼率 13% (2/15)

ご解答ありがとうございます。

ご指摘の通り、僕の経てきた家庭環境があまりにも酷似しているので、
この病気に近いものがあるのかもしれません。
僕の家庭環境は少し複雑で、六歳まで母親の実家に預けれていました。
幼い時に、多分寂しかったのか、時々逢いに来る母は非常に優しく、一緒に住みたくて、
小学生の上がる直前に東京に来たと思います。
実家と母親は、相当トラブルがありまして、子供のうちから、
実家の方からは、母親の悪口、母親の方からは、実家の悪口をいわれていました。
預けれらている僕にとっては、どれをとっていいか分かりませんでした。

母親と暮らすようになってからは、母は水商売をしていたので、
帰ってくると酔っ払って殴られたり、虐待をされていました。
ご飯を作ってもらった記憶もあまりなく、小学生のうちからお金を渡され
一人で食べに行っていました。
ただ、銀座で働いていた母にとって、プライドだけは人一倍高く、
英才教育を施したかったためか、習い事をいくつもされました。
僕にとって欲しかったのは、無常の愛情であり、お金や贅沢ではありませんでした。
そして学校の友達と全く話も合わず、自分に誰か見て欲しいと嘘ばかりつく子供でしたので、
イジメられて、不登校になり学校にも行かなくなりました。
母親はその後、ノイローゼになり、重度のうつ病になり、小学校六年の時から一人暮らしが始まりました。
それから、現在にいたるまで母は入退院を繰り返しています。
お金は母親の恋人から、送金が毎月ありましたので、生活が出来ていました。

大変でしたが、その頃はようやく母の呪縛から解け、友人を作るのも覚えていったような気がします。
それからの僕は、かなり激変し、自分を認識することは出来ませんでしたが、
認識して欲しいという欲求が強かったので、かなり行動的に生きてきました。

ただ、やはりその退行をきっかけにして、僕は僕をようやく認識できたと思ったときに、
自己認識が今まで全くできていなかったんだなということに気がつきました。

ご指摘の解離性同一性障害は、僕も少し思ったことがあります。
自己防衛本能として、その痛みは自分ではないと思い込むことによって、
幼少期の逃れなれない自分を守る為だったのではないかと。

現在、自分がここにいると認識するようになってからは、
この自分を逃したくないと思っています。
繋がっている時は、自分を無意識レベルにならず、
コントロールできるからです。
本当仰るとおり、多重人格ではないですが、僕は自分を統合したいと思っています。
その専門家というのは、どういうことでしょうか?
精神科ということでしょうか?
投稿日時:2007/06/27 06:56
  • 回答No.2

ベストアンサー率 41% (110/268)

30代男です。

自分も昔19歳~22歳の頃、質問者さんのような状況になったことがあります。

19歳の頃、ある人と話すことによって、塞がっていた感情が流れ出し自分の今までの人生がリセットされたかのような感覚になりました。
それは子供の頃から、自分を覚めた目で見ていた自分と対決することでした。

そこから22歳頃まで、突然流れ出した自分の時間が0歳からやり直しているようでした。
けれど今までの人生のやり直しではなく、自分の気持ちに素直なやり直しでした。

始めは周囲の同世代若しくは年下の人と自分の中身の年齢のギャップに悩みました。
そして感情の流れ行く先を自分でコントロールできないまま生活をしていたため、たまに暴走するかと思いました。

そのため、心療内科に通いそこで意味が無くとも自由に話をすることで自分の中の気持ち(人に迷惑を掛けたくない、という気持ちから話せない、自分の事を話したい気持ち)に折り合いをつけたような気がします。

そして、そのうちに日々の生活に慣れていきました。あるとき自分の実年齢に精神年齢が追いつき、そして今度は精神年齢が若くなっていきました。

それは自分自身を感じるようになったからです。

それは今から思うと、自分が握りしめようとしている何か(それは自分の周囲で流れていってしまうもの)を必死でとどめようとすることから開放されたときに感じました。

今忘れてしまうものは忘れる、自分に無いものは無い、と思うことで別の形で得るものは多かったと思います。

両手でしっかり握り締めたものは両手の大きさ分しかえられないけど、両手を自由にするともっと大きなものが手に入るかもしれません。
補足コメント
tfwings0611

