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哲学者に男性が多い理由とは?

luune21の回答

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  • luune21
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回答No.6

哲学者に男が多いのは、哲学が男には必要で、女には不必要だからです。 必要性に差があるということは、つまりそこに男には欠けているものがあるということです。 脳機能からみたばあい、男女間での有意な差はほとんどみつかっていません。 わずかながら違いが分かっているうちの一つは、空間把握能力です。これは、立方体をいろんな形に積み重ね、また角度も変えて見せて、もとと同じものはどれでしょう?とか、立方体に線をぐるっと回して書いて、その展開図は?というような問題に対するものです。これは有意な差で男性が優れていることがしられています。理由としては、狩のときに弓を射たり、槍を投げたりする能力が高い男がより生き残れる機会が多かったためと考えられています。男の体が女性より大きいのと同じような理由ですね。 もう一つあります。それは、女性の脳は右脳と左脳の間の橋梁(連絡通路)が太いということです。そして、その橋梁は言語活動などの際に、男より女のほうがよりひんぱんに情報が行き来しているのです。この理由はあまり分かっていないようですが、結果はある程度分かっています。 それは、女は言語とイメージが常に一体になって脳で処理されているらしいということです(逆にいえば、男は言語機能だけで活動していることが女より多いともいえます)。 このような固定的な「言語-イメージのペア」のせいで、女は言語処理が速いという長所を持つ反面、一度ペアができるとなかなか切り離せないという欠点も持っています。一度、男を好きと感じたら全部好き、嫌いと感じたら何がなんでも嫌い、ということに陥ったりしやすいようです。 ところが、男の脳は、イメージがいつも言語にくっついるとは限りません。状況に応じてその場にふさわしいイメージをそのつど引っ張ってくる必要があります。このことは、「私のことが大好きだといったくせにメールの返事もこない」、とか、「おまえにはとても感謝しているし一緒にいて楽しいよ、でも嫌いだ」、などというような、女にとっては「さっぱり分からん状態」の行動をとる原因になったりします。 哲学というのは--語弊を招きそうですが--ことばによる概念の再定義合戦です。 あるビンの中の液体を飲んで、ある男が「これはぶどう酒だ」と考え、そう書いたレッテルをビンに貼ったとします。しかし、次に飲んだ男は、あまりのおいしさに「般若湯」と書いたレッテルを前のレッテルの上にかぶせて貼り、次の男は、この優雅さはそんな抹香臭いものではないと考え「般若湯」の上にまた「アウスレーゼ」と書いたレッテルをかぶせて……、という感じです(ーー;。 しかし、イメージとことばがペアになっている女は、そんなレッテルの貼りかえを必要としません。面倒なだけです。なぜなら、おいしいならおいしい、といった何らかのイメージ(たとえば高原の花畑にいるような)が常にピッタリとよりそっているからです。 このことは「存在」とか「美」「胎児は人間か」などということでも同様でしょう。ことばとイメージがぺアになっている女にとっては「存在」は「存在」でしかありません。わかりきったことなのです。ところが、ぺアになっていない男は、状況によって「存在って何?」などと考えなくてはいけなくなることがおきます。別のことばでいえば、定義づけをちゃんとしておかないと不安定だということです。男はイメージが無い分、常にそれをことばで補う作業が必要なのです。実は、この不安定さを解消しようとするのが哲学(する動機)の正体だというわけです。 ただし、これは哲学的動機を説明しているのであって、哲学には「生きる目的」というような倫理面なども含まれますので上記説明がすべてではありません。 ちなみに、いつもは言語-イメージペアで安定している女脳ですが、いったんそれが切り離されると、いつも不安定な男脳よりずっとはげしく不安定になります。「あれ?あんたは親友だたんじゃないの?」というような事件がおきると「親友って何のことだっけ?」「あんたってどんな人だっけ?」と言語-イメージペアの回復に多くのエネルギーを要することになります。

noname#150256
質問者

お礼

私は女性なんですが 思い当たる節がいくつかあります。 とても詳しいご説明ありがとうございます。 大変参考になりました。

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