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日本文学の虚構性
古典物語や小説の虚構性の問題点についてお尋ねします。 虚構性があるのは当然だと考えていましたが、それに問題点あるのでしょうか。あるとしたら、どんな点がありますか。
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- never-ness
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>虚構性…に問題点あるのでしょうか。 後出し「じゃんけん」のように、「実はこういうことが聞きたかった」とならないことをお願いします。 まず、「虚構性に問題がある」とすれば、その虚構性が文学として「結晶」しない場合でしょう。でも、それは作者の技巧の巧拙こそが問題にされるべきであって、「虚構性」自体の問題ではないと思います。 で、「あるとしたら」ですから、仮に「ある」として考察してみます。この場合、その「虚構性」をある読者が「本当にあったこと」「事実として」受け取り、そのことで深刻な影響を受け、日常生活に多大な支障をきたす、という浅薄なレベルの「問題点」は当然のことながらオミットします。もし、質問者さんの「問い」がそのレベルに収斂するのなら、取材しないで書く週刊誌の記事を熟読されるようお勧めします。そういった記事こそ質問者さんに相応しいものでしょう。 多分、「問題点」は、虚構性が「神の啓示」のように、それを読んだ読者の奥底に深く突き刺さり、生き方をも変えてしまう衝迫性を実現したときのこそ「ある」のだと愚考します。影響は「よいもの」だけであはなく「悪影響」もあるでしょう。 人生観が変わる。この世に確かなことがなにもない、と思い込む。もしくは、ファナティックな情熱に突き動かされて「革命」を目指すなど。そういった「影響力」は、実際に出会うことの数少ない「事実」や「実体験」よりも、「虚構」により得られることが「出会う機会が多い」と思われます。判断力の未熟な「魂」がより大きな影響を受けるようです。 そういった意味で、「優れた」虚構性(=意図された嘘)がその意匠を巧妙に秘匿された場合、それに触れた純粋な(その意味で未熟な)魂が「不必要な影響」を受けることこそ、問題点なのではないでしょうか。 で、質問者さんはこういったことをお聞きになりたかったのでしょうか。控えめの申しても「いい質問のやりかた」ではないような気がします。どちらかといえば、ご自分の質問内容をさらに敷衍していただけませんか。
お礼
ご指摘通り質問内容が説明足らずだったようです。 ありがとうございました。