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カントの翻訳について
カントの翻訳で悩んでいます。 純粋理性批判とプロレゴメナですが、 岩波文庫のを読んでいるのですが、誤訳が多いということを聞きました。 オススメの翻訳はありますか? あと、和訳よりも、英訳の方が分かりやすいと言うことも聞きましたが、オススメの翻訳があれば、教えてください。
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- ghostbuster
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> カントの翻訳で悩んでいます。 とのことですが、質問者さんがどういった方なのかによると思います。 この春あたりに大学に入学された、あるいは専門の方に進学された学生の方で、今後カント、というか近代認識論あたりを専門に勉強していらっしゃるおつもりでしたら、それは指導教官と相談してみてください。 そうではなくて、一般の方で、哲学に興味がおありで、これからカントを読もうとお考えでしたら、あまりそういうことは気になさらなくてよいのではないかと思います。 一度通読してみてそれでおしまい、という本ではありません。 さまざまな概説書や参考書、あわせてほかの哲学者・思想家の本も、それこそ山のように読みながら、そのたびに何度も立ち返って、少しずつ理解を深めていく、という類の本だと思います。そういう意味で、ある箇所の誤訳が誤読に通じる、ひいてはカントの認識論そのものを理解し損ねる、というものではないように思います。 わたしはたまたま河出書房新社からでている高峯一愚訳を持っているのですが、これも単に古本屋で見つけたからにすぎません(笑)。 分冊されていないから使いやすいと思っただけの話です。 たしかに訳者によって解釈の差、含めてあるのでしょうが、メチエの『純粋理性批判入門』(黒崎政男)では、岩波文庫から引用してありますし、岩波のはダメだ、ということにはならないんじゃないでしょうか。 わたしは哲学は専門でもなんでもないので、ここで回答をする以前には翻訳されたものしか読んでいませんでした。たまたま英文でのご質問があったとき、英訳を見てみました。わたしの場合、こうした思想を英語でそのまま考えて理解することはできないので、どうしても日本語に移し替えて理解することになります。そのとき、この翻訳作業というのは、けっこう勉強になるなあ、と思いました。 ただ、よく日本ではカントは翻訳が悪いからわからないのだ、として、よくやり玉にあがるのが「悟性」なんていう「特殊用語」です。 ところがこれはこれで便利なもので、「悟性」という馴染みのない言葉であれば、いったん理解してしまうと、一種の記号のようにカントの特別な意味が浮かんでくる。もう、蛍光マーカーでマーキングされてるみたいなもんです。ああ、ここはああいうことをいっているんだ、みたいにわかる。 それが understanding みたいにあたりまえの言葉になっていると、埋もれてしまう。当然、この understanding も特別な定義付けがなされているのですが、「日本語で『悟性』なんていうからわかりにくくなるんで、understanding といえばいい」なんていう人は、もう全然わかってないな、と思います。 あるいは representation は「表象」と訳されますが、この概念はギリシャ時代にルーツを持つ、一筋縄ではいかない概念です。だから、かえって「表象」みたいにわけのわからない訳語が当ててあるほうがいいかな、と思います。represent という日常語に引きずられる方が厄介じゃないでしょうか。あくまでもこれは個人的な意見なんですが。 別に訳が悪いからわからないわけじゃない。それでも哲学史の知識がひととおり身について、この本がどんな脈絡で位置づけられているかがわかったあたりから、たぶんそれほど苦にせず読めるようになるはずです。 たとえばデリダとか、あるいはレヴィナスなんかにくらべると、はるかに「何を言っているか」はわかってきます。それでも純粋統覚のあたりはやっぱりむずかしいんだけどね。 たぶん高峯さんの本はいまは手に入りにくいんじゃないでしょうか。 だから、岩波文庫で大丈夫だと思いますよ。 それ以上を、と考えられるのでしたら、やはり原典を読むしかないのではないかと思います。 わたしが英文のテキストで参考にしたのは Norman Kemp Smith の英訳なんですが http://www.hkbu.edu.hk/~ppp/cpr/toc.html 質問者さんがこうした類の理解をしていくときに日本語で考える必要がないほどの語学力をお持ちでしたら、このまま読むのもいいのかもしれません。ただその際は、哲学的な概念に由来する単語を日常語のなかから選り分ける嗅覚みたいなものが必要かとは思います。 長くなりました。 以上ご参考まで。
