• ベストアンサー

『こころ』の「上十五」1

tani_roheiの回答

回答No.2

1 「態度をとる」と表現しても、ニュアンスはほとんど変わりません。「(~に)出る」という動詞に「(或る態度を)とる」という意味があるんです。「下手に出る」などとも使います。個人的な意見ですが、「態度をとる」にくらべて「態度に出る」には、かけひきのニュアンスが強いように感じられます。「相手がこう出たら、自分はこう出よう」みたいに使われることが、比較的多いです。 2 「普通」という意味です。なにも異常な点が見つからないということです。「尋常でない雰囲気」などと、否定語と共に使われるのが一般的です。 3(1) 「火によって焼かれる」という意味です。「に」は格助詞で、Infoseek の辞書(http://dictionary.www.infoseek.co.jp/)には『動作・作用の起こるみなもとを表す』というふうに載っています。 (2) 文学的な修辞ですね。石造家屋を建てる場合に、石を焼くのかどうかは知りませんが、なにしろ「一度は焼かれたことがあっても、現在では冷え切ってしまっているような石とは違う」という意味です。石というものは燃えないわけですが、「先生」は今でも燃えているのです。冷たい眼で「他人の事実」を分析しているような思想家とは違い、「先生」は今でも自分の苦しみのなかにおり、その思想は生きた覚悟であり、痛切なのです。つまり熱いのです。 4 現在でも使われます。書き言葉的な表現です。話し言葉では「映る」を使うことが多いです。書き言葉では「映る/映ずる」どちらも使われます。「映じる」という言葉もあり、これは「映ずる」が上一段活用に変化したものですから、同じ言葉だと見なせます。使用頻度もニュアンスも「映ずる」と変わりません。「映ずる/映じる」の方が、「映る」よりも、確かに多少文学的です。大人びた、学のある人が使うような感じです。 5 自分も初め、理解できませんでした。入力した人が打ちまちがえたのかと思い、岩波文庫版『こころ』でも確認してみましたが、やはり「これは私の胸で推測するがものはない」になっています。ということは、これが正しい文なのでしょう。ここからは推測してみるしかなく、確言はできませんが、この「もの」は「物的証拠」という意味だと思われます。「自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれている」ということを、「私」は推測することができるけれども、物証はないのです。多分そういう意味だと思われますが、なにしろ、日本人が読んでも意味の分かりにくい文章であることは、まちがいありません。

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になります。ご丁寧に回答していただき誠にありがとうございました。大変わかりやすいと思いました。「相手がこう出たら、自分はこう出よう」のようなニュアンスを教えていただき助かりました。石造家屋のたとえも理解できるようになりました。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。

関連するQ&A

  • 『こころ』の「上七」2

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆(みん)な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。 2.「そりゃまたなぜです」 「そりゃ」はどの文を指すのでしょうか。 3.この問答は私にとってすこぶる不得要領(ふとくようりょう)のものであったが、私はその時底(そこ)まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。 (1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。 (2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。 4.先生は座敷へ出るや否(いな)や笑い出した。 「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。 5.「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」 先生のこの話はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十七」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。結末部分はまだ読んでいないのでご回答の際には触れないでください。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」 「真面目くさって聞くがものはない」はどういう意味でしょうか。特に、「がものはない」の箇所がわかりません。 2.奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑(の)み込めた。 「私に呑(の)み込めた」の中の「に」の役割は何でしょうか。その「に」の使い方がわからないので、「私に呑(の)み込めた」の意味もよく理解できません。  また、質問文に不自然な表現があれば、ご指摘いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十三」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十三」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.「私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」 「黒い長い髪で縛られた時の心持」とはいったいどんな心持なのでしょうか。 2.「先生、罪悪という意味をもっと判然(はっきり)いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「私自身に罪悪という意味が判然解るまで」はどうも文としてはまだ終わっていないような気がします。その後ろに省略される意味を教えていただけませんか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「こころ」の「上二十五」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「こころ」の中国語版を読み終えました。いま日本語版を読んでいるところです。「上二十五」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。原文が載っているサイトは次の通りです。ご参考になさってください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1、それからの私はほとんど論文に祟(たた)られた精神病者のように眼を赤くして苦しんだ。  ここの「論文に祟られた」はどのように理解するのでしょうか。 2、梅が咲くにつけて寒い風は段々向(むき)を南へ更(か)えて行った。  「につけて」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

  • 「こころ」の「上二十七」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「こころ」の中国語版を読み終えました。いま日本語版を読んでいるところです。「上二十七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。原文が載っているサイトは次の通りです。ご参考になさってください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1、要するに先生の暮しは贅沢(ぜいたく)といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。  「あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった」はどういう意味でしょうか。 2、「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」  「いって来る」の「来る」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

