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好きという感情と嫌いという感情が交互に
30代前半のものです。 10代~20代初めくらいまでは、わりとコントロールできていた と思うような感情が、年をとるにつれ、コントロールが 難しくなってきて困っています。なぜ、このような感情の 動きになるのでしょうか。 なるべく嫌いな人を作りたくないので、周りの人に対しては なるべく(自分が感じた)長所を見るようにし、(自分が感じた) 短所は見ないようにといちおう心がけてはいます。 しかし、かなり傷つくようなことを言われると、その人を 全力で避けるようになります。もちろん、大人として 挨拶等はしないと社会生活が不可能になってしまいますので そのくらいはしますが、相手は、その人の言葉で 私が傷ついていることに全く気づかず、近づいてくることも多い です。しかし、嫌悪感が募り、辛くなります。 しばらくこんな状態が続いた後、急に何か(言動や 行動など)などをきっかけにその人がとても「いい人」に見えて きたりします。 このように、ある人からの何らかのはたらきかけで 好きという感情と嫌いという感情が交互に押し寄せてきて、 誰でも、多少はこのような波があるかとは思いますが、 自分の場合、この波が極端で、 われながら幼い感情の動きだと思いますし、疲れます。 原因は何でしょうか?できれば学術的な見地からのご意見を いただけるとうれしいです。
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- vrtemjin
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素人の意見で恐縮ですが、ほかの方も書かれておりますが、努めて相手の悪い部分を見ないようにしたり、嫌わないようにするところに問題があるのではないでしょうか。 相手のいい部分も悪い部分も認識したうえで、自分がその相手にたいして主観的な部分ではどう感じているのかを客観的に認識するよう心がけるといいのではないだろうかと思います。 人間ですから他人への感想や評価はそのときどきでころころ変わるのは当たり前だと思うので、自分の中に自分の想いや感情を客観的に分析する自分を作るように努めてみてはどうでしょう。 ようするに、相手の長所ばかり見るのをやめて、相手の長所短所両方を見て、自分が相手を嫌っている状態なのか好きな状態なのかを常に客観的に自己評価するように努めてみるといいと思います。 自分の状態を把握できていれば根本的な解決にはならないまでもけっこう気が楽になるもんです。 他人を嫌うことは決して悪いことではないと思いますよ。Michelineさんは相手が嫌いだからと言って嫌がらせの類をするような方ではないとお見受けできますし、そういう方だからこそご質問のような苦労をされているのだと思います。
- winterer
- ベストアンサー率40% (11/27)
♯1です。 <<努力もしていないくせに いろいろなことが上手くいっていないから人の足をひっぱろうとする人たち 他人に迎合しようとする、他人に気に入られようとする人は そのようなことが見抜けないのが通例だと思います。 あなたは見抜いているから、見抜いた上で長所を見ようとしている から、迎合しようとしているのではないかもしれません。 情緒的に成熟した、自我の確立された人は、確立されていない人よりも 確かに、情緒的未成熟者によって振り回されることは少ないと思いますが、それでも相手の短所を見ないで長所ばかりに目を向けていると、 心理的に負担になってくるでしょう。相手の長所に目をむけると良い、 というのも程度問題です。相手によりけりです。とんでもない 情緒的未成熟者に対してもそのように博愛的に振舞っていると、 禅僧とかよっぽど強い人間でもない限りノイローゼになると思います。
我侭な態度は不自由だからするので 自由な人の方が上手くいこうがいかなかろうが努力するもの だと思います。 努力というよりそれが普通の自分の正しさ、拘りというのかな。 自己実現する方向が 拘るべきところでないところに向いてしまうと 自分でも不自由さを感じるでしょう。 好きなことと得意なことの接点を実現すればいいのですけどね。 嫉妬することや足を引っ張るのが好きだと 他人より自分が傷付くのが先に来ますから しんどそうです。 自分はそんなに嫉妬せず居れて、犠牲にならずよかったな。 嫌いな人達の中の不遇に 哀愁を感じて憐れみも感じるのかと。 Michelineさんが素直に感情が出せなくなるぐらい 人生に厚み幅が出てきたってことではないですかね。 芸術はそうでしょ? 喜びの涙(逆像)は ピョンピョン跳ね回る無垢な子供の歓喜より 厚みを感じます。 素人が勝手に推測しただけのの話ですので、 焦点ズレでも大目で見てください。
