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指導力不足教員について。

指導力不足教員って言葉が最近新聞でよく目にするのですが、 よくよく、読むと30代、40代のベテラン教師が一番多いというのを見つけました。 そもそも、経験不足で指導力が不足しているのなら分かるのですが、 なぜ、ベテラン教師がそのような状態なのでしょうか? 最近の子供は昔の子と全然違うなど、色々外因があるのでしょうが、 そもそも、教員としての「センス」が欠けている人が教師になり、若さで押し切れる時期を越えてしまっただけなのでは?っと感じます。 皆さんは、どう思いますか??

質問者が選んだベストアンサー

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  • nosunosu
  • ベストアンサー率36% (30/83)
回答No.6

今,先生と呼ばれている人にとって受難の時代でしょうね 学校に限って考えると,昔は先生が知っていることを子どもに教え込めばよかったですよね。だから,先生はよくものを知っていると言うことで尊敬もされていました。ところが,現在では先生が知っている程度のことは大抵の親でも知っています。つまり,先生と保護者の間のもっている知識における垣根がとれちゃった状態になっているということです。 そうすると,先生とそうでない人との違いは「教える」ということに関する知識(技術)をどれだけもっているのかということになるのだと思います。「教える」ということは「知識がある」ということとは違う分野の技術です。「教える」ことは常に相手があって成立することですよね。すると,相手が変わると「教える」ためのストラテジも変えていかなければ「教える」ことができません。現在,子どもが変わったとよくいわれます。これについては真偽のほどを知りませんが,もし変わったのであれば先生も教えるストラテジを変えなければ「教える」ことができません。 このように考えてくると,ここ10年ぐらいで「変わった」子どもに旧態依然の教え方をしようとしてうまくいかなかった先生達が「指導力不足」と呼ばれるようになったのではないでしょうか?

その他の回答 (8)

回答No.9

今30代から40代の教師たちは学生時代に良い教師に恵まれなかったのが原因ではないかと考えています。 この年代は、いわゆる団塊ジュニア世代であり、1クラスが40名を超える教室も普通にありました。 人数が多いと指導も散漫になり、「概ね良いだろう」とか「大体問題無し」といった非常にいい加減な指導が行われ、それ以降も続けられてきました。 また、そういった環境で教育を受けた子供が大きくなれば、当然十分な教育の出来ない親となります。先に答えてくださっている皆さんの通り、育児を履き違えた親ばかりが増えています。 世にニートやフリーターと呼ばれる人が増えた年代も重なります。 現状を回復するのは、非常に困難です。 ゆとり教育などもってのほか、現場の教師にとって負担でしかありません。 政府は事態の深刻さを、改めて認識する必要があると私は考えています。

  • nickdayo
  • ベストアンサー率26% (42/156)
回答No.8

ちょっと違う視点で・・・ その世代の教員の数が多いからではないですかね(^^;)

  • TUNE0040
  • ベストアンサー率26% (220/842)
回答No.7

> 経験不足で指導力が不足しているのなら・・・ 経験不足です。いわゆる「できる子」「良い子」しか採用試験に受からないのですから。 「族に入っていた」とか「プータローしてた」とか「援交していた」「家出してた」とかいう人は、基本的に教員になってませんから。だから圧倒的に経験不足なのです。しかもそれを自覚していないところが問題。 > 教員としての「センス」が欠けている人・・・ 「センス」は磨くもの、身につけるもの。民間でも同じです。入社してから一生懸命身につけるのです。教員はそれをしていない。だから批判される。 「しつけは親がするもの」 そのとおり。でもそれだけでは現実から逃避しているだけ。そういう教員が多すぎます。学校では学校なりのしつけの必要性があります。集団行動の中でのマナーは家庭ではなく学校でするもの。携帯を切れ、話を聞け、きちんと座れ、前を向け、挨拶をしろ・・・。そういう社会性を教える努力をしていないのが現状です。

  • yosimako
  • ベストアンサー率19% (81/416)
回答No.5

40代以上の教員にとって、自分たちが子どもの頃、或いは、勤務し始めの頃と比べると、今の子はかなりの変化をとげてきており、その変化に対応できないのではと思います。また、教員自体の考えや指導の甘さがあっても、子どもたちの間に常識があり、質のよくない教員の下でもなんとか学校生活を過ごせてきました。常識や思いやりのない子や家庭生活のストレスを学校に持ち込んでしまうような子どもが増え、個性的どころか野性的になってしまった子どもたちには、そんな芸当はできないでしょう。でも、どんな採用試験をしたとしても必ず、そういった教員は含まれます。民間企業だってそうでしょう。

  • usapy07
  • ベストアンサー率46% (931/1985)
回答No.4

#3です。 >生活指導もしっかりしなければならないと思っています。 >昔は、違ったのでしょうか??? 昔も今も、基本的な生活指導(しつけ) は親の仕事です。 母親だけにその義務を強要するつもりはありませんが、 共稼ぎ世帯が増えたのが原因で、家庭でのしつけという義務が 放棄されている家庭が増えているのは事実です。 子供が何か悪い事をしたときに、 「あのおじさんが怒るからやめましょうね」 などと言って子供を諭す親が多く居ますが、 「何が悪いのか」という本質を教えずに、 利害関係だけ教えている親というのも しつけを放棄している典型です。 「しつけをすると子供に嫌われるから」 といって、嫌われ役を全て他人に押し付ける しつけを放棄した親が増えるから、 このように学校の状況がどんどん深刻化するのです。 近年、学校の上司と親との板ばさみ状態になって、 同僚にも、悩みを打ち明けると「指導力不足」 というレッテルを貼られるのが怖く、 誰にも悩みを打ち明ける事が出来ないまま うつ病にかかり、自殺までしてしまう教師が増えて 社会問題になっています。 このような状況をもう少し理解して、 学校の教師だけに全ての責任を丸投げしている 現状を打開する方向に努力してあげて欲しいです。