  • 『こころ』の「上十四」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十四」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独(ひと)りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 (1)「とどの詰まりをいえば」はどういう意味でしょうか。「とどの詰まり」という表現は現在でも使われるのでしょうか。 (2)「ただ独(ひと)りを守って」の「独り」とは「奥さん」のことでしょうか。それとも「私」のことなのでしょうか。 2.先生は二度目に「何だい」といった。 「何だい」は男性言葉ですか。どういう意味でしょうか。現在でも使われるのでしょうか。 3.「そうして自分が欺(あざむ)かれた返報に、残酷な復讐(ふくしゅう)をするようになるものだから」 「返報に」の「返報」と「に」はそれぞれどういう意味なのか、教えていただけませんか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上七」1

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.私はただそのままにして打ち過ぎた。 (1)文中の「打ち過ぎる」のニュアンスを説明していただけませんか。 (2)「打ち過ぎる」は初めての表現です。現代でも使われますか。 (3)「時が打ち過ぎた」になるはずだと思うのですが、どうもこの文は「私は」の「は」によって「私は打ち過ぎた」という意味になってしまったような気がします。 2.今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろ尊(たっと)むべきものの一つであった。 (1)ここの「尊ぶ」を「敬う」か「尊敬する」に言い換えられるでしょうか。 (2)三者の硬さを順に並べてみました。「尊ぶ>敬う>尊敬する」といった大体の感覚であっているのでしょうか。 3.もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間を繋(つな)ぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだから尊(たっと)いのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。 (1)「二人の間を繋ぐ同情の糸」とは「私たちは同情しあっている」ということでしょうか。 (2)なぜ「何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう」になるでしょうか。 (3)「裏へ出た」とは「私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛ける」ということを指すのでしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十二」2

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十二」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙(そば)だてている人が沢山あった。 (1)「場所が場所なので」はどういう意味でしょうか。 (2)「そちら」はどんな場面を指すのでしょうか。 (3)「眼を峙(そば)だてる」という表現は古風でしょうか。現在でも使われますか。 (4)「目を傾ける」、「目をそばだてる」、「目を澄ます」はみんなニュアンス的には微妙に違うのでしょうか。この三つの表現の中では、美しいと思われるのはどれでしょうか。 (5)「耳を傾ける」、「耳をそばだてる」、「耳を澄ます」はみんなニュアンス的には微妙に違うのでしょうか。この三つの表現の中では、美しいと思われるのはどれでしょうか。 (6)なぜ「人が沢山いた」ではなく、「人が沢山あった」と書くのでしょうか。 2.「あの冷評(ひやかし)のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交(まじ)っていましょう」 「交(まじ)っていましょう」は「交じっているでしょう」という意味になるのでしょうか。現在でもこのように使われますか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十一」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十一」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1. ・これは始めから私に知れていた。 ・先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。  次の二文は上の二文との意味は同じでしょうか。 ・これは始めから私に知られていた。 ・先生はまるで世間に名前が(の)知れていない人であった。  自分でまとめてみたのですが、「(事)を(人)に知られる」と「(事)が(人)に知れる」は正しいのでしょうか。 2.だから先生の学問や思想については、先生と密切(みっせつ)の関係をもっている私より外(ほか)に敬意を払うもののあるべきはずがなかった。  「もののある」の「もの」は人でしょうか。なぜ後ろに「いる」ではなく、「ある」を使うのでしょうか。 3.先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口を利(き)いては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。  「口を利(き)いては済まない」はどういう意味でしょうか。 4.私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。 (1)「先生の事からそこへ落ちて来た」の「先生の事」はどういうことを指すのでしょうか。 (2)「そこ」は何を指すのでしょうか。 (3)「落ちる」はここではどういう意味でしょうか。 (4)「て来た」の「くる」は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目の使い方にあたるのでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AF%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 5.丈夫ですとも。  これは「もちろん丈夫です」という意味でしょうか。現在でも「丈夫ですとも」のようにしゃべるのでしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「こころ」の「上十九」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「こころ」の中国語版を読み終えました。いま日本語版を読んでいるところです。「上十九」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。原文を載せるサイトは次のようになります。ご参考になってください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1、「あなた判断して下すって。いうから」  「下すって」はどういう意味でしょうか。 2、 (1)「けれどもその事があってから後(のち)なんです。先生の性質が段々変って来たのは。」 (2)「その人の墓ですか、雑司ヶ谷(ぞうしがや)にあるのは」  上記二文のもともとの順番は「けれども先生の性質が段々変って来たのは、その事があってから後(のち)なんです」と「雑司ヶ谷(ぞうしがや)にあるのは、その人の墓ですか」でしょうか。なぜ倒置するでしょうか。 3、しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。  文末の「もの」の役割がよくわかりません。この文と「しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるでしょうか」の違いは何でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。