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「数学が好き」という人は、どうして好きなのですか
masato0703の回答
- masato0703
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こんにちは 数学好きもレベルがあります。 レベル High 未だ解決されていない数学問題の証明に挑戦して楽しい人 ↓ 研究者、学者レベル 既に証明された定理などを自分なりにアレンジして問題を 解決して楽しい人 ↓ 大学院レベル 既に証明された定理などを自分なりに理解できて嬉しい人 ↓ 高校、学部レベル 既に答えがわかっている問題で、解決までの過程を楽しむ人 ↓ 中学高校レベル Low 答えが解っていて、問題が解けてすっきりした感じが好きな人 中学高校レベル 決してレベルがLowだから頭が悪いという意味ではありません。 人それぞれの各段階で、数学を楽しんでるのです。 スポーツも初心者からプロ級まであるように数学も 楽しむ範囲とレベルがあります。 決してかっこいいとかは無いです。 >よく、「数学の問題は、論理的に考えれば必ず解けるから好きだ。」とか、 これは間違いです、解けない問題は山のようにあります。 数学者が日夜寝食惜しんで解決に取り組んでします。 >「定理が証明できると、美しさに感動する。」とか言う人がいるようですが、 確かに数学は簡潔明解を原則として、特殊な用語を使いまくる ので、それに慣れ親しんだ人はその記述に感動します。 >私は、解が論理的に出てきても、定理が証明できても、「それがどうしたの?」と思うだけですが、どうしてそんなことをおもしろがる人がいるのですか? 未解決数学問題が解けると、科学が進歩します。 コンピューターの新原理や、計算速度が速まったり いままで、不明だった事項が明らかになったり、 予算や、規模で実験できない事柄を、未解決問題が 解明されるだけで、実験無しで、答えが正しいらしい ことが予測できたり。プラスな面があるので、 研究者や学者は必死です。 おもしろがってる人もいれば、人生かけてる人もいます。
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お礼
ご回答をどうもありがとうございました。 大変参考になりました。 たしかに、数学の研究者、学者にとっては、人生をかけていることでしょうね。そのことはとてもよく理解できます。 ありがとうございました。