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ヒトの脳のスペック

ヒトの脳の処理能力は、パソコンのCPUのように「MHz」や「GHz」で表したらどんなもんなんでしょうか。 また、近年研究が進められているヒトと機械の融合(サイボーグ化)により、パソコンのCPUやメモリーがヒトの脳の処理を助けられるようになった場合、どんなことが起こりえるんでしょう。 数学のテストではみんな満点でしょうか? 英語の和訳もみんな完璧でしょうか。 お願いします。

みんなの回答

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.3

こんにちは。 あまり正確ではありませんが、 発信数:500Hz 送信速度:100m/sec 記憶容量:140テラ・バイト 並列演算:無限大 といった感じではないでしょうか。 伝達速度は抹消神経系では色々と調べられていますが、中枢系でははっきりとしたものが見当たりません。神経系全体では1m~150m/secといったバラつきがあります。記憶容量140テラは大脳皮質のみの飽くまで計算値です。また、記憶方法が違いますので、コンピュータと直接比べるのは難しいです。「無限大」というのは言葉表現の問題で、途轍もない並列演算であることは間違いないと思います。 >パソコンのCPUやメモリーがヒトの脳の処理を助けられるようになった場合、どんなことが起こりえるんでしょう。 脳とコンピュータにはそれぞれ得意・不得意があります。ですから、もしそのようなことが可能であるとするならば、取りも直さず脳の不得意をコンピュータの得意分野で補ってやることができるということですね。コンピュータの欠点までわざわざ脳に移植する必要はありません。 コンピュータの特徴とは「速い・正確」ということです。これに対しまして、我々の脳は「間違える・忘れる」といった欠点があります。上記の通り、記憶容量でありますならば現在のコンピュータでは脳に及びも付かないと思います。ですが、世界中のコンピュータと接続できるならば、その知識は無限大ということになりますよね。しかも、間違えたり忘れたりという心配がありません。夢のような話です。 ですが、この無限大の知識の中から必要なものを見付け出すには、いったいどのくらの時間が掛かるでしょうか。 星野力著「ロボットつけるクスリ」という本にこんな例えが書いてありました。 デパートのおもちゃ売り場で、お父さんが「太郎は何?」と尋ねます。すると太郎君は「ボク、飛行機!」と答えます。さて、コンピュータはこの会話を「太郎は飛行機である」と認識します。いくら何でも非常識ですよね。 そこはデパートのおもちゃ売り場なんです。そして、男の子というのはそういうおもちゃが大好きなんです。こんな程度の「常識」でもコンピュータに判断させようとするならば、最低でも1MBは必要になるのだそうです。そして、花子ちゃんがお人形ということになりますと、更に1MBが加算されます。これは、コンピュータというのは応用が利かないからですね。では、コンピュータが我々成人と同程度のまともな社会生活を送るためには、いったいどのくらいの「常識」が必要になるでしょうか。これを「フレーム問題」といい、コンピュータに人間と同じ能力を持たせようとするならば未解決問題ということになるのだそうです。 コンピュータが速いのは「発信数と送信速度」です。脳の500Hz:100m/secでは、まるでカメとジェット機ですよね。ですが、速度が速いのと仕事が早いのでは、また話が違います。 IBMのスパコン「ディープ・ブルー」がチェスの世界チャンピョン・ゲイリ・カスパロフに勝利したのは1997年のことでした。その後どうなったのかちょっと知りませんが、コンピュータの発達には常に目覚しいものがあります。ですが、必ずしもこの1997年が「コンピュータが人間に勝った年」ということにはならないようです。どうしてでしょうか。 チェスというのは一局でだいたい40局面くらいになるのだそうです。全部で何手になるかは忘れましたが、一手を約1/1000秒で最終局面まで一気に読み切ろうとするならば、当時のスパコンで千年以上の時間が掛かる計算になるということだそうです。結果が出るまでに千年ですよ。つまり、コンピュータがチェスの全局面を読み切って人間に完勝するというのは原理的には可能なのですが、物理的には不可能だということですね。 これは、コンピュータというのは「全検索」を行うからです。これに対しまして、世界チャンピョンともなれば二十手、三十手先ならば「直感」で読み切ってしまいます。果たして、どちらが優秀なんでしょうか。「直感の定義」に就いては論議を省きますが、コンピュータの「全検索」に対し、この先これを、仮に脳の「直感検索」という言葉で使わせて頂きます。 では、話は戻りますが、コンピュータのメモリーがどんどん拡大し、人間に必要な「常識」というものを全て持てるようにしたとしましても、それをどのくらいの速さで検索できるかというのが重大な問題になってきます。世界中のコンピュータと接続し、無限大の知識を獲得しても、全検索を行っているのでは、とても生きているうちに結論を出すことはできませんよね。 ならば、このようなコンピュータの欠点をカバーするためには、全てをいっぺんに使うのではなく、目的に応じてそれを使い分ければ良いわけです。メモリーやプログラムを簡単に入れ替えられるというのはコンピュータの最大の利点ですよね。ですから、数学の試験に臨むのであるならば数学のメモリー、英語の試験でしたら英語のメモリーを取り替えて使うんですね。ですが、ひとつ注意しなければならないのは、このようなものは通常、不正行為、即ちカンニングと見なされます。 では、どうしてそれはカンニングになるのでしょうか。それは、これが脳内の知識ではなく、飽くまで外部メモリーであるからです。ですから、それが外部メモリーである限り、試験中に教科書や百科事典を調べているのと全く同じことなんですね。 我々人間は「言語」というものを獲得することによって「脳の外に記憶を持つ」ということが可能になりました。そして、それは会話や文字によって伝達・保存ができます。