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人間の脳の限界について

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回答No.8

 どのような時に奇抜な発想(考え)と私たちが感じるかということに絞って考えてみました。  奇抜な発想「考え」だなと思う時は、それを初めて人から聞いたり本を読んだりした時に、ちょっとやそっと頭で考えても分らないことが多いですよね。  たまに、おっ!、これは正しそう、凄そうだという直感は得るものの、しかしいったいどうやってその「考え」の結論までに至ったかという思考の筋道というものは始めは分らないことがあります。  そのちょっとやそっとじゃ分らない理由を以下に考えてみます。 1.言語使用による情報伝達の前提 (1)私たちはある「考え」についての他人とのやりとりを、通常、会話や文章によって行います。  会話や文章はそれぞれの国ごとの言語によって書かれています。  それぞれの言語はそれぞれの規則(文法)を持っていて、その規則に従えば伝えたい情報を伝えることができます。  その規則(文法)は言語ごとに異なっていますが、その規則(文法)がいかにして生じたかということを各言語について比較しながら突き詰めて考えていくと、ある種の構造的な相同性を認めることができる。(というようなことを本で読んだことがあります)  とりわけ、言語によって内容を伝える形式の中で、三段論法を使った簡単な論理的推論による帰結(例えば、AならばB、BならばC、CならばD、だからAならばDという結論を得ることなど)は、おそらくどの国の言語も、その推論形式をその当該言語の規則に内包しているのではないでしょうか(推測)。 (2)他方、別の観点で、他人(発信者)からある「考え」を聞いた時、受け手がその内容は分ったと言える場合は、発信者の思考の前提となる各種情報と付随する経験、プラス、それらを組み合わせて推論する思考プロセス(上記のような三段論法の組み合わせ方)が頭に入っていないと理解できないでしょう。 (3)以上を総合すると、言語を正確に用いることで、相手に解釈の余地をほとんど与えないような伝達形式はある。  しかし、形式的に途中をすっとばしてはしょったり、相手の頭の中にあらかじめ存在しないような前提条件・情報、経験を無条件に用いると、受け手は正確に受け取ることができない。理解できない。  ここに奇抜な発想と感じる由縁があるのではないでしょうか。  推論につかう仮定や事実とその三段論法の組み合わせ方による推論プロセスの奇抜さに。  例えば、ニュートン力学では、時間は全宇宙共通の1つの時間軸に沿って流れており、全宇宙のどの部分においても1つ共通の時間軸(絶対時間軸)をとることができると考えていました。  これは普通の人が直感的に信じそうな考えだと私は思います。  これが、アインシュタインの特殊相対論では全宇宙共通といった絶対時間軸なるものはなく相対的に各時間軸をとることができるというような考え方(各々の時間の進み方が伸び縮みし各時間軸で時間の進み方が早くも遅くもなる?)、別に、光の速さより早いものはないといった原則(考え方)を提唱しましたが、ちょっと聞いた感じだと、えーほんと?と思っちゃいませんか(耳知識で書いてますので間違ってたらご容赦下さい。私は中学の時聞いて変!と思いました)。  しかし、以上のような通常の常識に反するような理論(物理の人に言うと「常識」と怒られるかもしれませんが)もちゃんと筋道を追って考えたり、実験を通して妥当性が確認されれば、万人に認知される理論(考え)となることができますよね。 2.新しい発想(考え)を思いつき、言葉に移した時  新しくある「考え」思いついた時、すぐには言葉に言い表せない時もあると思いますが、それを具体的に文章なり口で喋ったりする際に、1.の(1)のように言語の規則にのっとることがなされると思います。  よって、その思いついた「考え」を言語で言い表すことができる以上、それは他人に分ってもらえる可能性があるでしょう。  しかし、1.(3)で述べたようなことがあれば、自分が言っていることが分ってもらえないかもしれない。  発想(考え)を具体化する過程で、言語の規則にのっとることにより、論理的な推論形式をとることになります。  よって、人に分ってもらえる「考え」は必然的に論理的推論形式を満足していなければならないことになります。 3.他人に分ってもらえない「考え」とは:奇抜な発想との関わり  よく、夢で見る内容はあっちゃこっちゃ話が展開して進むので、朝起きて振返った時に支離滅裂だということを経験します。  見ている時はつじつまが合っているようですが、振返って検証してみると、それは各出来事のつながり方、因果関係が現実的じゃないことや、あるいは出来事自身が現実的じゃないことが判明します。  夢の内容を見詰め直す時に、例えばノートに書いて見て、各出来事のつながりが1.(1)のように「AならばB、BならばC、CならばD、だからAならばD」という三段論法にのっとっているなら、正しい推論は手続的には満足されていることになります。  結局、推論の要素となる出来事が経験上、正しいか正しくないかという出来事を表わす命題の真偽の問題に帰着されることになるでしょう。  支離滅裂に感じるのは各々の出来事を表わす「何々は何々である」という命題が間違っているからじゃないでしょうか。  あと、これも話題としてふさわしいか危惧しますが、あえて書きますと、精神病を患っている人のいうことが理解できないということもありそうです。  例えば、親指が青色で、人差し指が黄色で・・・などと言われても普通は到底理解できないでしょう。  しかし、言っている本人の頭の中ではそれが正しい思考、信じている、つまりつじつまが合っているからそう言うと思われます。  各指に色が割り当てられているという命題は普通は間違い、偽と判断されるでしょう。  ちょっとあまりにも奇抜すぎる発想ですが、しかし、大多数の人が「各指に色が割り当てられている」ということを正しいと思うとそれが真となってしまいます。つまり皆が正しいと思ってしまいます。 4.総括  以上から奇抜な発想は適当な命題をとってきて無理矢理くっつけて、「何々ならば何々」という推論手順を最終的に満足すれば、形上は出来上がります。  しかし、これじゃ奇抜さはあっても皆に理解してもらえる発想(考え)として通用しないでしょう。  なぜなら推論手順は正しくても、偽の命題で組み立てては結果的に正しい推論じゃなくなるからです。  それと違い奇抜で優れた正しい発想(考え)は、最初はその帰結に至るプロセス過程が今までにないものであって一見理解できないもの-正しい推論の上得られた結果かどうか判断できないもの-であっても、仮定や論理展開に必要な事項が真であると検証されることで万人に認知されるものです。  以上の意味で制限はあるといえばあると言えるかもしれません。  そして他人が同じ事を思いつくことがあることも、用いる元情報が同じであるということ、最終的には言語で表現しなければならないこと-つまり論理的推論を行う必要があることから、同一の結果に至る可能性は高いと思われます。  以上、非常に長々と書いてきましたが、もしかしたらこの文章自体が1.で述べたことがクリアできずにEuxineさんに伝わらないじゃないかと心配になってきました。。。そうでしたらすいません。  個人的には言語を用いない表現伝達手法、音楽とか映像など、しかし皆が共通に良いと感じる美的構造のようなものがあるのはなぜか?といった脳内認知機構に興味を持っています。

