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勝海舟

saitaohanaの回答

回答No.6

福沢諭吉著の「痩せ我慢の説」をお読みください。 福沢の、勝海舟と榎本武揚に対する痛烈な批判の書です。 文庫で出ているので、安い値段で読めます。 要するに、勝と榎本は幕府には散々お世話になったのに、今では明治政府で出世して栄華を極めていて、恩知らずで人情も踏みにじっていると、福沢は言いたいようです。 勝については、「軍艦奉行木村摂津守」という本でも、咸臨丸航海で役に立たなかった、とか、部下に嫌われていた、とか、恩のある人を裏切ったとか、散々なことが書いてある、そうで、他人に嫌われるエピソードについては山ほどある人柄だったらしいです。

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