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「ている」の「歴史的なことがら・経歴・経験などを記録として述べる言い方」という使い方について

hakobuluの回答

  • hakobulu
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回答No.18

#9、#12です。 ご返事ありがとうございました。 1、 >【静的な事実(または経験)の確認】と【動的な動作完了時の再現】という違いと考えてみてはどうでしょうか。 この説明のほかのところは理解できましたが、「確認」というところがまだよくわかりません。なぜ確認する必要があるのでしょうか。「動かし難いものとして認識できる事実」なら、確認する必要がないのではないでしょうか。 a.この問いが、おそらく核心に迫る糸口になるでしょう。 今までは、「確認する必要性」がなぜあるのか、という肝心の点について触れていませんでしたね。 改めて「確認する必要性」について述べてみます。 b.まず、結論から先に述べておきます。 ≪『その事柄に関してはお互いに確認済だ』ということを前提にして、それ以降の会話を進展させるため≫です。 相手が元々その事柄を知っていれば確認済になりますが、知らなかった場合は周知させることによって確認済という結果を築く、という意図も当然含まれます。 ですから、ある局面においては、 ≪『その事柄に関してはお互いに周知している』ということを前提にして、それ以降の会話を進展させるため≫ と説明したほうが適当な場合もあるかもしれません。 この点は臨機応変に適用していただきたいと思います。 c.具体的には色々な状況が考えられますが、たとえば次のような会話が想定できるでしょう。 ●ーーーーー→ A:「アポロを冠した宇宙船は1号から17号まであるらしいが、私は11号という名前だけが何となく印象に強く残っている。これはなぜだろう? 」 B:「アポロ計画というのは月面探査を目的としたプロジェクトだった。その中で、アポロ11号は1969年、最初に月に着陸している。そのため大々的にテレビなどで何度も放映されただろうし、だから11号という名前が記憶に残っているんじゃないかな。」 A:「そういえば、アームストロングが『一人の人間には小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ。』などと言ったのはあの時だったかな。」 ーーーーー→● このような会話においては「着陸している」という表現は必須でしょう。 「着陸した」でも意味は通じますが、Aの発言意図、あるいはAの気持ちを適切に受け止めた応答とは言えなくなると思います。 「動かし難いものとして認識できる事実」であっても、誰もがそれを常に記憶しているわけではありません。 『それを事実として覚えているかどうか』を確認する必要があるということになります。 この場合、「着陸した」という動的場面は必要ありません。むしろ、この動性は邪魔になるでしょう。 なぜならば、確認したいのは「着陸した」ことではなく、それを「覚えているかどうか」あるいは「知っているかどうか」ということだからです。 d.日本人編集者の本で留意すべきは、 「歴史的なことがら・経歴・経験などを述べる言い方」ではなく、 「歴史的なことがら・経歴・経験などを【記録として】述べる言い方」 と説明している点でしょう。 「着陸している」は、『着陸したという記録(事実)がある、ということを(我々は)お互いに確認しておきます。』というニュアンスになるわけです。 「着陸した」と「着陸している」の、微妙ですが【厳然たる意味の違い】は、このような理由によるものと考えて良いと思います。 e.「富士山は日本の一番高い山だ」に関して、 『>話者の判断なども混入されている感じで、極端的な感覚にしたら、「~だ」は「富士山は日本の一番高い山なんだよ!!!知らないのか!!!」のような熱血系の叫びになってしまうでしょう。』 とおっしゃっているのは同感です。 また、「富士山は日本の一番高い山である」に関して、 「>富士山という現場から遠く離れているところに身を置いて、心を静かにしてその富士山という存在、その現場を客観的で冷静的に眺めながら淡々と述べるという感じでしょうか。」