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中大兄皇子がなかなか即位しなかったのはなぜ?

こんにちは。 歴史の課題なんですが、 大化の改新後、中大兄皇子が皇太子にとどまり、すぐに天皇(大王)に即位しなかったのはなんでですか?? よろしくおねがいします!!

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  • riderfaiz
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回答No.1

色んな説がありますが、面白いのは中大兄皇子が間人内親王という実の妹を愛していて(もちろんタブー)、 天皇になると皇后を正式に決めないといけないから先延ばしにしていたという説があります。 この他には蘇我入鹿は殺したけど、まだまだ蘇我系の勢力が残っていて、緊張状態があったとか、 中大兄皇子は親百済派で親新羅派との対立があったとか、色々言われていますが、 これという決め手はないようです。ただ皇太子のままでいたほうが動きやすかったというのは 明治以降の皇国史観によって天智天皇を英雄化するために考え出された説です。

その他の回答 (3)

回答No.4

単純に大王になるにはまだ若かったからだと聞いています。 当時は大王が死ぬとその子供ではなく、他の兄弟に大王の地位が回ってきました。 後世より年功序列に厳しかったんですね。 実際中大兄皇子が即位して死んだ後、大王の子供と大王の弟間で後継者争いが起きています。

  • me-me-san
  • ベストアンサー率45% (19/42)
回答No.3

「自分が皇位につくためのクーデターだった」という論調を避けるためだったという説もあるようです。 また皇后の件については、倭皇女(中大兄皇子の異父兄の娘)という正妃がいた(大化の改新後かも)ので問題はないかと思います

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.2

逆説の日本史で取り上げている説ですけど、大化の改新で直接手を下したのは中大兄皇子だが、本当の黒幕は別にあって、大化の改新直後の中大兄皇子は、そんなにエライ立場ではなかったらしい。 その後、何人かの皇族を蹴落とすことで中大兄皇子が権力を固め、最後に自らが即位するという説ですが、確かにそういう見方もできると思います。

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