もちろん、文字だけではなく、絵画なんてのも外部メモリーになりますよね。やがて、それは印刷活字となり「人類共通の記憶」として用いられるようになりました。そして現在でも、百科事典、図書館、コンピュータ、インター・ネットと格段に便利になってゆきます。 ですが、幾ら便利で速くなったとしましても、それが我々の脳にとっては飽くまで「外部メモリー」であることに一切の違いはありません。つまり、辞書をひくこととコンピュータで調べることは全く同じ性質の作業なんです。従いまして、この先技術が発達し、脳とコンピュータの直接的なインター・フェイスが開発されたり、仮に記憶装置の「生体インプラント」なんてものが可能になったとしましても、それが外部メモリーであり、情報伝達そのものが脳の「記憶や思考と融合」しない限り、「全検索」というコンピュータの欠点は付き纏うわけですし、それは今までのように、我々が百貨辞典を調べるのと全く変わりはないということになります。百貨辞典を知識として使うためには、我々はどうしてもページをめくり、それを見つけ出さなければなりません。電子化されたとしましても、それがただ速くて便利になるというだけの話ですね。 では、「外部情報が脳内の思考や記憶と融合する」というのはいったいどういうことでなんでしょうか。それ以外では今までと同じなのですから、少なくとも、これを以って初めて革新的な未来進化と言わなければなりませんよね。 「思考」といいますのは、大脳皮質「連合野」での認知作業によって行われます。この連合野の機能を「ワーキング・メモリー(作業記憶)」といい、ここに「知覚入力」や「記憶想起」といった複数の情報が「短期保持」されることによって、それぞれに対する比較・分類といった認知作業が可能になります。では、それを脳内の思考や記憶と融合させるためには、このワーキング・メモリーである連合野に外部情報を直接送り込んでやれば良いわけです。 最も単純な方法としましては、知覚神経系を通して情報を入力するというのが考えられます。実際に、電気信号を神経信号に変換し、視覚神経を通して視覚野に信号を送るという実験は既に成功しています。ですが、これではコンピュータのテキスト・データを脳に送り込んで、それを頭からいちいち読むのと全く同じことです。必要なのは、見る・聞くといった知覚情報の一回限りの入力ではありません。それは、反復して使用できる記憶情報の再生入力であります。つまり、連合野に知覚入力がありましたら、それを基に膨大なハード・ディスクから正確な情報が瞬時に想起されるという機構でなければならないわけです。これができるならば、この世に見たことのないもの、知らないものは存在しないということになります。正に天才ですよね。 ですが、これまでご説明致しました通り、どうやって瞬時にそれを検索するのでしょうか。コンピュータでは全検索しかできないんですよね。ところが、我々の脳はそれを、つまり「直感検索」という離れ業を実際にやっているわけです。このメカニズムが科学的に解明されるならば、ともすればコンピュータにも同じことをさせることができるわけですが、現時点では無理ですね。 脳にどうしてそんなことができるのはまだ全く分かっていません。ですが、ただひとつ言えることは、脳が記憶情報を想起させることができるのは、それは自分自身が獲得し、自分自身が記録した情報であるからです。 「記憶の想起」とは「入力の再現」であります。従いまして、過去に入力というプロセスがなければそれを再現することはどうやってもできないわけです。基より入力がなければ記憶そのものが作られることはないわけですが、つまり、脳は自分で覚えたことでなければ思い出すことはできないということです。ならば、生体インター・フェイスや生体インプラントが可能になったとしましても、「過去の入力」というプロセスがない限り、脳はハード・メモリーに予め記録された情報に対して「直感検索」を掛けることはできません。結局、全検索して調べるということになり、それは単に脳に埋め込まれた百貨辞典でしかないということになります。 では、脳は自分で覚えたことならば瞬時に検索できるということでありますならば、ここはひとつ発想を変えて、使用するハード・メモリーをROMではなくRAMにしておいたらどうでしょうか。執り合えずメモリーは白紙ですから、使おうとするならば色々と書き込まなければなりません。ですから、どうしても勉強はしなければ頭は良くなりません。ですが、このような使い方であるならば、自分で覚えたことですから直感検索ができるわけですし、何よりも、それは機械なのですから、一度覚えたことは絶対に忘れないというメリットがあります。そしてこの場合、試験ではその学生がどのくらい勉強をしたのかが評価されるわけですから、カンニングということにはならないと思います。 さて、これまでコンピュータの「正確なメモリー機能」を脳の補助に使用することを検証しました。では、コンピュータのもうひとつの機能である「厳格なプログラム」というのを使うためにはどのような方法があるでしょうか。 脳の情報処理といいますのはコンピュータと全く同じで、「入力―中枢処理―結果出力」というプロセスで行われています。そして、我々高等動物の脳内にはその中枢系統が全部で三系統、並列にあります。ですから、ここにもう一系統、人工バイパスを設けてやれば、プログラムの生体移植が可能になると思います。 「入力―生命中枢―本能行動」 「入力―大脳辺縁系―情動反応」 「入力―大脳皮質―認知・思考」 これが我々の脳の「三位一体構造」ですが、 ここに更に、 「入力―CPU―思考補助」 という人工バイパスを設けます。そして、このプログラムは入れ替えが可能です。 ここまで来ますと荒唐無稽ということになってしまいますが、事の序に脳のプログラムを入れ替えたらどうなるでしょうかという冗談で話を終わりにします。 脳のプログラムを入れ替えますと、人格が変わります。ですから、このような技術が可能になりますならば「人格整形」といったことができるようになるのではないかと思います。但しこの場合、それは「整形治療」ではなく、「理容整形」ということになりますので、保険は一切利かないと思います。

