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「ゆとり」教育論

de88の回答

  • de88
  • ベストアンサー率20% (1/5)
回答No.7

こんにちは、de88ともうします。 議論が白熱しているようで、書き込みには躊躇してしまいます。 また、tiger-ryujiさんのご質問の回答になれるかどうか心配です。 的はずれでしたら、お許しください。 私は、専門家と書かせていただいたように教育に携わるものです。 一般と自己紹介されている方々が教育論争をされているときに、 時々、割り込ませていただいております。 さて私の意見ですが、基本的にはnaoppeさんの意見に大賛成です。 以下、項目別に意見を述べさせていただきます。 1.>小学校の徒競争で、・・・・まるで大切な落し物を探すかのように。    との、比喩についてですが、 極端な例として書かれていることはわかります。 しかし、やはり、とんでもない!!、やっては行けない教育事例でしょう。 比喩をもちいて意見を述べさせていただけば、  ⇒最後の1人が来るまで誰もゴールできないというのは大問題です。 なんのゴールか?にもよりますが、たった1人のために全員を待たせるとしたら、 待たせたその1人は、一生涯その贖罪で苦しむでしょう。 こちらに回答を寄せている皆さんなら、ご理解いただけるイメージかと思います。 2.sterstyle007さんの、   >日本の経済成長は・・・人材の供給・選抜は・・・    重要ではないような気がします。  とのご説についてですが、 たしかに、冷戦下に日本経済が保護された故の発展は事実だと思います。 しかしながら、「性能の良い車を作る」というのも事実であり、 瀬戸大橋・明石海峡大橋のレーダー波吸収ペイントは、 それだけで、あらゆる軍事バランスに不均等をもたらす素材です。 これほどの科学技術を生み出す力の背景は、 国際情勢だけではなく、戦後復興のために、 国(国民)をあげて努力した結果であり、教育の一助もあるかと思います。 3.ただ、気になるのですが、naoppeさんには、   文系で、機械ものが苦手な人への偏見があるようです。   理数系上位のような発想です。   Dejimaさんの意見にも見受けられます。 ★それにしても、  >英語・社会・国語・・・記憶以外は必要のない科目・・・  というのは、あまりにも暴論ですね!  >そしてその人たちが社会に出て・・・小学生でもやれることすらできない・・  これも、ひどい言いがかりではないでしょうか? ▲確かに、コンピュータの操作など情報通信技術を中心に、  『空間思考』が苦手な人がいます。  しかし、それは文系理系に限らずの話で、  文系は機械の操作などに問題があるかもしれませんが、  理系はコミュニケーション能力に問題が多いと思います。 ◆自分のプロトコルでしか会話が出来ず、  他者の会話の論理や話法作法を享受できず、  適切なコミュニケーションが成り立ちません。  言外の意や行間などを理解できず、表層の語だけにたよります。  合理的な言語活動であるかのように論をすり替えるのですが、  自己と近親関係者のみのプロトコルでしか会話できないという  能力の限界を認めようとせず、  自分より理解度が低いものへ詳しくわかるように説明する能力に欠け、  自分より理解度が高いものに簡略に要点だけ伝える能力に欠けます。 ●文系は機械【物(合理的な物)】に弱いが、  機械が使えないことを問題だと思っていません。  それはご指摘通りでしょう。 ●理系は人間【心(不合理な物)】に弱いけれど、  コミュニケーションがとれないことを問題だと認識できていません。  自分より低位の者へのコミュニケーションは相手の力不足だと怒り、  自分より高位の者とコミュニケーションが出来ないことは、  相手が自分を理解しないと憤慨します。 ■面白いのは、文系理系互いに相手の欠点を嫌悪するところでしょう。 4.少し話題がそれました。本題に戻します。 さきほど、『空間思考』と表現しましたが、 自分の視野だけで判断を下すのは、「平面思考」のものの考え方です。 記憶力だけの勉強はまさにその通りですが、 公式や記号を道具としてもちいて、解を導くのに長けているだけなのも、 所詮、「平面」であり、「考える力」とは言い難いと思います。 ★文部科学省のいう『ゆとり』は、  記憶により「道具や材料」を増やす詰め込み教育や  訓練により「少ない道具や材料」を使う術を鍛錬する教育を見直し、  両者の重要性を均等に認識し、自分の視野以外からも物事を考えられる  『空間の思考』を育てるという発想です。  これを持って、【生きる力】と表します。  二一世紀新しい時代を「強く生きる」「共に生きる」「長く生きる」  「明るく生きる」「活き活きと生きる」などなど  をねらうものです。  詰め込み過ぎ、鍛錬・訓練・修練の激務に「ゆとり」をという意味です。  どうぞ皆さんお間違えの無いように 5.ただし、最後に申し添えますが、   以上の教育環境を整え、目指すところは、エリート育成であります。   この部分は長くなりますので、また、次の機会に   なお、本文は最新のnaoppeさんの意見には対応しておりません。   【時間差でした】 大変長くなり失礼致しました。 文面で、失礼もしくは不快な表現がございましたら、お許しください。 以上

noname#1753
質問者

お礼

こんばんは。tiger-ryujiといいます。 この順位をつけない徒競争は、やってはいけない授業ではありません。 貴方個人が日本教育の責任を取れる訳ではないでしょう。 僕はここの会員さんだけでなく、もっと多くの人に向けて語りたい気持ちです。 この授業を取り挙げたのは、これが今の教育の変化を象徴しているからです。 生徒達は授業を選ぶ権利がなく、興味がなかったり理解できなかったりしても、机にジッと座ってなければいけませんでした。 嫌いな授業は受けずに図書館で本を読んでも、誰にも迷惑をかけていないはずです。 大人達は子供のマナー違反をよく取り挙げますが、これまでの授業姿勢は実は大人側のマナー違反なのではないでしょうか。 そうした疑問から生まれたのが、この順位をつけない徒競争でしょう。 僕は例え陸上選手を目指していたとしても、この授業には何の不満も持っていなかったと思います。 実際に集中力が発揮できるのは一日2時間くらいが精一杯だからです。 手を繋ぐのなら男女混交で走る事を提案するだろうし、旗の色が当てられずフラフープ回している間に後続に抜かれていくなら、「どうだ、この動きはカッコイイだろう」と僕は笑顔でフラフープを回すでしょう。

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