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鎌倉→南北朝時代→室町時代の南北朝について

抽象的なのですが、詳しく教えてください。楠木正成や後大醐天皇の名前を知ってる程度なんで、色々と勉強したいのです。参考文献があれば、紹介してくださいm(__)m 。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 8787kouzi
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.4

3の者です。先程の参考文献で纏めるなら村井章介『分裂する王権と社会』か森茂暁『南朝全史』『闇の歴史、後南朝』で大体の流れはつかめると思いますよ。村井氏のは鎌倉末期から嘉吉の変までの通史ですのでこれを先ず読んでみるのがいいかもしれません。

nicechamp
質問者

お礼

またも回答ありがとうございます。絞れました(^^) 。まずは#1さんのマンガから入って、お勧めの本へ移行していきたいと思います。

その他の回答 (3)

  • 8787kouzi
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.3

よく質問の意味がわからないのですが、鎌倉期から室町期の皇統の事ですか?それでは各時代の優良な通史と関連書籍を挙げますので参考にしてください。 鎌倉期の参考文献 近藤成一著『日本の時代史9モンゴルの襲来』吉川弘文館 網野善彦著『日本の歴史10蒙古襲来』小学館 美川圭著『院政~もうひとつの天皇制』中公新書 建武の新政~南北朝期 佐藤進一著『日本の歴史9南北朝の動乱』中公文庫 村井章介著『日本の中世10分裂する王権と社会』中央公論新社 伊藤喜良著『後醍醐天皇と建武政権』新日本新書 森茂暁著『建武政権~後醍醐天皇の時代』教育社 同   『南朝全史~大覚寺統から後南朝へ』講談社選書メチエ 同   『後醍醐天皇~南北朝動乱を彩った覇王』中公新書 同   『皇子たちの南北朝~後醍醐天皇の分身』中公新書 同   『太平記の群像~軍記物語の虚構と真実』角川選書 飯倉晴武著『地獄を二度も見た天皇・光厳院』吉川弘文館 室町期 桜井英治著『日本の歴史12室町人の精神』講談社 森茂暁著『闇の歴史、後南朝~後醍醐流の抵抗と終焉』角川選書 今谷明著『室町の王権~足利義満の王権簒奪計画』中公新書 横井清著『室町時代の一皇族の生涯~「看聞日記」の世界』                         講談社学術文庫 佐藤進一著『足利義満~中世王権への挑戦』平凡社ライブラリー 以上ですが、結構専門的なのもありますので、質問者様が素人の方なら、 吉川弘文館の『概論日本歴史』を読んで上記の文献に挑戦した方が良いと思いますよ。

nicechamp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。ええ、ご指摘の通り、全くの素人です。鎌倉時代や室町時代は全くと言っていいほど関心が無かったのですが。昨日、ある講演を聞いて、興味が湧きました、南北朝時代。 >鎌倉期から室町期の皇統の事ですか? そうです、メインはこれですね。 それにしても参考文献・・・・一杯ありますね(^_^;)。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

南北朝時代は、なんというか、ぐちゃぐちゃな時代ですので、なかなかわかりにくい。自分は↓をお薦めします。 佐藤 進一 著 日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫) 治安維持機構たるべき鎌倉幕府が北条氏に私物化され、北条宗家の家長たる得宗(事実上は執権より偉い)が領土拡張に走った結果、土地を奪われまいとする諸勢力が、後醍醐天皇の討幕運動に参加し、鎌倉幕府は滅亡します。 幕府が滅ぶと、土地争いを公に裁定できる機関がなくなり、上は天皇家から下は小悪党まで、土地争いに明け暮れたのが南北朝時代。かなり乱暴なまとめですが。

nicechamp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。説明ありがとうございます。お勧めの書は一読したいと思います。

  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.1

「参考文献」と言われると、何か専門のものを連想してしまうので すが‥ そちらは私には手に負えません。 ただ、何も知らないから、一から勉強したいということであるなら、 「マンガ日本の歴史」などのマンガ本などはうってつけですよ。 歴史の流れとかが、すごく分かりやすく読めます。 図書館なら、お子様コーナーにあるかもしれません。 でも、マンガと言っても、けっこう内容は詳しいです。私は大学受 験にも使っていました。

nicechamp
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かにマンガはいいですよね。自分も三国志とかはマンガで入ったし、小学生の頃、家康や信長、秀吉のマンガをよく読んだものです。 まず、マンガから入ろうかな?

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