行為を持つことも、嫌悪感に執着してしまうことも、 方向こそ違えど「接近欲」というものになります。 優しい仲間よりも、 刺激の多い好敵手に関心はいくものですね。 自分を守るために知りたいというより相手を知りたくなってしまう。 刺激を欲するのは、自分の内面だけのことで処理出来ないもので 別人の「役」を演じることも必要になります。 そして「憎まれ役」に感謝するほど 自分も充実した役者の時間を感じる時がもたらされた ような心情ではないでしょうか。 ほぼ、適当な直感の意見です。 学術的なものとはかけ離れているかもしれません、 気晴らしにでもなれば。
- winterer
- ベストアンサー率40% (11/27)
<<なるべく嫌いな人を作りたくないので、周りの人に対しては なるべく(自分が感じた)長所を見るようにし、(自分が感じた) 短所は見ないように ここに問題があると思います。まず、他人の長所を見つけるのがすばらしい、と世間一般に言われます。確かにその通りだと思いますけど、それは他人の短所しか見つけられないような人、他人のあら捜ししか出来ないような人、情緒的に未成熟な人を揶揄していっているものです。本当に情緒的に成熟し自我の確立した人間は、他人の長所も"見える" けど、他人の短所も"見える"というだけです。"見る"ではなく"見える" と書いたのは、自我の確立した人間というのは視点が自分に いかない:自分がどうみられているかと言うのをあまり気にしないので、自然と他者に注意が行き、他者のそのままの姿を見ることができる のです。 他人のあら捜ししか出来ないような人、短所しか見れないような人は、 自己評価が低いのです。つまり劣等感が強いのです。劣等感が強いからこそ、自分に自信がないので他人の短所を見つけて安心しようとします。自己評価の高い人:情緒的に成熟した、自我の確立した人は、 劣等感がなく自信があります。他人の短所をあえて見つけようとは思わないのです。 自分がどう評価されるかにもあまり関心がないので、他人のありのままの姿が見えるのです。 短所には目をつぶり、長所だけをあえて見ようとするのは、他人に気に入られようとする行為だと思います。他人に迎合しているのです。 嫌いな人を作りたくないというのは、他人に嫌われるのが怖いという ことの裏返しです。自己評価が高ければ、他人に嫌われることはなんとも感じないものです。 短所に徹底的に目をつぶるというのは、他者に迎合することです。 言い換えれば、偽りの自己を演じ続けなければなりません。 本当は嫌いなところがあるのに、という感情を抑圧して付き合い 続けます。そうまでするのは、視点が自分に向いているからです。 偽りの自己を演じることにより自分が好かれる、というところに 視点が行っていると、他人が自分の演技に対して評価してくれない: 傷つけるようなことを言うと(傷つけるようなことを言う人も 劣等感の強い人だと思いますが),不安で仕方がなくなります。 自己評価が高ければ、他人からの評価などなんでもないのです。 あることがきっかけでいい人に見えるというのは、無意識に追いやられて抑圧された他人の短所に由来する、恒常的な他人への嫌悪感 があるので、少し長所が見えた、あるいは自分を評価してくれたりするだけでも、その嫌悪感とのギャップにより、いい人に見えてしまう のではないかと思います。 以上、少々きついアドバイスになってしまいましたが、私自身への戒め を込めているので、あまり気になさらないでください。
お礼
ご回答ありがとうございます。まったくきつくないです。 ただ、私の説明不足と字数制限のせいですが、ご回答の焦点が大幅に ずれている感じがします。あまり上手く説明できる自信が ないですが、可能であればあとで補足を書こうと思います。
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補足
やはり質問文の説明不足を痛感させられました。 嫌いな人たちは「刺激の多い好敵手」では ないですね。むしろ、逆。努力もしていないくせに いろいろなことが上手くいっていないから 人の足をひっぱろうとする人たち。 そういう自堕落な人たちには刺激というよりは うんざりです。心に余裕があるときは、憐れみを 感じることもあります。