ともおっしゃっています。 これも良くわかります。 では、『なぜそのように感じるのか』を考えてみたいと思います。 それは、「富士山は日本の一番高い山である」という文が、 『「富士山は日本の一番高い山だ、という事実」を、知っていますよね。もし知らなければ、知っておいてくださいね。』という、(確認の)ニュアンスを含んでいるからだと私は思います。 「高い、という状態」を述べているのではなく、「高い山、という事実があること」を【確認する意図】を持つ表現なので、「客観的」「理性的」「冷静」に感じるのではないでしょうか。 そのために、 『>「ている」のこの使い方は「富士山は日本の一番高い山である」という文の語尾の「~である」の雰囲気に近い』 とお感じになったのではないでしょうか。 なぜ確認をする必要があるのかと言えば、 次に続く文で示そうとしている筆者の意図を、読者に正しく伝えたいからです。 「富士山は日本の一番高い山である。その頂上から昇る朝日を見るのは実に気持ちが良い。」という文があったとします。 この文には「富士山は日本一高い山だ、という事実を確認しながら、昇る朝日を見るのは気持ちが良い。」という筆者の意図が込められています。 これに比較した場合、 「富士山は日本の一番高い山だ。その頂上から昇る朝日を見るのは実に気持ちが良い。」 という表現では、前後の文の関連性(因果関係)は弱まるでしょう。 f.「>勝手な推測ですが、例文1と2のような書き方は文献資料、人物伝記、科学発見の紹介、歴史事件の紹介などの分野でよく見られる表現でしょうか。」 :【静的な事実(または経験)の確認】(あるいは【>記録として述べる言い方】でも良いですが)という機能を持っていますから、まさにそのような【場面でも】ふさわしい表現と言えるでしょう。 2、 a.ネットからの抜粋をそのまま記してしまいましたが、 「(A氏は)烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采(だいかっさい)を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を(私は)目の当たりにした」 という内容です。 「目の当たりにした」は『直接、すぐ近くで見た』という意味です。 b.「アメリカの面目躍如/となった」と区切れるでしょう。 「面目躍如」は、「名誉を挽回する」「長所を生き生きと発揮する」といったような意味です。 かつてのソ連とアメリカは、宇宙開発で先を越したり越されたりしていたわけですが、そのような時代を背景にして成立している表現です。 「○○は3連敗の後4連勝し、昨年優勝者(=○○)の面目躍如となった。」 などの四字熟語が殆んどですが、 「この逸話にも、彼女の面目が躍如としている」などという使い方もできます。 3、 >No.8さんへの補足もご覧ください。へりくつですが、~ :「へりくつ」は私の方が上だと思います。(^^;) 『>(自然)現象に対して「が」をまず考えましょう』について。 a.「が」は主格の強調と常々述べてきましたが、「海が青い」「雪が降っている」は単なる現象で、強調しているわけではないというお考えも良くわかります。 #12の補足で述べておられる、 『「海が青い」という文は読者に「海+青い」のイメージを伝えたい、「私【が】雪が好きです」という文は「私」というメッセッジを伝えたいと考えたわけです。』という内容も良く理解できます。 「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している」のほうが、現象を表わす単独文として適しているのではないか、というお考えに至るのもご尤もでしょう。 しかし、これは明らかにアポロ11号を強調している、と私は言いたいと思います。 へりくつの上に頑固者と言われそうですね。(^^;) 「強調している」という言葉に納得がいかないようでしたら、『重点を置いている』と捉えていただいても結構です。 それにしても、 「海が青い」という文はひとつの現象を示しているのであって、 「海」「青い」を分けるのはおかしいのではないか、という疑問は解決されないようにも思います。 そこで、説明しやすいように既出の他例で検討してみます。 ・水が流れている。 ・雪が降っている。 ・風が吹いた。 ・花が咲いている。 ・月が出た。 ・ベルが鳴っている。 を、 ・水だ。 ・雪だ。 ・風だ。 ・花だ。 ・月だ。 ・ベルだ。 ように言い換えても意味は通じるはずです。 元々の文の骨子が主格部分にあるからしょう。 このようなことを基本的に、「主格が強調されている文」と私は捉えています。 b.「海が青い」という文では説明しづらいのですが、あえて述べてみます。 このような表現は【(海という)青いもの】を眼前にしている時に出る表現だ、ということです。 つまり、話し手にとって【「青い」という感動】は『(表現する前に)すでにあるもの』です。 そして、それはすでに話し手の心の中で完結している事柄(もの=感動=感覚)です。 言葉として発する場合、彼に取っては「海が」だけで90%ぐらいは表現したつもりになる、というのが本質でしょう。 「(文としての)海が青い」は「海」が強調された表現だ、というのはそういうことです。 これに倣えば、「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している。」の場合、 「月に着陸している」ことよりも、「アポロ11号」という主格に重点が置かれて(強調されて)いる、ということができるでしょう。 これに対して、 「アポロ11号【は】1969年に月に着陸している。」という場合は、 「月に着陸している」という事実(の確認)の方に重点を置いているわけです。 単独文としてどちらが完結性が高いかと言えば、後者のほうでしょう。 【が】によって主格(アポロ11号、モーツァルト、ひろし)を強調する(重点を置く)よりも、 【は】によって述部(月に着陸している[月に着陸した]、作曲している[作曲した]、病気をしている[病気をした])という事実を伝える(あるいは事実の確認をする)ことにこそ、これらの内容を文章化する意味があるからです。 c.もう少しわかりやすい例を挙げてみます。 今日は、awayuki_chさんの家でパーティが開かれる日だとします。 ところがawayuki_chさんは予定を大きく遅れて帰宅しました。 お母さんが玄関まで出迎えて「Aさんが、」と言ったとします。 続く述語は色々あるしょうが、「来ているよ」という内容をawayuki_chさんは真っ先に推測するのではないでしょうか。 海の例で「青い」という感動がすでに心の中で完結していたように、 (パーティなのだから)「来ている」という状況については当然の事柄としてお母さんの心の中で完結していたはずです。 また、awayuki_chさんも同様だろう、という無意識の判断をお母さんはしていたでしょう。 その結果として、「Aさんが」という【Aさんを強調する】あるいは【Aさんに重点をおいた】表現にならざるを得なかったろうと思います。 awayuki_chさんとしては、お母さんが【が】によって「Aさんを強調している」ということは、続く熟語は「来ているよ」だろう、とすぐに(無意識的に)推測できたでしょう。 お母さんが「Aさんは」と言ったのであれば、 わざわざAさんを【主題として提示】したわけですから、パーティとしては当然の「来ている」ということ以外のことに関して言おうとしているのだと想像したと思います。 「遅れてくるよ」とか「来られなくなったらしい」とか。 4、 >「私は彼氏がアメリカ人である女性と会う」なら、どのように書くのでしょうか。 「私は彼氏がアメリカ人の女性と会う」はだめでしょうか。 :二文に分けるほうが良いと思いますが、一文にまとめる場合はこれでも良いと思います。 ただ、「彼氏がアメリカ人」ということを一文で伝える必要性があるというのは特殊な状況と思うので、 下点を打つとか、「」で囲うなどの方法でその特殊性を明確にしたほうが親切かもしれません。 『私は、アメリカ人の彼氏を持つ女性と会う』などとすることもできるでしょう。 前回は「探検活動」をさせてしまい申し訳ありません。 今回も道の舗装がうまくいっていないかもしれません。 密林になっていないことを願っています。 遭難しそうになったら、いつでも、何度でも笛を吹いてください。 可能な範囲での良い装備を整えてすぐに出動いたします。 ただ、助けに行ったつもりで逆に助けられることも良くある救助隊なので、あまり当てにはできないようですが・・・。(^^;)  