お礼率 13% (2/15)

いつも不安なのは、それが他の人たちは皆10代の頃に、感じたことや、考えたことを
今のこの歳でしていることです。
また、しばらく自分を認識しないでいると、また無意識の状態に陥り、
何をしているか分からない状態に陥ることです。

まだ逃げ出すことを認識しながら、やらないのは僕にとってはそこに感情や言葉があるからいいのですが、
無の状態に陥ってると、本当に訳の分からないことになっている。
そんな自分が嫌でたまらない。

認識をして、頭の中に言葉がある状態で、苦しみや悲しみなど感じて
自分の中で消化をしていく事は僕にとっては全然嫌ではないんです。
それは、自分を認識するために必要なことだと思うからです。

だから、行き着く疑問は他の人たちは頭の中で言葉が音声として認識しているのか、
それともイメージなどで沸くのか、僕のように文字が見えるのかです。

それは、この客観性が在る時の僕を逃がしたくないからなんです。

hakoiri_quotaのように、もっともっと自分を認識したいと思っています。

鏡に映る自分がまるで他人のように思えていた頃から変わりましたか?
僕はまだ、この目の前にいる自分が他人のように感じます。
この目の前にいる自分と、内在する自分を一致させたいです。
それは、自分自身が繋がれば、僕はもう少しコントロール出来るようになると思うからです。
長くなってすみません。
投稿日時:2007/06/27 04:37
お礼コメント
tfwings0611

お礼率 13% (2/15)

御意見ありがとうございます。
同じような体験ということで、参考になりました。

>>
そこから22歳頃まで、突然流れ出した自分の時間が0歳からやり直しているようでした。
けれど今までの人生のやり直しではなく、自分の気持ちに素直なやり直しでした。

始めは周囲の同世代若しくは年下の人と自分の中身の年齢のギャップに悩みました。
そして感情の流れ行く先を自分でコントロールできないまま生活をしていたため、たまに暴走するかと思いました。
>>
本当に僕もこんな形で、この三年間経てきました。

自我に目覚めてからは、少しずつ精神的に成長してきた気がします。
他人というものは意識されながらも、周囲やまた影響される人からただ影響されるだけではなく、
主観から自分がそれを、どう反応するのかということを感じ考えて行動しているので、
昔程、影響されにくくなりました。

自我ない本能の状態にいた時は、ただ影響され、黒なら黒に染まる。
そんな状態でしたから、今は自分の色がまだ認識できずにいますが、ただ染まりきるということはありません。

今は、外にボールを投げている状態です。
僕は本当に自分を客観的に捉えることがなかったので、まずは客観的に捉えるためにも
ボールを投げてみて、返ってくる自分の反応を見て、「あぁ俺はこんな人間なんだな」と認識をするようになっています。
投稿日時:2007/06/27 04:36
  • 回答No.1

ベストアンサー率 19% (514/2703)

30代後半女性です。
自我というものを意識したことは一度もありません。
そもそも自我とは何ぞや??

あなたの状態を誰かに説明しようとしたら、もしかすると『一度病院に行ってみたら??』というアドバイスを受けるかもしれませんね。
お礼コメント
tfwings0611

お礼率 13% (2/15)

御意見ありがとうございます。
本当にそうですね。
確かに僕の状態を人に話したら、「病院に行ってみたら」といわれるかもしれません。
また、そう言われるだろうと思って、普段は人に話していません。
自我というものってのが、僕にとってもよくわかりませんが、
自分を客観的に捉えるということなんだと思います。
幼少期から、周囲の環境によって人間は他者を鏡にして自分を確認し、
またその成長段階から、自分の自己というものを認識するんではないかと。
つまりは、「あ~俺ってこんなこと思ってんだぁ~、実はこんな人間なんだな~」
と認識していくということなんだと思います。
上手くいえませんが、僕には自分の中に言葉が聞こえてきたりすることが今までなかったので、目覚めたときに初めて、自分の中に言語として
自分を認識することができたんだと思います。
投稿日時:2007/06/27 04:16
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