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伊能忠敬について教えてください
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- HATABO7013
- ベストアンサー率42% (23/54)
実際に忠敬がおこなった日本地図作製の作業は、 「『地球』という天体上にある『日本列島』という複雑な図形を 細かく計測・分析して、その形を紙の上に描く」 ということなので、当時における最先端の数学・天文学の知識が必要だったのです。 忠敬は50歳で仕事を引退してから学問を習い始め、56歳から測量を始めています。 そしてその生涯を終えるまでその活動に打ち込み続けたのです。 自分が定年後にこんな活動が出来るか?と考えても、到底出来ません! あと、この偉業は伊能忠敬一人の力ではなしえませんでした。 どのような人物たちが関わっていたかを調べてみるのも興味深いと思います。
彼の気持ちになって考えみては? あなたが、日本海岸一周することを想像してみては。 彼は 56歳から72歳までの 16年間、「ニ歩で1間」の歩幅で日本中の海岸線を歩き、ついに実測による「大日本沿海輿地全図」を完成させるのである。この間に忠敬が歩いた距離はざっと3万5千キロ。歩数にして約4千万歩に及ぶ。 と下記、HPより。 うーん、地球一周には少したりないか~。 56歳から72歳→当時の寿命から考えて、耐えられない。 荒波に負けず、海岸線を歩く作業は年齢的にも大変だったでしょう。 だって、砂浜、トレーニングで走るけど、普通に歩くよりしんどい。しかも、岩場も歩いて計測。命がけよ。
トロイの木馬が、史実で、あることを証明したくて、自分のお仕事をがんばって、早めにリタイヤして、その資金をもとに、調べたおじさんがいます。 伊能忠敬も自分の本当のお仕事をがんばって、終わらせたあと、地図作成のために尽くしたのです。 測量の車を引いて、海岸線を踏破するところから、始めました。 その正確さは、驚嘆に値するそうです。 でも、小学6年生のぼく。勉強熱心で、けっこうですが、お酒や、ギャンブルは、いけませんよ。 スーパー小学生の再来ですね。
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6720)
下記サイトが参考になるでしょう。 伊能忠敬記念館 http://www.sawara.com/tadataka/ 伊能忠敬研究会 http://inoh-tadataka.org/
簡単に言うと、 忠敬の測量はその地図が有益だと判断した”幕府の後ろ盾”がついているので、反対できません。
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お礼
皆さん、貴重な意見どうも有り難うございます。どれもこれも参考になりました。本当にありがとうございました