awayuki_ch
質問者

お礼

 hakobuluさん、お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。たびたびありがとうございます。「着陸した」と「着陸している」の【厳然たる意味の違い】はどんな理由によるのかよく理解できました。「歴史的なことがら・経歴・経験などを【記録として】述べる言い方」の【記録として】も確かに見過ごしてしまいました。「している」のご説明は大変助かりました。常に本質を問い続ける意識を持ちたいです。  いま参考書の例文にまだ不満が残っております。「単独文としてどちらが完結性が高いかと言えば、後者のほうでしょう」というご意見にまだ疑問を感じております。もう少し検討したいです。  道の舗装は本当にありがとうございました。素足でも歩いてみたい歩きやすい道になりました。気づいたら、雨がパラパラ降ってきました。万物を潤う雨に尊敬する気持ちを持っております。でも、風を引きやすい体質なので、傘がほしいです。救助隊は傘屋さんもやっていますか。魔笛を吹いてみます♪

awayuki_ch
質問者

補足

>「(A氏は)烈々たる気迫のこもった糾弾演説をされ満場の大喝采(だいかっさい)を浴びて演説を終えられ、かつての労働運動の闘士としての面目躍如たる姿を(私は)目の当たりにした」という内容です。 「糾弾演説をされ」、「終えられ」は尊敬語なのですね。「浴びて」は「浴びられて」という形ではないので、前の二つを受身だと判断してしまいました。やっとわかりました。 >「アメリカの面目躍如/となった」と区切れるでしょう。 「と」は「面目躍如」の付属成分だと思ってしまったので、「アメリカの面目躍如と/なった」のように区切ってしまいました。やっとわかりました。 >「この逸話にも、彼女の面目が躍如としている」などという使い方もできます。 でも、この文の区切り方は「彼女の面目が躍如と/している」でしょうか。「と」は「躍如」の付属成分の「と」でしょうか。 >「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している」のほうが、現象を表わす単独文として適しているのではないか、というお考えに至るのもご尤もでしょう。しかし、これは明らかにアポロ11号を強調している、と私は言いたいと思います。へりくつの上に頑固者と言われそうですね。(^^;) 「へりくつの上に頑固者」大賞はやはり私に譲っていただけませんか(*^-^*)。おっしゃるとおり、「アポロ11号【が】1969年に月に着陸している」のほうが、現象を表わす単独文として適しているのではないか、と考えたわけです。 > ・水が流れている。 ・雪が降っている。 ・風が吹いた。 ・花が咲いている。 ・月が出た。 ・ベルが鳴っている。 を、 ・水だ。 ・雪だ。 ・風だ。 ・花だ。 ・月だ。 ・ベルだ。 ように言い換えても意味は通じるはずです。元々の文の骨子が主格部分にあるからしょう。 言い換えられないような気がします。「流れている」、「降っている」などの部分を意識しないと、どのような状態の主語は想像できないでしょう。「こぼれている」、「融けている」などの状態もおかしくはなくなるでしょう。私はやはり「~が~」の両側に集中してしまい、つまり、一つのものではなく、ある状態に伴うものは一つのシーンになって頭に出てくるのです。本質論に合わないように感じました。 >海の例で「青い」という感動がすでに心の中で完結していたように、(パーティなのだから)「来ている」という状況については当然の事柄としてお母さんの心の中で完結していたはずです。 上の二例ならわかったような気がします。私の挙げた(自然)現象は次のようなシチュエーションで使いたいと思います。もう少し説明していただけないでしょうか。 1.ある場所の訪問中。そこの小道を歩きながら、目に映っているものを頭の中で文章にする。「いま、私は歩いている。自然の懐にいる。……」は最初の文だとする。 2.その場所から帰ってから、日記を書く。「今日、素敵なところを訪問した。……」は最初の文だとする。 3.訪問日の何日後、また当時のことを思い出して日記にする。「またあそこを思い出した。もう一度行ってみたい。あそこの美しい景色が(は?)忘れられない。……」は最初の文だとする。 上の三つのシチュエーションで作文するなら、「……」の部分で列挙した(自然)現象にぜんぶ「が」を使ってあっているのでしょうか。また3の「美しい景色」の後ろに「が」と「は」のどちらを使うべきなのかも教えてください。

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