  • SaySei
  • ベストアンサー率32% (528/1642)
回答No.2

私も一概に周波数では測れないと思います。 単純に計算能力だけみると、一昔前のPCにすら人間だと敵わない人がほとんどだと思います。それに応じたプログラムさえあれば、すぐに出ますし。 ただ、実際、「最強」といわれる碁や将棋、チェスといったゲームのコンピュータ対戦で勝つ人もいるわけですね。コンピュータが過去から「これが最良」とシュミレートして一手を打っても、それを上回る一手を打つことができる。それが人間なのです。 >ヒトと機械の融合(サイボーグ化)により、パソコンのCPUやメモリーがヒトの脳の処理を助けられるようになった場合、どんなことが起こりえるんでしょう。 現時点では、実質、不可能でしょう。脳でやりとりされている情報を正確に解釈し、CPUやメモリが使える状態に変換しなくてはなりませんし、情報を一旦そこに集約しなくてはなりません。かえって無駄が出て、人間の能力が落ちますよ。少なくとも、メモリは使えなくても、人間の脳には使っていない場所が沢山ありますし…。むしろ、必要なのはHDDの方でしょうね。情報処理領域ではなく、記憶領域。もちろん、消したいものは消せるという条件で。 >数学のテストではみんな満点でしょうか? これはありえますね。コンピュータがミスしようがない。問題はその演算を組み立てる側の問題ですね。複雑になったとき、使いこなせるかどうかだけです。文章題などはきちんと解釈できないと無理なので、満点は無理かもしれませんが。 >英語の和訳もみんな完璧でしょうか。 これは、No。 Web上には機械翻訳というものもありますが、訳はめちゃくちゃになります。やはり、日本語の素養と英文構造の理解、英単語の語彙力といったものをしっかりと身につけていく必要があります。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.1

一概に周波数で括れないと思います。 なぜなら計算方法ひとつを取ってもヒトとパソコンでは違いますからね。簡単な計算や概算という点ではヒトのほうが優れているように思えます。反面、複雑さを増せばパソコンの方が優位でしょうね。 パソコン自体が過去を振り返ることなどないでしょうが、思い出の映像や音楽を即座に頭だしするのであればヒトのほうが優れているでしょうし、感情を付加する事もできます。忠実な再現となればパソコンで例えばmp3やmpgなどでしょう。 ヒトとパソコンを融合する場合も、どの程度融合するかが問題ですよね。ソフトや記憶装置を脳に依存してしまえば、CPUがいかに速くても、脳を経由する段階でスピードダウンを余儀なくされるのではないのでしょうか。 知らないこと(ソフトがインストールされていない)もできません。例えば小1で微積など。小1でHDDに微積がインストールされていればできるかもしれませんがね。 HDDが脳なら忘却が起こりえます。 英単語を忘れたら和訳はできません。 特に数学の証明問題にも支障が起こるでしょうね。(パソコンはつまるところ総当りの計算しかできない。総当りは証明にならない。) 満点は無理ですね。

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