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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:1945年9月11日に京義線が分断された区間はどこ?)

1945年9月11日に京義線が分断された区間はどこ?

このQ&Aのポイント
  • 1945年9月11日、京義線の一部が分断されました。
  • 分断された区間は都羅山と開城の間です。
  • この区間は、北朝鮮側に位置していました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • Ryu831
  • ベストアンサー率38% (241/621)
回答No.1

ちょっと調べてみましたが、確信があるかはあやふやです。 いくつかのサイトを見ると、「1945年分断で、ソウル~開城の短縮運行」と書いてあります。 ので、分断は開城とその隣の駅(ピョンヤン?)間だと思います。 その後、朝鮮戦争によって1951年には完全に運行が中断され、1953年にソウル~ムンサン間で運行再開とあります。 朝鮮戦争後に南北国境線が確定し、開城が北側になったためでしょうね。 あまり参考にならずすみません。。 http://kr.dic.yahoo.com/search/enc/result.html?pk=10600400 (他のサイトにもいくつか書いてありましたが、再度探せませんでした。。)

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質問者

お礼

そうですね。 38度線を境にそれぞれ運行というのが 正しい感じでしょうね。 そうなると、 京義線では、38度線より南の最前線になる 開城の先の開豊と38度線を越えた方は金川でしょうか? ただ、韓国語サイトで、 ソウル(当時はまだ京城)から短縮運行で開城と書いているので、 そうかもしれませんね。 ここらへんの細かい情報を日本語サイトで 探すのは難しいですね。 回答ありがとうございます。

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