  • usapy07
  • ベストアンサー率46% (931/1985)
回答No.3

権利とは、義務を果たした者にのみ初めて与えられる物であるが、 義務を何一つ果たさずに権利ばかりを主張する社会風潮にあります。 そのような状況下で育った人間が、ちょうど今、 小学生の親の世代になり、 教育現場が混乱しています。 教育を受ける権利というのは、 最低限度、授業を妨害しないという義務 を果たした者にのみ与えられるべき権利 であるにもかかわらず、 授業妨害をする生徒を廊下に立たせるなどすると、 教育を受ける権利がどうのこうのと騒ぎ立てる バカな親が多数派を占めているので 教師は正常な授業を運営する事が困難な状況にあります。 また、義務教育というのは、 「子供が教育を受けたいと望んでいる」 ときに、子守や仕事の手伝いなど、 「親の都合で学校へ行かせない」 というのを防ぐための制度であって、 「学校へ行きたくない子供」 を無理矢理学校へ連行する制度ではありません。 これを社会全体が誤解して後者のほうで認識している というのも問題です。 義務教育制度も、教育を受ける権利も、 本来の解釈から考えれば今日のような 混乱した学校制度にはなり得ないはずです。 今日の学校は教育施設ではなく、 保育施設、サービス産業に成り下がり、 子守やサービス業が目的ではない時代に 教師になった人には全く向かない業務形態へと 変貌してしまいました。 いわゆる「ベテラン教師」が指導力不足 というレッテルを貼られるようになったのは このような背景からです。 現代の教育現場においては、 「子守やサービス業」が得意な人間を基準に 「指導力」を認定していますので、 マスコミの情報を鵜呑みにしないで、 もっと現場の声に耳を傾けるようにしたほうが良いです。

ochocosann
質問者

お礼

社会風潮は確かにそうですね。。 社会が求められる教師像が変化し、それに対応できなくなった教員が多いということでしょうかね。 自分は学校という場所は勉強だけではなくて、生活指導もしっかりしなければならないと思っています。 昔は、違ったのでしょうか???

  • soutanbu-
  • ベストアンサー率29% (50/172)
回答No.2

結局は組織の言うとおりにカリキュラムをこなし、マニュアルに沿った指導しか出来ないからではないでしょうか。普通のサラリーマンしかり、上に逆らってまで自分を押し通すのは得策ではないから、何事も穏便にすましてきちゃった人たちなんじゃないですか? 教師になった当初はきっとそうでもなかったんでしょうが、一年二年と経つ内に、人間相手にしている感覚が麻痺して、ただ教師と言う仕事をこなしているという感覚しか残ってないんだと思います。頑張ったって頑張らなくたって、誰かに評価されるわけでなし、だったら自然と頑張らない方に行くと思いませんか? 塾の講師はそうは行きません。はっきりとした結果を出さなければクビに関わりますから、一生懸命です。 昔と今の子供が違ったとしても、昔と今の親が違ったとしても、別にブランク明けで再度教職についたわけでもあるまいに、ずっとその変化の中で教師やってきているわけですから、柔軟に対応しきれず自分自身を成長させられなかったんでしょう。 年数こなせば「ベテラン」と呼ばれるわけだし、結局定期的に適正試験とかないわけだから、実力があるないに関わらず、余程の問題起こさなければ辞めることもありませんから、長いことやってきたって必ずしもいい教師とは限りませんよ。 サラリーマンだって、同期が出世してる中、いつまでも平社員もしくは係長どまりで、いずれ窓際・リストラを待つばかりの人たくさんいますし。 公立でも私立でも基本的には安定している職ですから、もう甘えちゃってるだけなんじゃないでしょうか。

ochocosann
質問者

お礼

>誰かに評価されるわけでなし、だったら自然と頑張らない方に行くと思いませんか? いえ、そうは思いませんが・・・それに教員を評価する制度ができるとか。 やはり、スポーツ同様センスというものがあるのでしょうね。

  • nemolist
  • ベストアンサー率13% (5/37)
回答No.1

たかが22歳で「先生」なんて呼ばれて、お金をもらっているのに”お客さん”横柄で良い環境。。。そんな特殊な環境にいるひとに、成長とか結果を求めるほうがおかしいと思います。 一般社会を考えてください。そんな”企業”で社員が育ちますか? 教師の免許こそ、政治家と同じように30歳からとか、他の職業についてからとかの制限を持たせるべきだと思います。 先生が一番社会を知らないんじゃどうしようもない。。。 以上です。

ochocosann
質問者

お礼

回答有難うございます。 確かに、22歳で何を児童・生徒に伝えられるかは 微妙ですね・・・ でも自分の尊敬している教師はすんなり教職に就いたようですが、何が違うのでしょうか? 若い教師ですが、他のベテラン教師より輝いていましたね。

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