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長久保赤水
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赤水の前にかなり正確な日本地図があり、それを修正したと思われます。 家康は諸大名に命じて全国約70箇所の国図の作成を行わせた。慶長国絵図である。 その後忠敬の前に幕府は寛永(1636完成)正保(1649完成)元禄(1702完成)と統一的国絵図の作成を全国規模で実施した。 これらをもとに、慶長、寛永、正保、元禄、享保計5回の日本全図が幕府により編集された。 これらは機密文書であったが、体制安定し平和が続くと民間に流布し、出版されるようになった。 地図作成の測量技術は江戸初期は、中国よりの町見術といわれた未熟なものであったが、寛永頃オランダより優れた西洋測量術が伝わり、規距術といわれ広く伝わった。 正保のものを修正したと見られる「日本之絵図」を見ると、赤水の「改正日本奥地路程全図」ほどではないが、かなり正確なもので、赤水がこのようなものを参考にして、新しい情報により修正加筆したことは確かである。 シーボルトが日本から持ち出そうとしたのは、赤水の地図であるので、忠敬も参考としたのも確かである。 以上は山下和正氏の本によりました。
その他の回答 (1)
推測に過ぎませんが、作成者というよりも編集者に近いんじゃないでしょうか。 昔からの不完全な地図や方々の部分的な地図を集め、それをつなぎ合わせたんじゃないでしょうか。彼はこの方面の学問的な素養と知識があったため、そういうやり方で作れたんだと思います。 そう考えないと、測量ナシでは無理かなと思います。 彼は世界地図も作っています(参考URL参照)。その経緯を見ますと、どうもそんな気がします。
お礼
ありがとうございます。 確かに既存の地図をベースにつなぎ合わせたようですね。 ベースになり地図はどのようなものだったのかが気になります。
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お礼
なるほど、納得できたような気がします。 日本全体ではなく部分的な測量は早くから行われていて、西洋式の測量術も意外に早くから入っていたんですね。 全体図も早くから編集されていたけれども軍事機密としてしばらくは非公開だったのですね。 赤水の地図は部分的に正確なところと、明らかにおかしいところが混在しているように見えますが、つなぎ合わせた地図の精度のばらつきがあったからなのかもしれません。