- catmeow
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私は過去に英訳と和訳の両方を読んだ事がありますが、両方を比較すると 意味の通じない、誤訳がかなりあった事を憶えています。 翻訳をやった事のある人なら分ってもらえると思いますが、そもそも 言語を翻訳すると言う事には限界があると思います。 翻訳の作業とは、ある英単語や文章に対して、前後関係などから判断して 最も近いと考えられる日本語の訳を当てはめると言う物ですが、当然の事 ながら、違う言語において、全く同じ意味の単語や言葉と言うのは、 ほとんどありませんし、文章の作りも文法も考え方も全く違います。 シチュエーションによっては、同じ単語でも違って訳されます。 また、日本語とヨーロッパ言語の性質の違いも関係しているように思い ます。個人的には、英語は論理的にクリアーな言語だと思いますが、 日本語はそうではなく、曖昧な表現の多い言語だと思います。非常に 遠い言語である日本語に訳すには、どうしても無理が生じます。 英語では、翻訳や通訳の事をinterpretationとかtranslationと言い ますが、この2つの英単語は『解釈』とも訳す事が出来ます。個人的に は、翻訳とはまさに『解釈』の事だと思います。何故なら、翻訳は個人 の見解や解釈無しには成り立たないからです。 もちろん、単純な翻訳のミスと言う場合もあるでしょうが、完全な 日本語訳を作るのは、現実的にはかなり難しいように思います。 翻訳作業には、その場、その場の前後関係から最も意味が通じ易い日本語 の単語を当てはめたり、新しい単語を作ったりしながら進めていくしか ありませんが、当てはめた単語の意味の範囲は原語と全く同じでは ないからです。 従って、ある場面においては意味が通じても、違った場面では全く通じな かったりします。要するに、意味が微妙に違うのですが、この微妙な意味 の違いが、複雑な論理を説明する上では、命取りになりかねません。 複雑な論理を説明しようとすればするほど言葉の定義をしっかりしなけ れば、論理を正確に把握する事は難しくなると思います。 例えば、Practicalと言う英単語を日本語に訳する時は、どう訳するのが 適切でしょうか?現実的でしょうか?実用的でしょうか?Universalの場 合はどうでしょうか?普遍的でしょうか?万能でしょうか?本当の所は、 どれも正確には単語の意味を表していないと思います。その場、その場で 最も意味の近い単語を選んでいるだけではないかと思います。 また、日本訳の場合は『普遍的』だとか言う無理のある翻訳が言葉の 意味の範囲を曖昧にして、余計に複雑化し、読む人の理解を妨げている ようにも思えます。 言葉と言うのは、その国の人特有の考え方を反映しているように思います。 少なくとも、ドイツの哲学は、ドイツ語の論理に則って考えられたり、 説明されたりしているので、それを全く違う文化や考え方の日本語で説明 すると言うのはプロの翻訳家でも難しいのが現実ではないかと思います。 本当はドイツ語で読んで理解するのが良いと思いますが、ドイツ語 と言うのは、日本に居て簡単にマスター出来る言語では無いと思います。 ただ、英語に関しては、今や世界の共通語として使われる事が多い為、 多くの人の手によって検証されて、かなり正確な翻訳になっていると 思います。 また、同じヨーロッパ言語である事からも、翻訳を容易にしているよう に思います。英語で読むのは難しいと言う潜入感もありますが、少なく とも西洋哲学の場合に関しては、日本語で読むより、よほどシンプルで 分りやすいように思います。。
お礼
ありがとうございます。 一度、リンクの英訳を読んでみます。