Euxine
質問者

お礼

わざわざ書き込んでいただき、まことに恐縮です。 なかなか難しいお話でしたが、(なにぶん未熟なので、というか頭悪いので) 全て理解というわけにはいかないでしょうが、hishさんが、1の条件を クリアして伝えて下さろうとしていることを真摯に受け取りたいものです。 4の総括の解釈 >奇抜な発想は適当な命題をとってきて無理矢理くっつけて、「何々ならば何々」という推論手順を最終的に満足すれば、形上は出来上がります。 そういうことになりますね(^。^)全くそのとおりだと思います。 >しかし、これじゃ奇抜さはあっても皆に理解してもらえる発想(考え)として通用しないでしょう そうですね。たしかに、こういう発想ならかなりの量あると思われますが、 それは精神病の例と同じになってしまいますね。 >それと違い奇抜で優れた正しい発想(考え)は、最初はその帰結に至るプロセス過程が今までにないものであって一見理解できないもの-正しい推論の上得られた結果かどうか判断できないもの-であっても、仮定や論理展開に必要な事項が真であると検証されることで万人に認知されるものです。   奇抜な考えであると考えられるもので、その考えを提唱する前提、バックグラウンドが真であるか偽であるか解らない場合、つまり中立な場合について。 その命題が偽であるという事が例えば推論や実験によって、正しいという 裏づけが取れるならばその考えは排除されるのですが、 もしもその命題が偽であることを証明できなければ、その発想は間違っている かも知れないが正しいかもしれない。だれもそれを証明できない。 排除もされないが支持もされない異端という一時期が起こってくると思います。 もちろん将来的にその異端説は新事実によって排除されるか、 新事実によって陽の目をみることになるかの運命にあると思われますが、 その発想はとりあえずは保留されるという事になるために、 その発想者が死んでから異端視されていたその発想が 陽の目をみたという状況は数多くあると思います。 それを思うと優れた奇抜な発想と将来的に認められる考えは、 時期的な問題において制限されているとおっしゃっているのかな?と思います。 あ、解釈まちがってhishさんの懸念される通りの事が起こってしまって いたら、申し訳ありません。m(__)m 最後に、丁寧な回答、本当に感謝しています。ここまで丁寧にお答えいただくこと、本当に嬉しく思います。

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